▼257▲ 熱いクロックムッシュと安いプライド
まとわりつくグレタとイングリッドを振りほどこうとしながらキッチンに向かうエイジン先生。さながら二匹のハイテンションな犬にじゃれつかれながら散歩する飼い主の様。
エイジンがテーブルに着くと、グレタもその隣に椅子を寄せて座り、
「私には紅茶だけお願い」
とイングリッドに言って、熱々のクロックムッシュを食べようとするエイジンの顔をじっと見る。
「あんたも食べるか?」
動作を止めてエイジンが問う。
「少し」
「じゃあ、これはあんたにやるよ。イングリッド、すまないが、もう一人前追加出来るか?」
「そうじゃなくて、少しでいいの。お腹はまだ減ってないから」
「じゃ、半分やる」
「さらにその半分の半分でいいわ」
「八分の一か、ほら」
エイジンが手でクロックムッシュの小片をちぎってグレタに手渡そうとするが、グレタは手を出そうとしない。
「エイジンの手で食べさせて」
口を開けて待つグレタ。
「結構熱いぞ、これ」
「エイジンが息を吹きかけて冷ますの」
「はい、あーん」
「冷まして、って言ったでしょう!」
危うくアツアツのおでんを口に放り込まれるリアクション芸人にされそうになったグレタが抗議する。
「そもそもいい年した大人が、『あーん』、って恥ずかしくないのか?」
「恥ずかしい位がいいの! とにかくやって!」
少し顔を赤くしつつ、駄々をこねるグレタ。
仕方なくエイジン先生は、クロックムッシュにふーふーと息を吹きかけた後、
「ん、うまい」
「自分で食べないで!」
グレタの目の前でそれを平らげて怒られる。
「軽い冗談だ。ほら」
エイジン先生は、またクロックムッシュを少しちぎって息を吹きかけて冷ました後、
「お手」
反対側の手を差し出して、グレタを犬扱いする。
「素直に食べさせなさい!」
拒否するグレタ。
「お手」
「嫌」
「お手」
「嫌」
「お手」
「嫌」
しばらく押し問答が続いた後で、
「しょうがないわね」
根負けして、渋々「お手」をするグレタ。
「はい、よく出来ました」
そう言ってエイジンはグレタの口にクロックムッシュを運び、グレタは嬉しそうにそれを食べる。
「お嬢様を調教プレイですか。中々やりますね、エイジン先生」
皿に出来たてのクロックムッシュを追加しつつ、エイジンに声を掛けるイングリッド。
「調教言うな。どっちかと言えば、幼児の遊びに仕方なく付き合ってやる大人だ」
「幼児趣味がおありとは存じませんでした」
「ねーよ」
「少々お待ちください、今から裸ランドセルに着替えてきます」
「幼児の定義が間違ってるぞ、おい」
イングリッドとエイジンがしょうもない事を言い合っている間に、今度はグレタが皿からクロックムッシュを取り、
「今度は私の番よ、エイジン。はい、あーん」
少しちぎって息を吹きかけて冷ましてから、嬉しそうにエイジンの顔の前に持って行く。
「やればいいんだろ、ほら」
エイジンがやれやれといった顔で口を開けると、
「その前に、お手」
グレタがもう一方の手をエイジンに差し出した。
それを無視してエイジンは首をさっと伸ばし、クロックムッシュの小片を器用に口だけで奪い取る。
「あ、こら! 返しなさい!」
「もう食べちまった」
「どうして、エイジンはいつもいつも私の言う事を聞いてくれないのよ!」
「その方が大抵いい結果を生むから」
「何ですって!」
こうして一悶着あった後、エイジンの背後からイングリッドがその両腕をがっちりつかんで操作し、グレタはようやくエイジンに、「お手」をさせる事に成功する。
「何があんた達をここまでさせるんだよ」
グレタに「お手」をしながら呆れるエイジン。
「プライドの問題よ」
グレタはしたり顔で、クロックムッシュの小片をエイジンの口に差し込んだ。




