▼230▲ 「メルツェルの将棋指し」の中の人
断崖絶壁の上に場を移し、問い詰める側から問い詰められる側に立たされても、特にジュディ捜査官に変わった様子は見られない。
子供のドラマごっこに付き合わされる母親の様な、「しょうがないから付き合ってやるか」程度のノリで、
「違和感、ですか?」
一応、返答だけはする。
「全く動揺が外に表れない所は流石ですねえ、ジュディ様。まさに『メルツェルの将棋指し』だ」
片や、ドラマごっこを心底楽しんでいる様子のエイジン先生。
「昨日の電話でも、そんな事を言ってましたね。あの後、『メルツェルの将棋指し』、正式には『トルコ人』と言う名の自動人形について調べましたが、エイジンさんが何が言いたかったのかは、さっぱり分かりませんでした」
別に分かりたくもないが、と付け加えたそうなジュディ。
「すまん、例えがマニアック過ぎたか。一般人に分かるように簡単に説明すると、昔、コンピューターなんかなかった時代、『自動でチェスを指しますよ』って触れ込みの機械仕掛けの自動人形が、俺のいた世界にあってな」
「それは知ってます」
「じゃあ、はしょるぞ、俺の言いたかったのは二つ。まず第一に、そいつは人形だからどんな局面でも基本無表情なんだ。エドガー・アラン・ポーのエッセイによると、首や目を動かす事位は出来たそうだが」
「私が無表情だと揶揄したいのですか?」
「俺の話を盗聴してたからには、もう自分がかなり劣勢な事は承知してるだろ? それなのに、こうして無表情で澄ましていられるんだから、すげえと思うよ」
「まあ、仮に劣勢だとしても、一々表情に出る様では、捜査官は務まりませんから」
「そして第二に、この人形、実はとんでもない詐欺でな、機械仕掛けなんて大嘘もいい所、実は中にチェスの名人が入ってせっせと人形を操作してたんだ」
「それも調べました。人形の前に設置されているチェス盤の駒配置を、磁石の仕掛けで中から把握していたそうですね」
「ああ、澄ました顔の人形の中では、さぞや難しい顔をしたチェスの名人が、ウンウン唸って次の一手を考えていた事だろうよ。だが、追い詰められた局面で中の人がどんなに動揺しまくってても、『メルツェルの将棋指し』自体は表情一つ変わらないんだから面白いよな」
「エイジンさんの話がようやく分かりました。『内心は動揺しているんだろう』、と当てこすりたかったのですね」
ジュディは無表情のまま、
「実に回りくどくて分かりにくい例えです」
あくまでも淡々と感想を述べ、
「『メルツェルの将棋指し』の方は分かりました。話を戻してもらっていいですか? 『違和感』の辺りからお願いします」
崖の上で問い詰められている側にあるまじき淡々とした態度で話題転換をエイジンに促した。
と言うか、エイジン先生の方が問い詰められてる。




