▼124▲ 三十秒以上のキス
その後休憩の度に、グレタを説得しようとするエイジンとエイジンに説得されようとするグレタの傍らに、小姑根性丸出しでイングリッドがじっと立って見守る様になり、二人からあからさまに、「お前、邪魔」というオーラを出されても、テレビの前に居座る猫の様に無視し続けた。
「やっぱ、あんた小屋に戻れ」
昼休みの終了後、ついに業を煮やしたエイジン先生が言うと、
「嫌です。グレタお嬢様の貞操を守る為、ここを離れる訳には参りません」
つーんと澄ました顔でそっぽを向き、それを拒否するイングリッド。
「分かってるだろう。説得の時間は今日一日しかないんだ。もし説得に失敗して、明日無謀な襲撃をやらかした挙句、グレタ嬢が大ケガしたら、あんたの責任だからな」
「襲撃するにせよしないにせよ、私はメイドとしてグレタお嬢様の選択を尊重させて頂くだけです」
「それは本当にメイドとして、いや、グレタ嬢の理解者として正しいあり方なのか? まずグレタ嬢の身の安全を考えてやるべきじゃないのか?」
「おや、今度は私を説得する気ですか? 手でも握ってくださいますか?」
イングリッドはこれ見よがしに、エイジンの前に両手を差し出した。
「ここじゃまずい。グレタ嬢に見られたら誤解を招く」
「そうでしょうね。口説き落とそうとしている女性に、他の女性の手を握って何やら真剣な表情で訴えかけている所を見られたら、まずいですものね」
「こっちに来い」
エイジン先生は、悪さをした猫をつまみ出す様に、イングリッドの襟首を掴んで少し離れた所にある植え込みの陰に連行し、
「手を出せ。好きなだけ握ってやる」
と、ぶっきらぼうに切り出した。
「手を握って、真剣な表情で、『俺の言う事を聞け』と囁けば、女性が言いなりになるとでも思っているのですか? 恋愛ドラマの見過ぎですね」
「俺は、恋愛ドラマの時間は裏番組のニュース見てる方だ。とにかくグレタ嬢の説得の邪魔をするな。本来ならあんたにも協力して欲しい所だが、あんたはそれを拒否するだろうし、グレタ嬢の方にしても、あんたまで『復讐を諦めろ』と言って追い詰めたら、悪役令嬢特有の天邪鬼根性を発動して、逆効果かもしれない。あんたは何もせず、中立のスタンスを崩さない方がいいかもしれん」
一気にまくしたてた後、エイジン先生は、
「早い話が、『説得を邪魔するな。黙って見てろ』だ」
と、二言で要点をまとめた。
「分かりました。では、私がエイジン先生の要求を一つ呑む代わりに、エイジン先生も私の要求を一つ呑んで頂けますか?」
「何だ?」
「今、ここで私をぎゅっと抱きしめて、『イングリッド、愛してる』、と甘く耳元で囁いた後、マウス・トゥー・マウスでキスしてください。舌を入れて、三十秒以上。出来ますか、エイジン先生?」
真顔でしれっと言った後、両腕を広げて待ち構えるイングリッドと、呆れて無表情になったエイジンが、しばらく無言のまま顔を見合わせる。
やがておもむろにエイジンはイングリッドに歩み寄り、その体をぎゅっと抱きしめた後、耳元に口を寄せ、
「イングリッド、愛してる」
と、芝居気たっぷりに囁いた後、顔の向きを変え、イングリッドの形の良い唇に、自分の唇をゆっくり寄せて行った。
次の瞬間、イングリッドの右手が反射的にエイジンの口をパッと塞ぎ、
「何をするんです、この変態!」
と、顔を真っ赤にして抗議した。
エイジンはホールドを解除してイングリッドから離れ、
「やれと言ったのはあんただ」
と、真面目くさった口調で答える。
イングリッドはさらに真っ赤になり、
「こういう時、殿方は普通、躊躇するものでしょう」
「もう躊躇してる時間すらないんだ」
またしばらく無言の後、イングリッドは大きなため息をつき、
「分かりました。エイジン先生の説得の邪魔をするのは控えましょう。少し離れた場所で、見張るだけに留めます」
「そうしてくれると助かる」
「ただし、エイジン先生がグレタお嬢様の口の中に舌を入れそうになった場合、遠慮なくその首を絞め落とさせて頂きます」
「流石に、そこまではしねえから安心しろ」
「たとえそれが、上の口であろうと下の口であろうと」
「やかましいわ」
いつものしょうもない戯言で心を落ち着けたイングリッドは、エイジンと共に修行場の方へ戻って行った。