▼145▲ 今回の古武術詐欺における根本的な欠陥
召喚された異世界で古武術詐欺を完遂し、騙し取った大金と共に元の世界に戻ってから三十日後、
「で、『ちょっとコンビニにでも行くか』、と外に出た俺が、どうしてまたここにいるんだ?」
エイジン先生は、三十日前に出発したガル家の敷地内の同じ場所に、もう一度召喚されていた。
上は青く澄み切った空に白い入道雲が浮かんでいる八十年代風のイラストが描かれたTシャツ、下はジーンズと白いスニーカーというラフな姿のエイジンの足元には、異世界転移用の魔法陣がしっかり描かれており、その魔法陣の枠の外側では、黒いローブを着たアランと黒いジャージを着たアンヌが、エイジンに向かって二人仲良く並んで土下座をしている。
「申し訳ありません、エイジン先生。送還した直後に、グレタお嬢様に今回の古武術詐欺の件、全て洗いざらい白状させられてしまいました……」
「白状しなければ、私の目の前でアランを逆さ吊りにしてサンドバッグにする、と言われてしまい、他にどうしようもなく……」
頭を下げたまま、心底済まなそうに詫びるアランとアンヌ。
そんな二人を見て、エイジンは怒る気も失せたらしく、
「やっぱお前ら、詐欺師に向いてないわ。人を騙すには性格が善良過ぎる」
と言って、ため息をついた。
「久しぶりねエイジン。大事な仕事を放り出してどこへ行ってたのかしら?」
背後からの気取った声に振り返ると、そこには、肩と胸元がやたら露出している真っ赤なドレスを着たドヤ顔のグレタと、いつものエプロンドレスを着た無表情ながらも口元が微妙にニヤけているイングリッドが立っていた。
「俺は解雇されたはずなんだが。雇い主から約束分の報酬を叩きつけられた挙句、『二度と戻って来るな!』、と怒鳴られてな」
「あら、そうだったかしら? ま、そんな些細な事はおいておいて」
「おくな」
「結局、私はまだ『古武術の奥義』を会得してないじゃない。せっかく一ヶ月も修行したのに、ここでやめてしまったら、今までの苦労が無駄になってしまうわ」
「あんな無意味な修行、一生続けたって何も会得出来ねえよ。『久し振りに童心に帰って公園の遊具で楽しく遊んだ』、とでも思って諦めろ」
「まあ、私を騙したのね、ひどいわ。本来なら契約違反で訴える所だけれど、一応、私を危険な目に遭わせない様に尽力してくれた事に免じて許してあげる。感謝しなさい」
「感謝でも何でもしてやるから、とっとと俺を元の世界に帰せ」
「まだ自分の立場が分かっていない様ね、エイジン。助けられたとは言え、散々騙されてひどい目に遭った私が、あなたを元の世界に、このままタダで帰すとでも思って?」
悪い笑顔を浮かべるグレタ。
「……要求は何だ。土下座か? 靴でも舐めろってか?」
「何を血迷った事を仰いますの? まさか、仮にも異世界からお招きした武術の先生であるエイジン様に、そんな礼を失した事は要求出来ませんわ。武術の先生にお願いする事はただ一つ、『私に武術を教えなさい』、それだけですことよ」
「土下座でも靴舐めでも何でもするが、それだけはお断りだ。私闘に軽々しく武術を用いる様な人間に、俺達の流派の技は断じて教えん」
「『心』が出来ていない者に、自分の武術を教える訳には行かない、と?」
「そうだ、分かってるじゃないか」
「ではまず、その『心』から教えて頂けないかしら? もっとも私は、『婚約者に逃げられて当然のバカ女』らしいので、きっちり教え込むには相当時間がかかるでしょうね」
「それは最後に謝ったろう。根に持つやっちゃな。どれだけ長期間俺を拘束するつもりだよ」
「さあ? 私の気分次第ね。でも、もちろんそれだけの報酬は用意するわよ。とりあえず二千万円追加するわ」
「相変わらず太っ腹だな。あんた一人に武術を教えるだけでそれだけ出せるのなら、俺よりもっといい師範を探した方がいいと思うんだが」
「二人よ。私とイングリッドの分」
「何だと?」
「知らなかった事とは言え、一ヶ月前の非礼はどうかお許しください、エイジン先生」
イングリッドがエイジンの方に進み出て、
「自らを悪者に仕立て上げ、その裏でグレタお嬢様の危機を見事回避された、エイジン先生のその見事な手腕、全く以て感服致しました。そんな訳で、これからは正式にエイジン先生の内弟子として、引き続き身の回りのお世話をさせて頂きますので、どうぞよろしくお願い致します」
丁寧な物言いではあるが、笑いを堪える様に微かに口元を歪ませつつ、エイジンに申し出る。
「俺はあんたの弟子入りを許可するつもりもねえぞ。軽々しく暴力に訴える沸点の低い奴を弟子にする気はないからな」
「ですから、グレタお嬢様同様、どうか私も『心』から教えてください」
「アフリカ象に九九を教える方が早そうだな」
「もちろん『心』だけでなく、『体』の方も教えてください」
「あんたが言うと、変な意味にしか聞こえん」
「一つ屋根の下に暮らすからといって、イングリッドに妙な気は起こさない様にね、エイジン」
グレタがニヤニヤしながら釘を刺す。
「それについては言いたい事が山程あるんだが、話が無駄にややこしくなるんで、ここではやめておく」
「グレタお嬢様、エイジン先生は普段は取り澄ましていますが、その実、とんでもないムッツリスケベですから、どうかお気を付けください。その様な胸元が大きく開いたドレスをお召しになっている時などは特に」
「そうね、イングリッド。エイジンはさっきから、私の胸元が気になってしょうがないみたい。気付かれていないとでも思っているのかしら」
「そんだけ胸元が開いていりゃ、誰でも気になるわ。そういうのがオサレなんだろうと思って、言うのを控えていたが、言っていいか? 前を閉じろ」
「まあ、あなたの言う通りねイングリッド。とんでもないムッツリですこと」
「本音は『両手を掛けてガバッと開けてみたい』、と思っているに違いありませんよ、お嬢様」
「これは俺が逆セクハラで訴えていい案件だよな?」
エイジンは背後を振り返って、
「アラン、アンヌ、もう土下座はいいから立ってくれ。気分が落ち着かん。望むと望まざるに拘わらず、俺はまたあいつら相手に一芝居打たなきゃならなくなった様だ。協力してくれるな?」
「は、はい」
「もちろんです」
アランとアンヌが顔を上げて答える。
エイジンは、再びグレタとイングリッドの方を振り返り、
「よし、分かった。『それが師と仰ごうとする人に対する態度か』、とか、『お願いと言うより脅迫だろコレ』、とか、『セルフコントロールを覚えたのは結構だが、そういう風に悪用するんじゃない』、とか色々ツッコミ所だらけなのはおいといて、あんた達に俺達の流派の武術を一から教えてやる。だが言っておくが、やめたくなったらいつでも修行をやめてもいいんだからな?」
ともっともらしい口調で言い渡すと、
「やめないわよ」
「やめません。ところで、『芝居』って言ってませんでしたか、今」
グレタとイングリッドも、多少引っ掛かりつつではあるが、これに応じ、晴れてエイジン先生を武術の師範とする契約が更新される事となった。
そんな訳で、古武術詐欺師に騙された悪役令嬢とそのメイドは今日も無意味な修行に励んでいる。