▼260▲ 愛があり過ぎてペットに舐められるタイプの飼い主
それから約三十分後。エイジン先生より早く目を覚ましたグレタは、自分を都合良く眠らせておいて、そのすぐ横で昼寝しているこの男に対し、「一週間ぶりに再会したのに何この態度」、と腹を立てるかと思いきや、逆にその寝顔を愛おしげに見つめながらニヤニヤが止まらない。さながらペットの犬猫の寝顔をじっと見つめる飼い主の様。
ふと、何か思いついたのか、グレタはそうっと立ち上がり、稽古場の隅の棚からサインペンを取って戻って来る。
エイジンの枕もとにちょこんと正座し、いたずらっぽい笑みを浮かべた後、サインペンのキャップを取って、
「修学旅行の夜かよ」
エイジンにその手をはっしとつかまれる。
「どうして、もうちょっとだけ寝ててくれないのよ!」
ちょっと悔しげに逆切れするグレタ。
「何が悲しくて、顔にイタズラ描きされると分かっていて寝たフリをしなきゃならねえんだよ。ってか、油性のサインペンじゃねえか、それ」
「後で一緒にお風呂に入った時、責任取ってきちんと洗ってあげるわよ。だから描かせて」
「何を描く気だったんだ」
「大した事はしないわ。ほっぺにひげをちょちょっと描いて、鼻の頭を黒く塗るだけよ」
「犬か。俺がやっても可愛くないと思うが」
「唇も黒く塗るの」
「それ、犬を飼った事のある人じゃないと分からないぞ。もしくはあの獣医の少女漫画を読んだ人」
「そこまでやったら、犬耳も着けないとね。イングリッドに倉庫から取ってきてもらうわ」
「あいつまで巻き込むな。ちょっとしたイタズラの域を超えるから、絶対」
「首輪と紐も必要ね」
「あんたが超えてどうする」
「いっそ、エイジンをずっと小屋につないでおけたらいいのに」
「ヤンデレはやめろ。何か怖い」
グレタはつかまれた右手を解放されると、サインペンを床に置いてから、逆にエイジンの右手を両手で握り、
「冗談よ。でも、もう突然消えたりしないって約束して。エイジン」
と少し真顔になって訴えた。
「約束は出来ねえよ。この先、何が起こるか分らないからな。場合によっては、また何も言わずに姿を消さなきゃならない事だってあり得る」
「そんなの嫌」
「だが、必ず戻るから安心してくれ」
「エイジン……」
嬉しそうな顔になるグレタ。
「まだ報酬の二千万円をもらってないし」
「エイジン!」
言う事を聞かない子犬に手を焼く飼い主の顔になるグレタ。




