▼01▲ 古武術と婚約破棄
「グレタ、僕と君との婚約を破棄させてくれ!」
唐突に男は別れ話を切り出した。
グレタ・ガルは男の胸倉をつかんで引き寄せ、その美しい顔を任侠映画に出てくるチンピラの様に歪ませて、男の顔に自分の顔を目の焦点が合わなくなる位の距離まで近付けてから、相手をこれでもかと言う位鋭い目で見据え、
「もう一度大きな声で仰って頂けませんこと? ジェームズ」
丁寧にゆっくりと、依頼ではなく、拒絶を意図した脅迫の言葉を口にする。
「婚約を破棄さ、ぶっ」
最後まで言い終わらない内に、グレタの頭突きがジェームズ・ストラグルの顔面に炸裂。
グレタが手を離すと、ジェームズはその場にくず折れる様に倒れ、顔面を両手で覆って悶え苦しみ始めた。ドクドクと鼻血が出ており、イケメンが台無しである。
そこへグレタはしゃがみこみ、ジェームズの髪をつかんで、ぐい、と無理やり頭を持ち上げて、そこに再び顔を近づけ、
「そんなワガママが許されると思ってますの? あなたは私のモノになったのよ。私があの女との決闘に勝ってから!」
「そこまでよ! グレタ、ジェームズから手を離しなさい!」
グレタが顔を上げると、庭園の隅から、そのかつての決闘相手である女が、こちらへすたすたと歩いて来るのが目に入った。
「あら、誰かと思えば負け犬のリリアンじゃない。また叩きのめされに来たのかしら?」
「もう負けません」
リリアン・ラッシュは白いドレスを風になびかせながら、まだあどけなさの残る可愛らしい顔を、不退転の覚悟で引き締め、一歩また一歩とグレタとの距離を詰めて行く。
「面白いじゃない。地面に這いつくばらせて、ヒィヒィ言わせてあげるわ」
グレタも立ち上がり、うつ伏せにひしゃげたジェームズの背中をわざと踏みつけてから数歩前に出、深紅のドレスを風になびかせつつ、近付いて来る相手に対して体をやや斜めにして立ち、両手を軽く前に出して構えた。
リリアンが間合いに入った瞬間、素早くつかみかかろうとするグレタより一瞬早く、少しかがんだリリアンは、指を下に向けた右の掌で、相手の腹を軽く突く。
「がはっ!」
その瞬間、突かれた部位から波紋が広がる様に、痺れる様な激痛がグレタの全身に急速に広がった。
仰向けにばったりと倒れ、殺虫剤をかけられたゴキブリの様にピクピクと痙攣するグレタ。
「大丈夫、ジェームズ!?」
「リリアン! これは一体?」
「異世界から召喚した人に、古武術を教わったの! これであなたは自由よ!」
リリアンは顔面血だらけのジェームズを抱き起こし、そのまま二人で仲睦まじく寄り添う様にして、ガル家の庭園を去って行った。
「異世界の……古武術……ですって……?」
体の自由が効かないまま、無様に引っくり返っているグレタが、苦々しげに呟く。
悪役令嬢の証である、ご自慢の金髪縦ロールが風にそよいで揺れていた。