▼206▲ 絶体絶命の危機を乗り切る最終奥義
やがて約束の三時となり、ガル家の敷地内にある稽古場を、エメラルドグリーンのジャージを着たエリザベスが、その従者と思しき、背の高い、眼光鋭く、金髪を綺麗に撫でつけた黒スーツ姿の美男子を伴って訪れた。
「ガル家へようこそ、エリザベス。ところで、テイカー家からここまでその格好で来たの?」
出迎えたグレタが少し呆れ気味に聞く。こちらも黒ジャージを着てはいるが、室内と室外とでは流石に恥ずかしさが違う。もっとも電車を乗り継いで徒歩で来た訳ではなく、ずっと高級車に乗っていたのでダメージは少ないと思われるが。
「他家を訪問するのに相応しくない服なのは認めるわ、グレタ。でも、私はお茶にお呼ばれした訳ではなくってよ」
恥じる事なく、エリザベスは堂々と言い返し、
「あなたと戦う為にここに来たのですもの」
不敵な笑みと共に挑発した。
グレタがそれに答える前に、いつもの作務衣姿のエイジンが、取って付けた様な笑顔を浮かべつつ二人の間に割って入り、
「ようこそお越し頂きました、エリザベス様。では細かいご挨拶は抜きにして、早速試合の方に移りましょう。ですが、その前に戦うに当たってのルールを明確にしておきたいのですが」
愛想のいい口調でエリザベスに進言する。
「あら、昨日の騎士様ことエイジンさんじゃない。こんな所にまで立ち会うなんて、よほどグレタのお気に入りなのね」
「昨日申し上げた通り、騎士ではなくただの下僕です。本来格闘の心得のない私など場違いにも程がありますが、人手不足で駆り出された次第でして」
「まあ、それは悪い事をしてしまったわね。すぐに終わらせるから許してちょうだい」
「いえ、どうかお気になさらずに。それでルールの方なのですが、安全に配慮すると言う事で」
「素手、素足による、打撃、投げ、絞め、関節技、その他何でもありのデスマッチを所望するわ。どちらかが戦闘不能になるか、ギブアップした時点で負けよ」
ぱっちりした目を見開いて過激な事を言い出すエリザベス。
「万一という事もあります。そのお美しいお顔への攻撃は原則禁止で」
「顔面はもちろんありよ。当然顔面パウンドもあり」
「それはいささかやり過ぎではないかと。どうしても顔面を認めるなら、立った状態限定で、せめてヘッドギアとグローブ着用を必須にしましょう」
「無用よ。で、グレタはどうなの? もしかして怖気づいちゃった?」
エイジン越しに、グレタへからかい気味に声を掛けるエリザベス。
「誰が怖気づいたですって!?」
「まあまあ、何分初めての対戦ですし、今日の所は安全重視で軽いスパーリング程度に留めて置きませんか? 危険な技は様子を見ながら追々認めて行くという事で」
いきり立つグレタを制して、エリザベスと粘り強く交渉を続けようとするエイジン。
「あの『狂犬』グレタを抑えられるなんて、本当に気に入られているのね、あなたは」
エリザベスが意味ありげにエイジンを見ながら言う。
「いえいえ、誤解がある様ですが、ウチのお嬢様は元来温厚な方でして。先日も銀行強盗を説得」
「それは昨日聞いたわ。本当に面白い方ね、あなた。グレタもそういう所に惹かれたのかしら」
エリザベスは後ろを振り返り、
「ゲイリー、エイジンさんのお相手をしてあげて」
「はっ」
出撃命令を下して引き下がると、入れ代わりに体格のいい美男子従者ゲイリーが、ずい、とエイジンの前に立ちふさがった。
「何の真似ですかこれは?」
エイジンは首を横に伸ばして、ゲイリーの背後にいるエリザベスに問う。
「もし、そんなお気に入りのエイジンさんが、私の従者であるこのゲイリー・アッパーに痛めつけられたら、一も二もなくグレタはこちらのデスマッチルールを受けてくださるでしょうね」
ぱっちりとした目を見開いてとんでもない事を言い出すエリザベス。
「やめてください。セコンド同士で戦ったら、試合じゃなくてただの乱闘じゃないですか」
エイジンが抗議するも、
「先手は譲ってやる。どこからでもかかって来い」
既にエイジンを痛めつける気満々のゲイリー。
稽古場にはガル家側からグレタの他に、イングリッド、アラン、アンヌ、そしてメイドが二人来ていたが、誰一人としてこの絶対絶命の危機からエイジンを救おうとしない。皆、割と薄情である。
エイジンは彼らの顔を一渡り見回してから、大きなため息をつき、
「仕方ないですね」
ようやく覚悟を決め、険しい表情をした美男子従者ゲイリーの方へ一歩前に出る。
まず床に両膝を突き、続いて両手も突く。
それからゆっくりと頭を下げて行き、額が床に着いた時点で、
「どうか今日の所は勘弁して頂けないでしょうか」
エイジン先生の世界における最終奥義「土下座」が見事な形で完成した。




