▼119▲ 口説き逃げ詐欺
彼我の戦力差及びこの世界が少女漫画だと想定した場合の主人公補正を考えるに、竹槍で爆撃機に挑む位無謀な悪役令嬢グレタによる新婚ヒロイン襲撃決行まで後二日。
本来ならグレタに無意味な修行などさせている場合などではなく、一刻も早く思い留まる様に説得漬けにでもすべき所を、エイジン先生は何故か終始ほぼ無言を貫いていた。
やがて夕刻となり、その日の修行が終わると、逆にグレタの方から、
「どうしたの、エイジン? いつもみたいに、『復讐を諦めろ』ってしつこく言わないのね。ここに来ていよいよ腹をくくる気になった?」
と、やたら自信ありげに聞いて来た。
「もし、このまま襲撃を決行すれば、君は確実に返り討ちに遭う」
それと対照的に、いつもにも増して重々しい口調でエイジンが言う。
「そんなの、やってみなければ分からないわ」
「襲撃二日前にも拘わらず、まだ古武術の奥義を会得していない時点で、勝つ見込みはゼロだ」
「明日中に奥義を会得するつもりよ」
「この一ヶ月間、俺の言うことをよく聞いて、君は頑張った。が、無理なものは無理だ」
エイジンは真剣な表情でグレタの両手を取り、胸の辺りまで持ち上げて、ぎゅっと握りしめ、
「二日後の襲撃は中止してくれ。師匠として、修行の途中で未完成のままの愛弟子を見殺しにしたくない」
いつもと違う気迫に、グレタは動揺しつつ、
「な、ここまで来て何を」
と抗議しかけたが、
「いいか、戦えば奥義を会得出来なかった君は、奥義を会得しているリリアン嬢に確実に負ける。場合によっては死ぬかもしれない。そんな悲惨な結末が見えているのに、自分の弟子に無謀な戦いをさせる奴がいたら、そいつに指導者を名乗る資格はない」
「し、失礼ね。まだ私が負けると決まった訳じゃ」
「目を覚ませ。あの危険極まる技をその身に受けた君なら、本当は俺の言う事が正しいと分かっているはずだ」
「た、たとえ、分かっていたとしても、こ、この一ヶ月の修行を、無駄にする訳にはいかないわ」
「もう、『復讐なんて無意味だ』とか、きれい事は言わん。俺が嫌なんだ。君が傷付くのを見るのは耐えられない。俺の為に襲撃を中止してくれ」
「な、何を言って」
瞬間的にボッと顔が真っ赤になるグレタ。混乱の余り、握りしめられた両手を振り払うのも忘れ、口をぱくぱくさせているものの次の言葉が出て来ない。
「襲撃を中止してくれるな?」
「い、嫌!」
かろうじて悪役令嬢の最後の力を振り絞り、グレタはエイジンの手を振り払う事に成功する。
「し、心配しなくても、あ、明日中に古武術の奥義を会得してあげるから、見てなさい!」
顔を真っ赤にしたまま、アンヌと共に稽古場の方に去って行くグレタ。
その二人の姿が見えなくなってから、エイジン先生は大きくため息をつき、
「よし、今のでかなりグレタ嬢の信念を揺さぶる事に成功したな。襲撃断念までもう一押しだ」
とアランに言う。
「失礼を承知で言いますが、さっきの会話は、まるでエイジン先生がグレタお嬢様を口説いている様にしか思えませんでした」
イングリッドの件による先入観もあり、エイジンをやや非難する様な目で見詰めるアラン。
「何と思われたって構わねえよ。それでグレタ嬢が救われるなら安いもんだろ?」
「時々、エイジン先生が善人なのか悪人なのか分からなくなります」
「悪人だよ、俺は。でなけりゃ詐欺師なんてやってられねえさ」
エイジンは軽く笑い、
「心配するな。どうせ俺は二日後にはこの世界からいなくなって、グレタ嬢と二度と会う事もねえんだから」
アランの肩を、ぽん、と叩いた。