▼157▲ 勇気を出して初めての痴女
「グレタお嬢様のおかげでいい素材画像が撮れました。後でエイジン先生が口に咥えている手巻き寿司にモザイクを掛けておきますね」
イングリッドは携帯で撮ったエイジンの「あーん」画像を、グレタとエイジンに見せた。
「一体誰が得するんだよ、そんな写真」
エイジンが呆れた様に言う。
「ではエイジン先生用に、私が太巻きを咥えている画像にもモザイクをか」
「いらん」
イングリッドがさらにしょうもない事を提案しかけたので、即座に却下するエイジン。
ともあれ夕食が終わり、イングリッドが後片付けをしている間、グレタはエイジンと居間のソファーに並んで座り、魚の漢字が一杯書かれている大きな湯呑で濃い緑茶を飲みながら、しばし寛いでいたが、やがて意を決した様に、
「そろそろ屋敷に戻るわ。明日から指導をお願いね、エイジン」
エイジンの両手を取ってぎゅっと握りしめながら、そう告げた。
が、一向に戻る気配がないどころか、立ち上がるそぶりさえ見せず、じっとエイジンの顔を見つめたままである。
「今日の所はとりあえず、『人に飲食を無理強いするのはよくない』、とだけ指導しておく」
手を握られたままのエイジンが答える。
「少し量が多かったかしら」
「次々に寿司を巻いては人の口の中に突っ込んで来ただろう。俺は鉛筆削りじゃねえぞ」
「言い得て妙ね」
「感想はそれだけか。とにかく、屋敷に戻るのなら立て」
手を握られたままのエイジンがソファーから立ち上がり、それに引っ張られる形でようやくグレタも立ち上がる。
グレタは手を離すとエイジンの正面から抱きつき、
「もう逃げようなんて思わない事ね。報酬分はちゃんと仕事するのよ」
「逃げようにもあんたの許可がないと逃げられない状況なんだから安心しろ」
エイジンはホールドから逃れると、中々帰ろうとしないグレタの手を引いて、すたすたと玄関まで連れて行く。
そこへ後片付けを終えたイングリッドもやって来て、
「お嬢様、今晩はこちらに泊まっていかれないのですか?」
尋ねるというより、暗に泊まる事を勧めたのだが、
「ええ、後は頼んだわ、イングリッド。エイジンが逃げない様に、しっかり見張っていてちょうだい」
グレタはエイジンの手を払い、毅然とした態度に戻ってそれを断った。
「かしこまりました。ではエイジン先生、グレタお嬢様をお屋敷までお送りしてあげてください」
「一人で帰れるわ」
グレタはそう答えてエイジンに向かい、
「今晩は楽しかったわ、エイジン。また明日ね」
と言って、そのまま小屋を去って行く。
そんなグレタの後姿を見送りながら、
「ご覧の通り、グレタお嬢様はエイジン先生に完全に堕ちていらっしゃいます」
イングリッドがエイジンに淡々と解説する。
「騙した事をもっと怒っているかと思っていたんだが」
「堕としたからには、きっちり責任を取ってください」
「何の話だよ」
「せっかくお嬢様が、『いつでもOK』のサインを出していたのに、何もしないとは何事ですか」
「あの痴女ドレスの事か。逆に引くわ」
「私のコーディネートにケチを付けるつもりですね」
「あんたの差し金かい。道理で痴女度が高いと思った」
「グレタお嬢様の精一杯の勇気を、『痴女』の一言で片付けてしまうのは酷くないですか? 女心の分からない人ですね」
「女心以前に羞恥心を学べ」
噛み合わない会話がしばらく続いた。