▼115▲ 丸太と波動と運命の女神
修行の成果を確認する為、グレタに自分の腹を打たせる事を提案したものの、相手が格闘経験者ということもあり、危険性を考慮して事前に色々と細かく注文を付けるエイジン先生。
詰まる所、「痛いからあまり強く打たないでね」、というヘタレなお願いである。
これは決してリアクション芸人の「押すなよ、絶対に押すなよ」という前フリではない。
覚悟を決め腹筋に力を入れて待ち受けるヘタレ指導者を前に、グレタは膝を軽く曲げて姿勢を少し低くし、上体を右に捻って、指を下にした右の掌を腰の辺りに構え、深呼吸を一つしてから、
「ハッ!」
と言う掛け声と共に、腰を捻って右手を鋭く突き出し、エイジンの下腹を掌で打った。
それは注文通り、「打った」と言うよりは、「張った」もしくは「触れた」に近い打撃だった為、もちろんエイジンには何のダメージもない。
「どう?」
と、真剣に尋ねるグレタに対し、
「全然ダメだ。古武術の奥義の会得には程遠い」
自分の言った注文通りに打たせておいて、次にそれを否定するエイジン。指導者としては最悪である。
悔しそうな顔をするグレタに、エイジン先生はもっともらしい口調で、
「何度も言うが、外部から力を加えるのではなく、内部へ波動を伝えるのだ。丸太を打つ時にも、よくその辺をイメージしろ」
訳の分からない事を言って煙に巻き、休憩時間の残りはくどくどと「復讐を諦めて純粋に修行に励め」の一点張り。
腑に落ちない、と言った顔でそれらを聞き流していたグレタだが、休憩時間が終わると、
「丸太の内部へ波動を伝えるのね」
と、こちらも訳の分からない事を呟きつつ、修行装置の方へ戻って行った。
やがて夕刻になり、その日の修行が終わった後で、エイジンはアランに、
「グレタ嬢に腹を打たせた時は、流石にハラハラしたぜ」
と言ったものの、あっさりスルーされ、
「これ、後三日で何とかなるんでしょうか」
エイジンの腹より、そっちの方が心配でハラハラしているアラン。
「世の中は不公平だな。ヒロイン達が結婚式を三日後に控えて祝福ムードの真っ只中にいる時に、俺達悪役令嬢サイドはこれでもかと言う位不安の種が尽きない」
「でもエイジン先生は、あまり不安そうな顔をしていませんね」
「最悪の状況でも笑える奴に、運命の女神は味方するもんさ」
格好いい事言ったつもりで、ドヤ顔のエイジン。
だがもちろん、やっている事はただの詐欺である。