▼151▲ 犬猫を獣医に連れて行って予防注射をしてもらう時の心構え
倉庫で日用品を一通り調達した後、一刻も早くその場を離れたがっていたアランと別れ、エイジン先生とイングリッドは日曜日の買い物帰りの若夫婦よろしく戦利品の詰まった白いビニール袋を手に提げ、小屋へと戻って行く。
アランがその場を離れたがっていた原因の一つである例のカラフルな小箱も、イングリッドが、
「薄くても、私の最後の防壁ですので」
と強引に言い張り、持ち帰る事になった。
「まあ、俺にそんな気はないが、それで安心出来るなら、あんたが持ってりゃいいさ」
歩きながらエイジンが淡々と言う。
「殿方の『何もしないから』という言葉を信用する程、私はネンネではありません」
その隣を歩きながら、澄まし顔で答えるイングリッド。
「いい心掛けだな。用心に越した事はない」
「おや? てっきり、『何もしないと言ってるだろ』、とムキになって抗議するかと思いましたが」
「確かに、人の心に『絶対』はないからな」
「それは、今晩私を襲う、という予告ですか?」
「違う。自分の心に過信をしない、ってだけの話だ」
「何のかんの言って結局襲いたいんですね。この変態」
「仮に俺の理性が吹っ飛んであんたに襲い掛かったとしたら、着ける着けないどころの騒ぎじゃないぜ。一番安全なのは、あんたが自分の寝室に鍵を掛けて一人で寝る事だ。違うか?」
「つまり今晩襲い掛かって着けずにナマで私の体に欲望を吐き出した挙句、『用心しなかったお前が悪い』とその責任を被害者である私になすりつけるつもりなんですね。盗人猛々しいとはこの事です」
「そう思うんなら、ちゃんと自分の寝室に鍵掛けて寝てくれ」
「私は断じて変態の言いなりになどなりません」
「何か論点がズレて来たぞ。それと誰が変態だ」
「どんなに危険であろうとも、エイジン先生と一緒に寝る事だけは譲れません」
「いや、その理屈はおかしい」
「この一ヶ月、『カラダが恋しく』て仕方ありませんでしたから」
「あの晩のセクハラ発言をまだ根に持ってたのか。言い過ぎたよ。悪かったな」
「やはり男を知ってしまうと、独り寝が寂しくなるものなのですね」
「俺はそんなもの教えた覚えはない」
「頭の中はエロ妄想で一杯のくせに、さも『Hな事には興味ありません』と気取り澄ましたムッツリスケベは、バレバレで見苦しいですよ」
「うん、人の悪口って大抵自己紹介になるよな」
「『セルフコントロール』とか言ってましたっけ。一ヶ月位ならそれも可能でしょうが、この先いつまでその『セルフコントロール』が続くか見ものですね。性的な意味で」
「続かなかった場合、被害者はあんたになるんだが」
訳の分からない絡まれ方をしているエイジンは、はぁ、とため息をつき、
「あんたを見てると、遊園地のバンジージャンプで飛ぶ直前に立ちすくんで動けなくなった子供を思いだすよ。下にいる時ははしゃいでいたのが、いざ高い所に来ると怖くなったんだな。結局飛ばずに泣きながら引き返して行ったっけ」
「つまり、『四の五の言わずに、思い切って飛べ』と?」
「違う、『無茶はよくない』だ。身の丈に合った楽しいアトラクションは他にも一杯あるだろう」
「そこは、立ちすくんで泣きじゃくる子供を『大丈夫、大丈夫』と上手く宥めて、きちんと安全装置を着けた後に、恐怖を与えない様にゆっくりやさしく導いて、下手な事を考える隙を与えずに、一気に落とし込んでしまうのがベストな対応ではないでしょうか」
イングリッドはそう言って、エイジンの横顔をじっと見つめた。
エイジンはそんなイングリッドに一瞥も与えず、前を向いたまま、
「犬猫を獣医に連れて行って予防注射をしてもらう時の心構えか」
淡々と茶化す。