▼195▲ 魔法使いのいる美術館
ガル家の屋敷から車で約一時間、広い公園の中にある、古代神殿風の装飾が外壁に施された荘厳な趣を持つ巨大なメリエス美術館に、グレタ、イングリッド、エイジンが到着する。
クラシックな印象を与えるすっきりしたシルエットの黒いワンピース姿のグレタと、黒シャツに黒パンツでサングラスを掛けたイングリッド、黒いスーツで淡い水色のシャツに濃紺のネクタイを締めたエイジン先生が並ぶと、
「俺は動き易い庶民的な普段着を提案したんだが。こんな庶民いねえよ。どう見ても悪役令嬢とその身辺警護だよ」
そこだけやたら異様な雰囲気を醸し出していた。
「今更何を言ってるの、エイジン。靴は踵の低い歩き易いものにしたから大丈夫よ、ほら」
ひょい、と片足を少し持ち上げて見せるグレタ。
「私もウォーキングシューズです。何かあったらすぐに蹴りが繰り出せます」
素早い前蹴りをエイジンの股間に繰り出し、当てる直前で寸止めするイングリッド。
「お行儀が悪いぞ、二人共。美術館の中ではくれぐれも大人しくしてくれ。頼むから」
保護者状態のエイジンが二人に注意を与え、一行は美術館の中へ入って行った。
作品保護の為に薄暗くしてある館内では、古びて由緒ありげな杖やローブや魔導書などの展示品が怪しい雰囲気をいい感じに漂わせており、三人はその一つ一つについ見入ってしまう。
また各展示スペースの隅には、美術館スタッフと思しき人が黒いローブを着て椅子に座っており、
「展示のテーマに合わせてコスプレしてるのか」
それを見て、小声で独り言を言うエイジン。
複数で連れ立って美術館や博物館に行くとよくある事だが、最初は固まって見ていた三人も、次第次第に見て回るペースに差が生じ、少しずつ離れ離れになって行く。
ふと気が付けば、エイジンは連れの二人とはぐれてしまっていた。
「しまった。取り残されたか」
展示品を見ずに順路を少し早足で急ぐエイジン。が、かなり先に進んでも二人の姿は見当たらない。
「変だな、どこかで道を間違えたかな?」
展示スペースを外れて廊下に出てしまったエイジンが、キョロキョロ辺りを見回していると、
「ここは立ち入り禁止区域です」
不意に背後から声を掛けられた。
振り向くと、黒いローブを着た美術館スタッフと思しき若い女性が立っている。
「あ、すいません。連れを探してたら、順路を外れたみたいで」
謝るエイジンに、黒いローブの女性は、
「迷子ですか?」
と、淡々と尋ねる。
「まあ、そんな所で。館内は携帯電話は禁止ですよね?」
「でしたら、こちらでお呼び出ししましょう」
「館内放送で呼んでくれるんですか?」
「いえ、それは他のお客様の迷惑になりますから」
「じゃあ、一体どうやって?」
「もう呼び出しました。正確に言うと、人寄せの魔法を発動させました。あなたのイメージに心当たりのある方が館内にいる場合、何となくこちらに来たくなる魔法です」
淡々と突拍子もない事を言い出す黒ローブ女。どうやらコスプレでなく、本物の魔法使いだったらしい。
「いつの間に」
「無詠唱ですから」
「助けてもらって何ですが、確か精神操作系の魔法は禁止されてるって話では」
「美術館のスタッフが迷子を助ける為に使う、という正当な理由がある場合は許可されてます。もしかして、あなたは異世界から来たばかりの方ですか?」
「二ヶ月ってとこですが」
「もし、こちらの世界で何か魔法に関するトラブルがあれば」
黒ローブ女は懐から一枚の名刺大のカードを取り出し、エイジンに手渡した。
「こちらに連絡してください。このカードに触れている状態で強く念じるだけでいいです。すぐに係の者をそちらへ寄越します」
「トラブルと言うと?」
「魔法使いに危害を加えられたとか、誘拐されて自由を奪われたとかです」
「無理矢理召喚されて、『言う事を聞かないと元の世界に帰さないぞ』とか?」
「はい。もしや、今それでお困りですか?」
「いや、ただ聞いてみただけです。ご親切にどうもありがとうございます」
カードを手に不敵な笑みを浮かべるエイジン。
やがて、グレタとイングリッドがやって来て、
「何やってるのよ、エイジン!」
「いい歳して迷子でちゅか。もう安心でちゅよ、エイジンちぇんちぇい」
罵倒されたりバカにされたりしたが、エイジンは気にする様子もなく、黒ローブ女に礼を言ってその場を去って行った。