▼127▲ 誇り高き悪役令嬢の決断
エイジン先生は、にやけた顔を一秒で元の真剣な顔に戻すと、まだ困惑気味のアランを引き連れて、四つん這い状態からようやく立ち上がったグレタとその傍らに立つイングリッドの元へ、ゆっくりと戻って行った。
心配で居ても立ってもいられなくなったのか、アンヌもエイジンとアランの後に続く。
稽古場の中央で、エイジン、アラン、アンヌの三人と、グレタ、イングリッドの二人が向かい合う形になり、
「明日結婚式を挙げる予定のジェームズ君とリリアン嬢への襲撃は、たった今不可能となった」
まずエイジンが、前置き抜きにグレタにそう言い渡した。
「この私の辞書に『不可能』の文字があると思って? 二人がどこへ逃亡しようと、草の根分けてでも探し出して、この手で叩きのめしてやるわ!」
ヒステリックにグレタが喚く。
「落ち着け。結婚式を前にして、二人は逃げも隠れもしない。それでも君は、もうリリアン嬢を叩きのめす事は出来なくなったのだ」
「勝ち目がないっていうの? もうその話は聞き飽きたわ!」
「そうじゃない。アラン、さっき入った情報をグレタ嬢に説明してやってくれ」
エイジンが横を向いてアランを促すと、
「はい」
困惑した表情のまま、アランは一歩前に出て、
「つい先程、ラッシュ家に潜入させているスパイから報告がありました。それによると、明日の結婚式を前にして、リリアン・ラッシュ嬢は体調の不良を訴え、急遽病院で検査した所――」
そこで少し言いづらそうに言葉を詰まらせる。
「まさか病気で入院して、明日の結婚式自体が中止になるって言うの?」
続きを待ちきれない様子のグレタが口を挟む。
「い、いえ、病気ではありません。明日の結婚式は予定通り行われます」
「だったら、何?」
「実はその、リリアン嬢が妊娠している事が判明しました」
「え?」
「現在、リリアン嬢はジェームズ様のお子を身ごもっているのです」
「な、なんですって!?」
それだけ言って、驚きのあまり言葉を失うグレタ。
一瞬の静寂の後、エイジン先生があえて淡々とした口調で、
「リリアン嬢も可愛い顔してやる事はやっていた、という訳だ。で、誇り高きガル家の令嬢グレタとしては、どうするつもりだ? 妊婦の腹を殴りに行くのか?」
と、グレタに尋ねる。
グレタの表情から驚きが消え、一つ大きなため息をついてから、
「あの泥棒猫のリリアンと裏切り者のジェームズは断罪されてしかるべきだけれど、子供にまで罪はないわ」
「では、明日の襲撃は?」
エイジンがさらに尋ねると、グレタは、フッと笑って、
「その子に免じて中止してあげる。まったくもって、運のいい奴らね」
それを聞いたアランとアンヌは明るい表情になって互いに顔を見合わせ、イングリッドもそのポーカーフェイスを少し緩めて微笑んだ。
こうして、プライドに見合うだけの落とし所を得たグレタは、理不尽かつ無謀な復讐計画を撤回し、結果、返り討ちに遭って重傷を負う危険も無事回避したのである。
「うむ。それでこそ、誇り高きガル家の令嬢だ」
エイジン先生は感慨深げに深く頷き、
「では、今日を以て、私の指導による古武術の修行は終了とする。約束通り報酬をもらって、私は明日元の世界に帰る事になるが、君は引き続き、古武術の奥義の会得を目指して、より一層の修行に励んでくれ」
一ヶ月に亘った古武術詐欺が大成功に終わった事を内心喜びつつ、グレタの肩に、ぽん、と片手を乗せて、笑顔で言い渡した。
しかし、そんなエイジンの喜びを、
「は? 何を言ってるの? 襲撃は中止したけれど、修行はこのまま続けるわよ。私が古武術の奥義を会得するまで、エイジンにはこの世界で私を指導する義務があるじゃない」
グレタは一瞬にして、いとも容易く崩壊させてしまう。
もちろん、グレタに古武術の奥義を会得させる事など出来る訳がない以上、エイジンは永久に元の世界に戻れない。
美術館を荒らしまわって、最後に絵の中に閉じ込められた少女の様に。