▼201▲ 北の魔女のキスに匹敵するご加護
「考え事をしながら湯に浸かってたら、つい、ぼーっとしちまってな。湯船から出てイングリッドの背中を流してたら、『前の方もお願いします。素手で』と言われたんで、そのまま何の疑問もなくボディーソープを付けた手で前の方を洗ってやったんだ。そしたら、イングリッドが突然椅子から転げ落ちて、胸を両手でしっかり押さえながら、『何をするんです、この変態!』って、真っ赤になって怒ってな」
「『そんな話はもういいです』と何回言ったら分かってくれるんですか、エイジン先生」
翌日の午前中、エイジンに例の倉庫に呼び出され、いつもの様に前の晩のエロ話を聞かされたアランが顔を真っ赤にして抗議した。
「胸は隠してるんだが、下は足を開きっ放しで全然隠そうって気がない。要するに裸を見られるのは平気なんだが、突然触られたのが怖かったんだろうな。隠すと言うより、ガードしてる意味合いが強い」
「そんな生々しい分析もしなくて結構です」
「一応謝ったが、落ち着くとまたいつもの調子で、『続きは今晩ベッドの中でお願いします』と減らず口を叩いてたよ」
「減らず口同士で勝手にしてください」
「それから、一部始終を見ていたグレタ嬢が空いた椅子に座って、『わ、私にもイングリッドと同じ事をしなさい!』って真っ赤になりながら要求して来たんだが、あれだな、猫を撫でてると別の猫がやって来て『私も撫でろ』って要求するノリで」
「すみません、その話、長くなる様であればもう帰らせて頂きます」
座っていたパイプ椅子から腰を浮かすアラン。エイジンがそれを引き留め、
「まあ待ってくれ。元はと言えば昨日美術館でもらったこのカードが原因なんだが、ちょっと調べてくれないか? 本当に念じるだけで連絡が出来るのかどうか」
美術館のスタッフにもらった名刺大のカードを渡すと、アランはそれをしげしげと眺めた後、
「本物です。それもかなり強い魔力が込められています。一体誰からこれを?」
「美術館のスタッフと思しき黒いローブを着た魔法使いで、十代後半位の地味な女だった。若いから美術館の中でも見習いの方なんじゃないかと思う」
さらにエイジンがその時の状況を詳しく説明すると、アランは真顔になって、
「人寄せの魔法を無詠唱で発動したんですか、その魔法使いは?」
「ああ。実際、グレタ嬢とイングリッドはその後すぐに来た」
「そのスタッフはタダ者ではありません。少なくとも私なんか足元にも及ばない、化け物クラスの魔法使いです」
「マジか。そんな感じには見えなかったが」
「その年格好で条件に該当する魔法使いと言えばかなり限られてきますが、念の為もう少し調べてみます」
アランがカードを左手で胸の辺りに水平にして持ち、右手をその上にかざしながら、
「我、光の精に命ずる。隠されし文字を暴け」
と唱えると、やがて真っ白で何も書かれていなかったカードに、
『ジュディ・ガード』
という七色に光る文字が浮かび上がった。
「間違いありません。そのスタッフは魔法使いの名門、ガード家のジュディ本人です」
「有名人なのか?」
「この世界の魔法使いで知らない者は、まずいません」
アランはため息をついて、
「エイジン先生は、とんでもない方の庇護を受ける事になりました。もし元の世界に帰りたければ、このカードに念じるだけで、すぐに帰れるよう図らってくれるはずです」
「ノブレス・オブリージュの一環か。俺の様な哀れな拉致魔法被害者を救ってくださるありがたいお姫様って訳だ」
「そして私は拉致魔法加害者として罰せられます。もちろん召喚を命じたグレタお嬢様も」
顔が蒼ざめるアラン。
「で、どうするアラン君? 俺が使えない様に、今すぐそのカードを丸めて飲み込むか?」
「ダメです。このカード自体に『所有者からこのカードを奪う事は出来ない』という強力な精神操作系の魔法が掛けられていますから」
そう言って、アランはカードをエイジンに返す。
「一時的に他人に預ける事は出来るんだな」
エイジンが受け取ったカードは、また元の様に真っ白に戻っていた。
「いつでも取り返せる場合は大丈夫です」
アランは大きく深呼吸してから、エイジンに向かい、
「もしエイジン先生が、今までご自分にされた仕打ちを不当と考えるのであれば仕方ありません。どうぞ私達をガード家に訴えてください。それで元の世界に帰れて、二度とこの世界に召喚される事もないでしょう」
神妙な言葉を口にしたが、その表情は「訴えないでください、お願いします」と切実に訴えている。
エイジンはカードを懐にしまいながら笑って、
「訴えないから安心しろ」
と、アランを安堵させた。
「それに、俺は以前グレタ嬢から一千万円騙し取ってるし、今回も二千万円の契約をしている。金銭が絡む契約が結ばれている以上、『不当に拉致された』と訴えても通らないだろうな」
「だといいんですが……じゃなくて! その、あくまでもエイジン先生の意志を尊重してください!」
「訴えたら元の世界に帰れても約束の二千万円がパーになる。そんなもったいない事はしねえよ」
エイジン先生の意志は大金を尊重していた。




