▼134▲ 真夜中の脅迫状
その後、「俺がやる」、というエイジン先生の申し出を固辞して、お揃いのエプロン姿のアランとアンヌは、仲睦まじくイチャイチャしながら夕食の後片付けを済ませた。
「お前ら、俺を気遣うと見せ掛けて、本当は将来の新婚生活のシミュレーションを堪能したかっただけだろう」
とエイジンにからかわれ、二人はまた幸せそうに顔を赤くする。
「そうじゃありません、ただ、このままエイジン先生とお別れするのも、ちょっと寂しいなと思いまして」
アランが言い訳をすると、エイジンは笑って、
「ま、そういう事にしておいてやるよ。麻婆豆腐、美味かったぜ。凶悪的に口の中の傷に沁みたけどな」
「本当にすみません。口の中を切っていたのを知っていたら、ポタージュスープにしてました」
「それも美味そうだな。ま、いいさ、元の世界に帰ったら自分で作るから。それと、明日の朝はヨーグルトで軽く済ませるから、もう来なくていいぞ。今日はありがとうな」
「こちらこそ、今まで本当にありがとうございました、エイジン先生。ではまた明日」
「ああ、よろしく頼むぜ」
新婚カップル(仮)を見送ってから、シャワーを浴び、明日持ち帰る物をまとめると、エイジンは寝室の照明をナイトランプに切り替え、ベッドにもぐり込む。
いつも一緒に寝ていると言うより勝手に布団にもぐり込んで来るイングリッドがいない事について特に寂しいと思う様子もなく、エイジンは穏やかな表情でぐっすりと眠った。
しかしその日の深夜過ぎ、エイジンは小さな物音で目を覚ます。玄関のドアが合鍵で解錠された音だった。
その後、ドアが静かに開き、何者かが侵入し、屋内を歩き回る気配がする。
エイジンは静かにベッドから身を起こし、その気配に耳をそばだてた。
侵入者はキッチンの方で何かしている様子だったが、それが終わると、抜き足差し足で静かに寝室の方に近づいて来る。
微かな足音がドアの前で止まると、続いてドアノブが静かに回る。
「イングリッドだな。一ヶ月も一緒に暮らしてると、足音のリズムで分かるぜ」
エイジンが声を掛けると、ドアの向こうで息を呑む気配がして、ドアノブの回転が止まった。
「何の用だ。グレタお嬢様の仇討ちとばかりに、寝入っている俺を襲いに来たのか」
ドアの向こうの侵入者は黙ったまま答えない。
「俺がした事を許せないのか」
やはり答えは返って来ない。
その後五分程、二人で無言劇を続けていたが、
「それとも、俺のカラダが恋しくなったか?」
エイジンがからかう様にそう言うと、侵入者は、ドンッ、とドアに激しい蹴りを一発入れて自身の怒りをアピールした後、今度は遠慮なく足音を立てて寝室から離れ、やがて小屋を出て行った。
エイジンは起き上がると、寝室を出て玄関に行き、ドアを開けて夜の闇に目を凝らす。
遠くの方に、屋敷に戻るイングリッドのエプロンドレスの後姿が見えたが、こちらを振り返る事のないまま、すぐ闇の中へ消えて行った。
「悪かったな。だが、こっちも念には念を入れて憎まれておく必要があるんでね」
そう呟いてからエイジンはドアを閉め、キッチンに行ってみると、テーブルの上にピクニックバスケットと電気ポット、コンロの上に小さな両手鍋が置いてある。
ピクニックバスケットの上には、一枚のメモが乗っており、
『エイジン先生へ サンドイッチとカモミールティーとポタージュスープを用意致しました。朝食にお召し上がりください』
と書いてあった。
「プロのメイドの意地って訳か」
エイジンは軽く笑って続きを読む。
『明日予定していたエイジン先生の世界への同行は、キャンセルさせて頂きます。ご了承ください』
「喜んで了承するぜ」
『転移用の魔法陣の側でグレタお嬢様と共に見送らせて頂きます。その際、どうか一言、グレタお嬢様に暴言を吐いた事を謝ってください。 イングリッド』
「だが断る」
『追伸 もし謝らない時は、今度こそ腕の骨を容赦なく折ります』
メモを読み終えたエイジン先生は、
「本当に最後まで愉快なメイドさんだよ、あんたは」
と言って、大きなため息をついた。