▼256▲ 男を引っ張る女達
今回も色々と問題はあったものの、結果的には元悪役令嬢という不安定なポジションのグレタの危機を未然に防いだエイジンが、アランとの話し合いを終えて小屋に戻ると、
「では、改めまして。おかえりなさいませ、エイジン先生」
ちょっと前までハリセンでエイジンの頭を遠慮なくぽんぽん叩きまくっていたイングリッドが、そんな事などなかったかの様に、恭しい態度で出迎えた。
「改めまして、ただいま。元気だったか、って聞くまでもねえな」
「この一週間、グレタお嬢様も私もエイジン先生の身を案じて日に日に心も体も弱って行きました。もう少しで主従共々、ルーベンスの絵の前で天に召されんばかりに」
「どこの風車小屋の放火事件の容疑者とその飼い犬だ」
「もう僕は疲れたよ」
「早くネロ」
「では続きはベッドの中で」
「全然元気じゃねえか」
「あの物語と同じく、昇天して終わります」
「感動のラストが台無しだよ」
「それはさておき、エイジン先生は朝食がまだなのではありませんか?」
「ああ、ぐっすり寝てる所を、ジュディがいきなりこっちの世界に引っ張って来たからな」
「クロックムッシュと紅茶をすぐにご用意しますから、着替えて居間でお待ちください」
そう言ってイングリッドは、しょうもない冗談を切り上げてキッチンに引っ込んだ。
自室で汚れた作務衣を着替えたエイジンが居間に来てみると、ソファの背に両手を掛けてもたれかかり、こちらをじーっと見ているグレタと目が合った。グレタはあわてて体の向きを変えて座り直し、ぷい、とそっぽを向くがもう遅い。
エイジンが入り口に立ったまましばらくその様子を観察していると、業を煮やしたのかグレタはそっぽを向いたまま、自分の隣のスペースをぽんぽんと叩き、「こっちに来て、ここに座りなさい」、と無言で促した。
「まだ怒ってるのか」
エイジンが隣に座ってそう言うと、
「怒りはさっき全部吐き出したから、それはもういいわ」
にやけそうになる顔を無理に仏頂面に抑えつつ、グレタが答える。
「でも、エイジンは私に一言、言って然るべき事があるんじゃなくて?」
「あんたもイングリッドもハリセンの使い方が間違ってる」
「違うでしょ!」
「この一週間、俺がここを不在にして、あんたらに心配させていた事か」
「分かればいいわ。で?」
「こんな事で一々動揺してたら身が持たねえぞ。勝負事をする時は、もっとどっしり構えるもんだ。ま、今回の件はいい教訓になっひゃほ」
エイジン先生が最後まで台詞を言えなかったのは、グレタがその頬を両手でつまんで、ぐい、と横に引っ張ったからである。
そこへイングリッドがキッチンからやって来て、
「朝食の用意が出来ました……が、何やら楽しそうですね。私も混ぜてください」
と言いながら、エイジンの作務衣の中に遠慮なく手を突っ込んだ。どこを引っ張ろうとしているのかは不明。




