▼297▲ 上半身裸のマッチョの変態から逃げ切ったら三千万円
人里離れた静かな山奥にある快適な山小屋の食堂で、紅茶とアップルパイの香りに包まれながら、穏やかな雰囲気の中で催されていたお茶会は、
「そろそろゲームの説明をするわね」
マリリンのこの一言で、ついにお開きとなった。
「ああ。日も翳って来たし、やるんならさっさと終わらせようぜ」
すっかり寛いだ様子で、これに応じるエイジン先生。
「お金の準備は出来てる、アーノルド?」
マリリンの問いに、
「はい、玄関ホールに用意してあります」
簡潔に答えるアーノルド。
「じゃあ、そっちに行きましょう、エイジンさん。見た方が早いわ」
マリリン、アーノルド、エイジンの三人が食堂から玄関ホールに来てみると、そこにはビールケース程の大きさの段ボール箱が置いてあり、中には大量の一万円札が乱雑に入っていた。
「一万円札のつかみ取り大会でもやろうってのか?」
現金を前にして、少しテンションが上がるエイジン先生。
「手でつかんだ分しかもらえないなんて、そんなケチな事はしないわよ。好きなだけ持って行って」
微笑みながら、気前のいい事を言うマリリン。
「いいのか?」
「ええ、全部で三千万円あるわ。その中から好きなだけ取ったら、エイジンさんはこの山小屋から逃げるの」
「逃げる?」
「その三十分後に、アーノルドがここを出発してエイジンさんを追いかけるの。アーノルドに追いつかれずに、乗って来た車が駐めてある場所まで逃げ切れたら、エイジンさんの勝ちよ。その時、エイジンさんが持っていたお金は全部あげるわ」
「要は鬼ごっこか。で、もし俺が車のある場所に辿り着く前に、アーノルドに捕まった場合は?」
「アーノルドに捕まえられて、私の所まで連行されたら、エイジンさんの負け。もちろんお金は没収よ。罰ゲームとして、エイジンさんは『魅了の魔眼』で完全に私の奴隷にされるの。どう、面白いでしょ?」
「俺にとっては、全然面白くないんですが。ってか怖えよ!」
「安心して。エイジンさんが奴隷になっても、悪い様にはしないから。残りの一生を、管理人としてこの山小屋に住んでもらうだけ」
「ただの無期懲役だろ、それ。もしくは生ける屍」
「山小屋って、誰かが住んでないと傷んじゃうのよ。もちろん衣食住は保証するわ」
「そこにネット回線を加えて俺の世界で求人広告出したら、無給でも応募者が殺到するぞ。煩わしい俗世から逃れてスローライフを送りたい無職がわんさといるから」
「不景気なのね。でもそれはダメ。あくまでもこれは、私とエイジンさんのゲームなの」
「アーノルドも巻き込んでるが」
「アーノルドは単にゲームの装置の一部よ。たとえアーノルドに捕まったとしても、その時点ではまだゲームは終わりじゃないの。隙を見て逃げ出したり、戦ってねじ伏せても構わないわ」
「こんな筋肉モリモリのマッチョ相手に、どうやって戦えと」
「『古武術マスター』なら、その位出来るんじゃなくて?」
「俺は『古武術マスター』じゃねえし、それ以前にウェイト差を考えろ。ゲームバランスを考えたら、まずアーノルドには少なくとも三十キロ以上の減量が必要だ」
「なら、捕まらない様に頑張ってね。出発に際して三十分のハンデだってあるんだから」
「三十分のハンデの根拠は?」
「車を駐めた場所からこの山小屋まで、山道を歩いて大体一時間かかったでしょう? この山道に慣れているアーノルドなら急げば三十分で来れるわ」
「つまり、この山道に慣れていない俺が急いだなら、一時間と三十分の間で、約四、五十分かかる計算か」
「だから三十分のハンデがあれば、十分逃げ切れるわよね? 道に迷わなければの話だけれど」
「途中、道が消えかかってたり、他の道と交差してる所も結構あったから、その危険は大いにあるな」
「それに、このお金をどう持って行くかも重要なポイントよ。三千万円って結構かさばるでしょう?」
「服のポケットを全部使っても入りきらないだろうな。かといって、この箱ごと持って行くのもしんどい」
「特別サービスとしてその紙袋をあげるわ」
マリリンがそう言うと、アーノルドが無言で前に出て、エイジンの前によれよれの小さな白い手提げの紙袋を差し出した。
「これ、今にも破れそうなんだが。小さいし」
「きちんと紙幣を揃えれば、三千万円入るだけの大きさはある紙袋よ。揃えるのに手間がかかるけど、三十分のハンデをうまく使ってね」
「なるほど、大体話は分かった」
エイジン先生は紙袋を段ボール箱の脇に置いて、
「まずゲーム開始と同時に、俺はこの段ボール箱の中から一万円札を紙袋に詰める作業をする。
「そしてその紙袋を抱えて、この山小屋を出発し、車が駐めてある場所を目指す。
「ゲーム開始から三十分後にアーノルドが山小屋を出発する。
「アーノルドに捕まらずに車まで逃げ切ったら俺の勝ち。その時持っている金は全部俺のもの。
「車に辿り着く前にアーノルドに捕まって、抵抗空しくあんたの所まで連行されて、『魅了の魔眼』で奴隷にされたら俺の負け。金は全額没収の上、強制的に山小屋の管理人にされる。これで合ってるか?」
と、今までの話をまとめた。
「それで、合ってるわ」
にっこりと微笑むマリリン。
「もし俺が『こんなゲームやりたくない!』と言ったら?」
「ここで『魅了の魔眼』を使うだけよ」
「ゲームをやった方がまだマシって訳だ」
エイジンは肩をすくめ、
「じゃ、さっさとやろう」
諦めた様にそう言った。
これを受けてマリリンは、デジタル式のキッチンタイマーを取り出して、カウントダウンモードで三十分をセットすると、
「今から、ゲームスタートよ」
と宣言し、スタートボタンを押す。
それを合図にエイジン先生は、くるっとマリリンとアーノルドに背を向けて玄関から飛び出し、脱兎の如く山道を走り去って行った。段ボール箱の中の三千万円には目もくれずに。
マリリンは開いたままの玄関のドアを見ながら、
「やっぱり、あなたって本当に賢いのね、エイジンさん」
と言って、さもおかしそうに笑った。
アーノルドは何も言わない。




