▼131▲ 第四の壁に見立てた天井
「グレタ嬢は破滅を免れ、アラン君は解雇を免れ、俺は大金を持って元の世界に帰る。この古武術詐欺は文句なく大成功さ」
自分の周りの床に散らばった万札を喜々として拾い集めながら、エイジン先生がアランとアンヌに言う。
「それはそうなんですが、やっぱり後味が良くないです。札を拾うのを手伝いましょうか?」
少し表情を曇らせたままのアランが、エイジンに申し出る。
「やめろ。俺を手伝ってる所を誰かに見られたら、共犯を怪しまれる。後味の悪さについて言えば、これは絶対必要な事だから仕方がない」
「どういう事です?」
「前にも言ったが、ここは何だか少女漫画の中の世界の様な気がするんだよ。格闘漫画も何かの間違いで少し混入しちまった様だが。まあ、仮にそういう事にしておくと、この世界でのグレタ嬢の役割はもちろん悪役令嬢だ。ヒロインとその恋人の仲を悪逆非道な手段で裂こうとして、読者のヘイトを一身に集めた後、ヒロインに見事成敗され、読者はそのお約束な展開に『ざまぁ』と溜飲を下げる訳だ」
「まあ、最初にグレタお嬢様が、ジェームズ様とリリアン嬢に暴力を振るったのは事実ですが」
「で、まず『古武術の奥義』をマスターしたヒロインに一撃でやられて男を奪回される一度目の『ざまぁ』の後、性懲りもなく『古武術の奥義』を会得してヒロインに再戦を挑むが、こっぴどく返り討ちに遭って二度目の『ざまぁ』、となる予定だったのだが」
「もう少しで、そのリアルな予想が的中する所でした」
「普通、こんなリアルはねえよ。どこか狂ってるとしか思えんわ、この世界は。話を戻すと、そこに俺が召喚されたのも、悪役令嬢が返り討ちに遭う伏線だ。『実は古武術マスターだと思っていた男は、ただの詐欺師だったのです』って具合にな。悪役令嬢がヒロインに負けるのはお約束とは言え、そこには一応の理由が必要だ。少年漫画ならノリと勢いで何とでも押し切れるが、少女漫画でそれをやると読者がついていけない」
「少女漫画は難しいんですね」
「さて、俺はこの難しい少女漫画の読者の要求に逆らって、グレタ嬢の二度目の『ざまぁ』を何とか直前で回避する事に成功した訳だが」
「少女漫画の読者はそれを許さない、と?」
「ああ、作者に抗議の手紙が殺到し、ひどいのになると、そのページだけビリビリに破かれたものが封筒に入っていたり」
「怖っ」
「そんな訳で作者は、もう一度『ざまぁ』を物語のどこかに入れなければならなくなる。お色気漫画に必ず女の子の裸を描かなければいけないのと同じ理屈で」
「その例えはちょっと」
「この世界はグレタ嬢が何らかの形でひどい目に遭う事を強制し、その大原則に登場人物である俺達は逆らえない。だから俺はそれを逆手に取って、作者と読者の為に別の落とし所を作って誘導してやったのさ」
「騙していた事を全てバラして、グレタお嬢様をひどく揶揄した事がそれですか」
「ああ。悪役令嬢が精神的に傷付けば、返り討ちに遭って物理的に傷付かなくても、ヒロインに感情移入してた読者は大満足で『ざまぁ』だ。ただ」
「ただ?」
「少女漫画の読者の中には、悪役令嬢に感情移入する層が必ず一定数いる。そいつらにとっちゃ、俺のやった事はひどく許しがたい行為かもしれないな」
エイジンは万札を拾い集める手を休めて、稽古場の天井を仰ぎ、
「なあ、今この物語を読んでいる、そこの読者さん。一体あんたはどっち派だ?」
と、芝居気たっぷりに問い掛け、一瞬間を置いてから大笑いした。
意外にヒロイン派と悪役令嬢派を差し置いて、メイド派が大多数を占めるかもしれないが。