儚いピアノの美しい旋律
ここは、病院のロビー。
俺の彼女、陽菜を載せた車椅子は、病院にある唯一のピアノのもとへやってきた。
陽菜が軽やかに指を動かすたび、優しくも切ない旋律が流れる。
薬が出されるのを待って、ソファーに座っているお年寄りのみならず、仕事中の看護師も、つい仕事の手を止め、陽菜のピアノと美しい歌声に夢中になっている。
……当たり前である。
陽菜は、デビューして一年で、ミリオンヒットを十曲以上も記録した、かの有名な歌姫「HINA」である。
しかし、有名人ほどその寿命は儚く、陽菜は重い白血病により、この柏木病院に入院している。
余命もわずか一か月と宣告され、一日、一日を大切に過ごしているのだ。
今日も、大切な彼女である陽菜の願いを叶えるため、病院の許可を取り、ピアノを奏でに来た。
陽菜にとって歌うことは、病気を和らげる薬のようなものだ。
――陽菜には、最期まで思い切り歌ってほしい――
これが俺の、ただ一つの願いである。
陽菜の歌の、最後の旋律が流れる――
あれ、いつもと歌詞が違うような……
♪あなたに届けたいこのメロディ♪
♪拙い曲だけど♪
♪サヨナラなんて言わないよ♪
♪だって……いつも……傍に……♪
♪ヤ ク ソ ク……♪
ジャ―――――――――ン
「!!」
一瞬、何が起きたかわからなかった。
曲が終わると同時に前のめりになる陽菜。
大きな音がしたかと思えば、誰かが病院の先生と話している。
「先生、早く、こっちです。陽菜さんが……早く」
「キミ、早くその手をどかしなさい。おい、担架をこちらへ。すぐにオペ室へ。急いで」
ガラガラ……ガラガラ……
車輪付きの担架がこちらに運ばれてくる。
「おい……う……嘘だろ……冗談だよな」
俺は陽菜を抱きかかえ、声になっていない、呻き声のようなものを絞り出す。
「なぁ、返事してくれよ……いつもみたいに、太陽のような笑顔で嘘だと言ってくれよ……」
瞳から溢れ出る水滴が口に入り、すごく話しにくい。だが、ここで喋ることを止めてしまえば、なぜかいけない気がした。
「目を開けてよ……お願いだから……陽菜ぁ……」
必死に陽菜に呼びかけるも反応はなく、先生たちの手によって担架に乗せられ、俺のもとから離れていく。
最後の歌詞がいつもと違ったのは、このことを悟ったためなのか、もはや聞くことも叶わない。
「陽菜ぁ――陽菜ぁあぁああ――――」
去っていく担架を見つめ、俺は喉が潰れるほどの大声で、陽菜の名前を叫び続けた。
俺の叫びもむなしく、陽菜が目を覚ますことはなかった――――