▼128▲ 最悪の状況でも笑える奴
「面白いものね。元婚約者のジェームズがリリアンを孕ませたって聞いても、何の感情も湧かないの。動物園のパンダが妊娠したってニュースの方が、まだ興味を引かれるわ」
清々しい顔をして、微妙にひどい言い草のグレタ。
自分の左肩に置かれたエイジンの右手を自分の右手で取り、自分の胸の前に持って来て、さらに両手で包む様にぎゅっと握り、
「これからも古武術の指導をお願いするわ、エイジン。もう期限はないのだから、修行は気長に続けましょう。ゆっくりやった方が効率がいいんでしょ?」
かつての「狂犬」もどこへやら、すっかり「撫でて欲しくて甘える飼い犬」状態のグレタ。
そんなグレタを、すぐ側でイングリッドがちょっと羨ましそうに見ているが、流石にグレタの前でエイジンに、「私も構え」、と痴女モード全開で抱き付くにもいかず、じっと耐えている。
そんな飼い犬二匹が見えない尻尾をエイジンにパタパタ振っている一方で、アランとアンヌはこの事態を素直に喜ぶ事が出来ず、心配そうな顔をしてエイジンの表情を窺っていた。
確かに、一ヶ月に亘った古武術詐欺は、当初の計画通りではないにせよ、「グレタに復讐を諦めさせる」、という最大の難問に関しては見事クリアした。
だが、依然として古武術マスターだと思われたままのエイジン先生は、グレタに非常に気に入られ、もっと言うならばほとんど恋愛の対象にまで上り詰め、元の世界に帰してもらえなくなってしまったのである。
以前、アランがエイジンに、
『この計画には、どこか根本的な欠陥がある様な気がするんです。それが何なのか、はっきりとは分からないんですが』
と、言った事があるが、今やその欠陥が具体的な形をとって現れた。
要するに、
『グレタが、ジェームズとリリアンへの復讐を諦めたとしても、今や大のお気に入りのエイジンを諦めるはずがない』
ということである。
古武術の師匠として召喚して契約した以上、その奥義を会得するまでエイジンを引き留めておく事には何の不思議もない。
とは言うものの、エイジンは古武術マスターではなく古武術詐欺師なのだから、奥義なんて会得させられるはずがない。やれる事と言ったら、無意味な修行をグレタに延々とさせる事だけだ。
だが、それでもグレタは満足だろう。修行が続く限り、ずっとエイジン先生と一緒にいられるのだから。
古武術的には無意味でも、恋する乙女的には大いに意味がある。
だが、エイジン先生にとっては最悪の事態である。元の世界に帰れないまま、ずっとこの世界で古武術詐欺を続けなければならないのだから。
グレタはエイジンに救われたが、グレタを救ったエイジンは救われない。それが今回の詐欺計画の結論である。
いっそ開き直って、この世界でずっと生きていくのもアリかもしれない。元の世界に戻っても哀れな無職だし。
そんな事をあれこれ心配していたであろうアランが、当のエイジンの表情に見たのは、「不敵な笑顔」だった。
視線に気付いたエイジンは、不敵な笑顔のままアランの方を向き、言葉には出さないが、
「何があっても余計な真似はするな。俺の話に合わせろ」
と目で語っていた。
「俺はこの世界で朽ちる気はねえよ。今から、全てを終わらせてやる。詐欺師一世一代のショータイムだ」