▼204▲ 写経の効果
「昼間からどんなハードなプレイに興じていらっしゃるのかと一瞬期待しましたが、やはりそういう古典的なオチでしたか」
いつの間にか稽古場の入口まで来ていたイングリッドが、エイジンに指圧されて悲鳴を上げているグレタを、手にした携帯で淡々と撮影していた。
「『部屋の中からなまめかしい男女の声がするので、ドアを開けて部屋に踏み込んだらただのマッサージ』は、『艱難辛苦を乗り越えて女風呂を覗いたら老婆だらけ』と同じ位お約束だよな」
グレタを指圧地獄から解放したエイジンがしれっと答える。
「何の話をしてるのよ!」
体育座りになって太ももの裏の指圧された個所をさすりながら声を荒げるグレタ。
「失礼しました。つい先程、グレタお嬢様宛てにお電話がありましたのでとりあえず報告に参りつつ、エイジン先生とコトの真っ最中に出くわしてしまった場合は終わるまで見て見ぬふりをして待機していようかと」
「そう、ありがと。で、誰から?」
「待て、『見て見ぬふりをして待機』のくだりはスルーか」
ボケにボケを被せる主従の会話にエイジンはツッコまざるを得ない。が、そのツッコミを無視してイングリッドは話を続ける。
「テイカー家のエリザベス嬢からです。伝言を言付かっています。『昨日はゆっくりお話出来なくて残念だったわ。いずれそちらに伺って、「狂犬」と名高いグレタ嬢に一手お相手をお願いしたいのだけれど、都合のいい日を教えてくださらない? 何なら今日これからでも構わないわ』、と以上ですが、いかが致しましょう?」
「あのアマ、やっぱり私にケンカを売る気だったのね。大した自信じゃない。いいわ、買ってあげるわよ。『承知しました。今からこちらに来てくだされば、ささやかながらおもてなしをさせて頂きます』と伝えてちょうだい」
「かしこまりました。では、その様に」
「待て待て、早まるな落ち着け。無暗にケンカを買うな。また世間に悪評が立つぞ」
ボケ主従に再度ツッコミを入れるエイジン先生。
「いいじゃない。あの失礼な逆ハー女に『狂犬』の怖さを思い知らせてやるわよ」
「その呼び方をされるのは嫌なんじゃなかったのか。それに向こうだって勝算があればこそ、こんなに露骨な挑発をして来るんだ。もう少し用心しろ」
「この私が、男にうつつを抜かしている女に負けるとでも?」
「あんたも今は人の事言えねえだろ。それに武術の世界に『絶対』はねえよ。何か秘策があるのかもしれん」
「じゃあエイジンは、こんなひどい侮辱を受けたまま黙って耐えろっていうの?」
「それが一番いいんだがな。安っぽい挑発に乗らない事は、その人物の評価をグンと上げるぞ。てな訳でイングリッド、先方には丁重にお断りの電話を」
「エリザベス様にお伝えください。『承知しました。今からこちらに来てくだされば、ささやかながらおもてなしをさせて頂きます』、と」
エイジンを無視して、既にイングリッドはテイカー家に電話を掛けており、グレタの言葉をそっくりそのまま伝えてしまっていた。
「おいこら、今までの話をちゃんと聞いてたか?」
「私はエイジン先生のお世話係である前に、グレタお嬢様に仕える忠実無比なメイドですので」
通話を終えたイングリッドは、エイジンに澄まし顔でぴしゃりと言ってのける。
「エリザベス嬢は三時にこちらへお見えになるそうです。グレタお嬢様と戦ったらすぐ帰るので、余計なおもてなしは一切無用との事でした」
「そう、ありがと。来たら直接この稽古場に連れて来て。お帰りはどうせ自力で歩けなくなるでしょうから、担架と力のあるメイドを二人程用意して」
喜々として物騒な話を進めるグレタを見ながら、
「写経させた意味ねえな」
呆れるエイジン。




