6.さらばライトノベルの光
ゆらゆらと身体が揺れる。
それはハンモックのように心地のよいものでは決してなくて。
非力な者に、懸命に運ばれているような感覚。
でも、そこには確かに、人の温もりを感じられて。
そこで俺は、うっすらと目を覚ました。
前に広がるのは、廊下だ。
学校の廊下をゆっくりと進んでいる。
俺の足は動いていないのに。
誰かに肩を担がれ、ズルズルと引きずられている。
「起きたんなら、少しは自分で歩きなさいよ」
顔の側から声が聞こえた。
聞き覚えのある、どこか懐かしい、女子の声。
「あー……いいじゃん。もうちょっと寝かせて」
「はぁ? なに調子乗ってんのよ」
深紅の髪を揺らす彼女に、コツンと頭突きされてしまった。
それに俺は、思わず笑ってしまう。
「……久しぶり、こがね会長」
「久しぶりね。受験前に解散して以来かしら?」
どうやら彼女的にも、優等生モードでの再会はノーカンのつもりらしい。
口調もすっかり崩れて、3-4教室での面影はまったくない。
あの頃と同じだ。
「で、これは一体どういう状況なんだ?」
「途中であんたが気絶したから運んであげてるの。感謝なさいよ」
「……えーと、何があったんだっけ?」
「覚えてないの?」
「こがねの悲鳴聞いて、助けようとして返り討ちにあってから先はまったく」
「しっかりと覚えてるじゃない」
呆れたようにため息をつくこがね。
ばつが悪そうに顔を伏せている。自分が泣きわめく姿を見られたのが、相当恥ずかしかったのだろうか。
「……みっともない姿を見せたわね」
「それはお互いさまだろ。俺なんて自分のゲロに顔突っ込んで気絶したんだぞ?」
「うんまあ、確かにアレよりはマシだけど」
「……おい、せっかく励ましたのにカウンターで返すんじゃねえ」
軽口を叩きつつ、さりげなく自分の顔に触れてみる。
吐瀉物はついていなかった。
前髪の先が少し湿っている。あのあと濡れタオルか何かで、彼女が顔を拭いてくれたのだろう。
……ちょっと迷惑をかけてしまったな。
「……ありがとな、助けてくれて」
「お礼を言うのはこっちよ。……あと謝罪もさせて。教室でのこと、本当にごめん……」
「こがねは悪くねえし、いいよ。てかそれよりあの三人は? ……まさか、おまえ」
「大丈夫、襲われてないわ。あんたが気を引いてくれたおがけで撃退できた」
「撃退って、どうやって?」
「コレよ」
そう言って、彼女は得意気にあるものを取り出した。
それは手に収まるサイズの真っ黒な楕円体で、上端にはピンが刺さった、
「しゅ、手榴弾!?」
「そう。このピンを抜くと、爆発的な音で相手を牽制できるの」
「……型の防犯ブザーか」
なんか驚いて損した気分だ。
というか、せめてそこは何かしら魔術的な方法であって欲しかった。
ただの個人的願望だけど。
「音を鳴らしたときの奴ら、マヌケだったわ。誰も来るわけないのに、大慌てで退散して……っツ!」
「お、おい大丈夫か?」
突然こがねは足を止め、苦悶の表情を見せた。
さっきから息も上がっている。殴られたのは俺だけじゃないし、そのあと俺を担いで逃げたのだから当然か。
ひとまず廊下の隅に移動し、並んで床に腰を下ろす。
少しだけ、彼女の表情に安堵の色が戻った。
「……ごめんね。ちょっとだけここで休ませて」
「ちょっとと言わず、気がすむまで休もうぜ」
どうせもう校舎には誰もいない。
下校していないのは俺達だけなのだから。
時計の音すら聞こえない、静寂な時間が過ぎていく。
その中で、俺はあることを思い出した。
彼女にまだ、もう一つのお礼を言っていない。
「その……ありがとな、俺の味方になってくれて。あんなに熱のこもったこがねは初めて見たよ。……正直、うれしかった」
「別に、本心を言っただけよ。あんたを尊敬しているのは本当だし」
淡々と語る口調とは裏腹に、彼女の頬は赤かった。
多分鏡を見たら、俺も似たような表情だったと思う。
「人様に迷惑をかけるのは褒められたことじゃないけどね。でも、自分に正直に行動したり、好きなことを貫けるって凄いと思う。……簡単にできることじゃないよ」
「……そいつはどうも」
「だから一つだけ言わせて」
そんな前置きのあと、彼女は俺の顔をジッと見つめて、
真剣な表情で告げる。
「はじめは、今でもラノベの世界が存在すると思ってる? 魔法とか、異世界とか。高校の間、ずっと主人公になりたいって言ってたけど……それは今でも、本当になれると思ってる?」
「…………」
「……迷ってる、って表情ね。別にそこはいいのよ。高校卒業したら夢を諦める、なんて言ってたから、どう思ってるのか聞きたかっただけ」
「でもね」と、こがねは口調を強めて、続ける。
「もし、今でも魔法や異世界は『ある』と信じているなら……年齢や世間体だけを理由に夢を諦めたりはしないで」
「…………それって」
「もちろん、『ない』と思い至ったのなら、諦めるのも立派な選択肢の一つよ。そこのところ、ハッキリさせて欲しいの」
こがねの言葉が、俺の心に重くのしかかる。
とっさに考えがまとまらない。
だから俺は、頭に浮かんだ答えを、そのまま口にした。
「……大学生になったら、もうラノベの主人公になんて」
「大学生だからなんだって言うの?」
「……そのあと社会人になって、おっさんになって、定年になって……。なりたかった主人公からはどんどん離れて」
「だから、おっさんやじいさんだとラノベの主人公になれないだなんて、誰が決めたのよ?」
「……何言ってんだおまえは?」
転生ものならまだしも、ただのおっさんがおっさんの姿のまま活躍するファンタジー作品なんて、見たことも聞いたこともない。
ライトノベルのジャンルとしては、ナンセンスだ。
「おっさんがラノベの主人公になれないなんて、当たり前だろ。もうそんな無謀な夢を見る年じゃない。もっと現実を見ないと」
「ラノベの世界が現実じゃない、と心のどこかで思うのなら、その通りね」
「………………あ」
その一言に、俺はハッとした。
俺は本気でラノベ展開を求めていた。全力で夢を追い続けていた。
そこだけは、今でも胸を張って誇ることができる。
だけど……心の隅では、どこかファンタジー世界の存在に懐疑的だった気がする。
どうせ叶わない夢だって思いながら、いつからか俺は、ただ現実逃避のために形だけの夢を語っていた。
それを思い出させられたからだ。
「私はね、この世界に魔術はあるって本気で信じてるよ。だからそれを手にするまでは、おばさんになろうが諦めるつもりは微塵もない。だって現実的な夢を追うのなら、年なんて関係ないもん」
「…………」
「よく巷に『人生という物語の主人公は自分だ』なんてクッサイ言葉あるけどさ。それも悪くないんじゃない? おっさんになってからファンタジーの力に目覚めたのなら、上等よ。それがあんたを主人公にした、どんな作家にも書けなかったライトノベルなんだから」
こがねは頭を壁に預けて、笑った。
もう彼女の息は上がっていない。
ただ前を向いて、自分の気持ちを確かめるように口にする。
「私ね、大学行ったらまたオカ研立ち上げようと思うの。お遊びのサークルとは違う、本気の本気で超常現象を探る集まり。魔術の研究したり、心霊スポットを調べたり、異世界へ行く方法を探ったりね。高校より自由度も広がるし、今から楽しみだわ」
「……ちなみにその髪は?」
「もちろんこのままよ。もう隠したりなんかしない。いくら周りに嗤われても、〝偽りの私しか認めない友達〟なんかいらないもの」
未来を語るこがねの表情は、輝いていた。
それは、今までオカ研の活動中にも見たことがないほど、すっきりしていて。
不意に彼女は、「ところで」とこちらに視線を向けた。
「はじめの進学先って、どこだっけ?」
「能円大学。平均よりはるか下のシケた私大だよ。一流国公立のおまえとは大違いだな」
「てことは最寄り駅は同じ方向よね?」
こがねは何か思案するそぶりを見せると、不敵な笑みを浮かべて、
「ねぇ知ってる? 大学だと他校生同士でサークルを作ることもできるらしいの」
「みたいだな。……んで、さっそく勧誘する気か?」
「まあね。でもその前に入会試験よ」
いたずらっぽく、人差し指を立てて俺に告げる。
「質問はただひとつ。さっきの問いに答えて。
『あなたは魔法、異世界、秘密結社、能力バトルなどの存在を信じますか?』」
「……そんなもの」
答えなんて一つしかない。
それは俺が18年間歩んだ道そのもので。
残りの人生をすべて賭けても惜しくない野望なのだから。
「『ある』。いや……『なけりゃ作る』までだ」
「はい合格。それじゃあ……」
彼女はニヤリと微笑んで、隣から拳を突き出してきた。
それに俺は、同じく拳を小さくぶつける。
俺はもう、ライトノベルに淡い光を求めたりはしない。
その代わり、これからは確固たる目標として、
俺達は青春最後の一ページに、誓いを立てた。
「期待してるわよ、相棒」
「上等だ。その言葉、そのまま返してやる!」