表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

Little Wing2

作者: 草薙仁郎

安穏な日々の終わりは、不意に訪れた。

基地中の赤色灯が光を放ち、敵襲を知らせるサイレンが鳴り響いている。僕とクレハは廊下を走っていた。状況を知らせる緊迫した声がスピーカーから流れる。

『敵襲!基地北東より敵編隊、推定四大隊規模!出撃可能な戦闘機は全機即時出撃せよ!繰り返す―――』

走り出ると、すでに滑走路にはありったけの戦闘機が引き出されていた。自機に駆けより、ラダーを駆け上がる。ヘルメットをかぶる。無線を開くと、すぐに交錯した通信が流れ込む。その中を一つの声が割った。

『きこえるかい、ふたりとも!』

エトウ少佐の声だ。

『状況は最悪だ。詳しいことは余裕があったら説明する。とりあえず上がってくれ、特殊推進装置の使用を許可する!』

『了解、離陸します』

翼下ハードポイントには対空ミサイル十八発と20㎜ガンポットが二連装されている。作業を終えた整備士が離れるのを待って、キャノピーを閉じる。カバーを開き、中のスイッチを切り替える。

『特殊推進装置に切り替え、リトルウィング機体との接続完了。いけます』

『了解。がんばってくれ、クレハ。離陸する』

キーを捻ると、エンジン音はなく、光が満ちた。ちらりと目をやると、機体の下に巨大な魔法陣が広がり、光を放っている。スロットルを一気に押し込み、すぐに操縦桿を限界まで引く。機体は一瞬重力を無視し、垂直に浮かんだ後、凄まじい勢いで直角に上昇した。特殊推進、妖精の真骨頂。妖精を機体と直接リンクさせ、思念結晶のエネルギーで機体を動かす。妖精のエネルギーを代償に常識を無視した機動やありえない加速が可能にする。特殊兵装とともに、数少ない特殊戦が戦線を維持する一要因になる理由だ。

 一気に雲の上に出る。

『ポイント47を敵一編隊が進行中、速力800』

スロットルを全開まで開き、一直線に飛ぶ。やがて機体の広域レーダーに機影が映り始めた。

『脅威、十数機確認。会敵予想、一分後』

敵編隊の後ろにまわりこむ。長距離ミサイルで四機をロック。発射ボタンを押すと、四本の白い尾をひいてミサイルが発射された。間髪いれずに対空魔導弾に切り替え、機体の両脇に展開した魔法陣から光の槍を放つ。敵が散開して回避する。二発のミサイルと二発の魔導弾が命中し、一発のミサイルが至近弾で敵機の片翼を吹き飛ばした。爆発。破片が舞う。回避した残りを追って、機関砲の二重奏を浴びせる。かなり反動のある機関砲だが、でたらめな出力で相殺する。特殊兵装はなるだけ使わないようにし、20㎜で打ち落とす。翼を砕かれ、コクピットを撃ち抜かれて敵機が沈んでいく。八分ほどで、一編隊を全滅させた。

『ポイント43付近の掃討を確認。北東35で交戦中の部隊の援護に回ってくれ』

『了解』

『ガンポット、残弾232発。対空ミサイル残り六発』

休む間もなく飛び続ける。遠くからでも黒煙や機銃の火線が見えた。かなりの数だ。

『くそっ、数が多すぎる!』

『フォックス2、フォックス2!』

『食いつかれた、助けてくれ!』

通信はどなり声が途切れない。高空から急降下する。見方が一機、後ろにつかれている。追う敵機の真上を狙う。やや角度が悪かったが、操縦桿を押し込んで無理やり機首を向け、トリガーを引く。二条の火線が敵機を捕らえた。

『なんだ、あいつは!ありえない……』

特殊戦闘機(シルフィード)か……』

味方のパイロットからも驚愕の声が漏れる。

『各機へ、こちらヘリオス1。援護する、両翼から挟み撃ちにしろ!』

『な……了解』

ミサイルと機銃弾が飛び交う中を駆ける。こちらを狙ってくるミサイルは全て速度で振り切る。幸いにも旧式のものだ。味方も数機落とされたが、敵機はそのすべてが味方の銃火にかかって堕ちていった。

『ヘリオス1、周辺の敵編隊は撤退を開始した模様。貴機は基地周辺の警戒にあたれ』

『ヘリオス1、了解』

通信を聞く限りでは、味方の増援が追撃しているらしい。進路を基地のほうに戻し、高度を上げる。空になったガンポッドを投棄した。

『クレハ、大丈夫?』

荒い息遣いが聞こえてくる。

『……大丈夫……です。まだ、いけます』

推進系も補助系もフルで使っていた。消耗しないはずがない。

『このまま撤退してくれるといいんだけど……』

『はい……にしても、規模のわりにはあっさり退きましたね』

『そういわれてみればそうだね。まあ周辺基地からも味方が集まってるから、退いてもおかしくはないんだけど』

漠然とした不安をおぼえながら基地の北東にむかっていたときだった。

『……は……を防衛……くりかえす……イント25に敵襲……』

ノイズがひどい。

『敵のジャミングです、強力な電波妨害が……』

『まさか、基地が?!』

慌ててスロットルを全開にし、基地に向かう。とレーダー画面の基地よりも西側に、次々と輝点が現れた。

『な……これは……』

『探知が安定しない……ステルスです!たぶん中規模編隊、南西に向かっています!』

『そっちが本命か!』

全力でそちらに向おうとするが、

『待ってください!』

クレハが叫ぶように言った。

『北からさらに敵の増援です!そんな……なんて規模……』

レーダーはジャミングで半ば白色に塗りつぶされていたが、無事な部分には輝点が大量に固まっている。実際にはそれに数倍する敵機がいるはずだ。こちらの増援は期待できない。ほとんどすべてが追撃にまわされている。ジャミングで救援妖精も届かないだろう。だが………

『やるしかない、か』

『はい……。せめて足止めだけでもできれば………』

旋回し、敵大編隊に正面を向け、高度を上げる。スロットルを押し込み、最大限の加速。

『来ます!十二時方向、敵機多数!』

すでに肉眼でも無数の点が確認できた。いくつかの編隊に分かれている。左翼の一群にむかって突っ込む。ばら撒かれる機銃弾を機体を捻ってかわす。一群を突っ切り、機体を背面にして操縦桿を引く。円を描くように、お互いの背後をとろうと旋回する。すれ違い、敵機をかわしながら戦場を観察する。旧式機と新型機の混成部隊だ。ロール、急旋回。性能に劣る旧型は無視し、新型機を狙う。右旋回、一瞬直線、上昇。ミサイル警報が鳴り止まないが、いちいち対処していてはきりが無い。とにかく全速で急な機動をとりつづける。回避の遅れた一機をミサイルで落とす。その間にも背後からは二機が迫っている。曳光弾が両脇をかすめる。当たりはしないが、巨大な運動エネルギーを受けた砲弾が放つ衝撃波が機体を揺さぶった。無理やり制御し、狙いをつけた敵機を追う。しかしそれは容易ではない。追いすがる敵機をよけるためのシザース機動をとりながら、ミサイルを放つ。とてつもない数の敵機に囲まれてはいたが、速度と機動で勝ることのアドバンテージは大きかった。ミサイルの発射炎と機関砲の火線で彩られた空を飛び続ける。もはや完全に囲まれ、退路を断たれていた。このままではいずれ落とされる。右翼端をわざと失速させ、強引に左旋回。飛び出した二機を残ったミサイルで撃墜する。

『ミサイル残弾なし、周辺の残存脅威、約五十機っ!』

無線越しでもかなりの荒い呼吸が伝わってくる。限界が近い。高度を上げて振り切ろうとするが、いかんせん敵が多すぎる。つねに三機以上にはつかれている状態だ。首を捻って背後を見たとき、視界の端に引っかかったものがあった。

『クレハ、高高度になにかいないか!?』

『高度二万に固定翼機が四機、電子戦機です!』

このジャミングを発生させている張本人。あれさえ落とせば、無線が回復する。そうすれば救援も見込めるはずだ。

『電子戦機を撃墜後、全力で退避する。クレハ、もう少しだけがんばってくれ』

『了解…平気です……』

そう言ってはいるが、もう相当無理していることはわかる。だが、やるしかない。

スロットルを最先端まで押し込み、降下しつつのバレルロールで振り切る。そこから今度は急上昇し、二万メートルまで駆けあがる。かなりの角度でバンクし逃げようとする電子戦機の横腹を、光弾の連射で食い破る。もうう一機に機首を向け、誘導弾で機首部分を撃ち抜く。

下方から戦闘機が追ってくる。ストレーキから放たれる魔導弾が三機目の左主翼を大きく抉った。同時に、背後からミサイルが放たれ、警報が鳴り響いた。左右に機体を振り、フレアを射出する。五百度を超える熱源に欺瞞され、ミサイルがあさっての方向へ飛んでいく。何条もの機銃弾を紙一重でかわす。いったん降下して速度を上げ、最後の一機の腹の下を狙う。トリガー。光の槍が機体を貫いた。

やったか。そう思ったとき、

『ハク!』

悲鳴が耳を打つと同時に、機体が激しく揺れた。ロールし、なんとかかわそうとする。が、かわしきれずに、数発の弾丸が尾翼と胴体に穴を穿った。

「くそっ」思わず悪態をつき、旋回する。背面で上昇から倒れこむ。だが死角から一機が迫り、機関砲を斉射した。今度は胴体、下腹に食らう。一発ごとに凄まじい衝撃。なんとか立て直そうとするが、

『左エンジン停止、出力保てません!』

もはや攻撃を度外視した旋回降下でなんとか逃げようとするが、さらに一連射を右主翼に喰らった。撃たれた箇所から黒煙が上がっている。まだ堕ちていないのが不思議なくらいだ。止めをさそうと、敵機が舞い降りてくる。

『……ハク』

クレハが静かな口調で言った。

『あなたは、死なないでください。絶対に。……私が、助けますから』

『クレハ……?』

次の瞬間、異様なことが起こった。ほぼ推力を失っていた機体が浮き上がった。コクピットに強い光がさした。みると、機体を取り囲むように巨大な魔方陣が広がっている。わけがわからないが、とにかく回避行動をとる。ダメージを全く感じさせない、とてつもない機動力だ。敵は一瞬戸惑ったようだが、すぐに追ってきた。前方からも、覆いかぶさるように敵が集まってくる。やはり無理か………そう思ったとき、機体から放たれている光の粒子に気が付いた。

『クレハ!?これはいったい……』

『私はあなたのリトル・ウィングです。あなたを、守ります』

通信が切れる。次の瞬間、閃光が放たれた。目を開けていられないほどの光はすぐにおさまり、後には爆発四散する十数機の敵の爆炎が残った。あっけにとられていると、レーダーサイトに味方の増援が映し出された。

『クレハ、応答してくれ!クレハ!』

呼びかけても返事が無い。味方機とすれ違う形で機首をかえし、基地に向けた。魔方陣の光は徐々に弱まり、それにともなって機体の揺れも激しくなってきた。基地上空まで飛び、なんとか着陸しようと高度を下げる。もはやエンジンは停止し、惰性で飛んでいる状態だ。やり直しはきかない。滑走路に進入しようとして気付いた。

「基地が……!」数箇所からは煙が上がっていて、滑走路にも損傷があちこちにあった。高度も高すぎるが、脚を出す。急減速し、強引に主脚を下ろす。しかし機体が水平になっていなかったためにバウンドし、姿勢が前方に傾いだ。その勢いのまま脚が折れ、火花を散らしながら滑走路に突っ込んだ。破砕音と衝撃を繰り返し、ようやく機体が停止した。キャノピーをもどかしく思いながら開く。後席のクレハを見ると、全身が淡く発光していた。それもやがて収まり、クレハの体が座席に崩れ落ちた。あわてて脈をとり、呼吸をみる。死んではいないらしい。クレハを抱えたまま飛び降り、官舎に走った。基地内の医務室に飛び込むと、中は怪我人でいっぱいだった。みんなが驚いた顔でこちらを見る。奥から医官とともにエトウ少佐が出てきた。

「ハク少尉!クレハ!」

少佐が青ざめる。

「死んではいないみたいです。とりあえず。どこか……」

言いかけたが、それより早く少佐が言った。

「わかった。ここはいっぱいだから、司令室に運んでくれ。寝具を融通してもらう」

医官といっしょに司令室にクレハを運び、布を敷いた上に横たわらせる。診察していた医師が、大きな外傷もなく、呼吸も安定してる、と言った。「急にどうこういううわけではないと思います。もっとも、あとで技官を呼んできたほうがいいでしょうが」

僕は少し安堵した。扉が開き、エトウ少佐が入ってきた。よく見ると、片腕に包帯が巻かれている。

「基地の被害はどの程度ですか?」

「よくないね。ここは攻撃目標じゃなかったらしいから、狙いも甘かったし、通常爆弾をばら撒いていったくらいなんだけど、格納庫が一つと滑走路がやられた。それに、出撃した機体も半分が落とされた。死傷者がいなかったのは不幸中の幸いだけど………」

ぎゅっと唇をかみしめる。

「すまない、私のミスだ。安易に動きすぎた。私が少しでも兵力を残していれば、あんなことには……」

いや、司令の判断は決して間違いではない。あれだけの規模の侵攻なら、全兵力を投入しても決しておかしくない。実際、周辺の小規模基地はそうしただろう。そう思ったが、口には出さなかった。少佐も、それはわかった上でなのだろうから。僕に言えることは何も無い。黙ってきびすを返し、部屋を出た。

 コノハはどうしたのだろうか。少佐が何も言ってなかったから、少なくとも無事なのだろうけど。どこにいるか聞いてくればよかった。外に出ると、地面に穿たれた穴や、破壊された建物が目に付いた。第二格納庫がわずかな残骸を残して吹き飛ばされていた。あたりには破片が散らばっていて、靴の下でガリガリと音を立てた。

整備場のいつものデスクにイブキはいた。珍しくモニタの電源は落とされている。机の上に置かれた灰皿には煙草が山になっていた。僕を認めると、吸っていた煙草を灰皿に押し付けた。

「さっきおまえの乗ってたやつを見てきたよ。ありゃダメだ。完全にいかれてる。よくあれで基地まで戻れたもんだ。クレハ嬢は?」

僕が答えると、イブキは顔をしかめて新しい煙草を捻り出した。

「そうか。おおかた力の使いすぎだろうが……もしかして、特殊兵装と推進以外になにかしなかったか?」

僕はあの閃光の話をした。それをきくと、イブキは少し驚いた顔をした。

「本当か、それ。あの機体でそれを……」

なにやらぶつぶつと呟いている。

「あれはなんだったの?それにクレハは……」

「あれについては聞くな。以前言ったろ、説明がつかないって。ただ彼女がおまえを守ろうとした、それだけだ。後で容態を見に行ってはみるが……十中八、九、思念結晶のエネルギーが不安定になってる。だから、活動を止めてる。ようは、しばらくは眠り続けることになる」

くわえた煙草に火をつけ、不味そうにふかした。

「……悪い。正直、どうにも出来ん」

胸のうちが冷たくなった。とてもいやな感じ。だが奇妙なほどに、表面は落ち着いていた。僕はコノハはどこにいるかたずねた。

「医務室にはいなかったから無事だとは思うが、どこにいるかは……基地も混乱してるしな」

僕はなんとなくそこにいるのではないかという気がして、第三格納庫に足をむけた。

コノハはそこにいた。壁から張り出している細い足場に腰掛けていた。みたところ、怪我などはなさそうだ。

「よかった。大丈夫?」

コノハは頷いた。梯子を降りて、こちらに歩いてくる。

「ハクは、けが、してない?」

「ああ、無事だよ」

そう、と言ってコノハはあたりを見回した。そして、

「クレハは?いっしょじゃないの?」

と尋ねた。僕は……答えられなかった。黙ってしまった僕をみて、コノハが不安そうに僕の名を呼ぶ。

「………ついてきて」

その一言だけをなんとか口に出した。

 コノハを伴って司令室のクレハのところまで行く。横たわったクレハにコノハが駆け寄った。

「クレハ……!」

クレハの顔に小さな手をのばす。幼い顔が悲しげに歪んだ。僕はかたわらにあったイスに崩れるように座り込んだ。

「すまない……」

その一言がこぼれ出た瞬間、理性の膜で覆われていた自責の念があふれた。

「すまない……」

顔を伏せたまま、もう一度そう繰り返す。僕のせいだ。僕が共にいながら、クレハを守ってやれなかった……。あのときこうしていたら、ああしていたらという意味の無いifが浮かんでは消える。

コノハはしばらく黙っていた、その表情はわからない。だが、やがて言った。

「………少し前に、クレハが話してくれた。私はハクを助けるためにあるんだって。ハクの、リトルウィングだから、ハクを守るんだって」

小さな手が頬に触れた。

「空でなにがあったかは、知らない。でも、これはクレハが望んだこと。わたしは、そう思う」

目じりから熱いものが流れ出した。それはコノハの手にも伝い落ちた。コノハは不思議そうにそれを見た。それから、おずおずと僕の頭を抱いた。

 しばらく、そうしていた。感情の奔流が、徐々に収まってくる。コノハが頭に回していた腕をはずした。顔を袖でぬぐい、頭を上げる。一度声を出そうとして咳き込み、言い直す。

「クレハがどうなってるか、わかる?」

「前にいたとこの子たちと、同じ。ただ眠ってるだけ。でもあの子たちとちがって、胸の奥は眠ってはいない。けど、光がとても弱くなってる」

前に聞いたときはよくわからなかったが、今はなんとなくわかった。胸の奥というのは、まさに胸の奥にある思念結晶の核のことだろう。イブキの言っていたこととも一致する。

「ハク」

コノハが静かに言った。

「大丈夫。きっと目を覚ます」

不思議とその声には、いつもの幼さを感じなかった。


 あの大規模攻撃は、帝国側にとっても捨て身の作戦だったらしい。迎撃で多数が撃墜された上、手薄になった拠点に公国軍が侵攻し、帝国軍は一時後退している。被害を受けた地方を囲むように防備が強化され、戦線は基地から遠ざかっている。

 整備士と技官たちは基地の復旧に忙しく走り回っていた。とりいそぎ滑走路が応急処置され、一応の発着は出来るようになった。作業はいくらでもあり、人手は不足していたので僕も雑用を手伝っていた。あのイブキさえ、モニタの前を離れて工事の陣頭指揮を執っている。

 第二格納庫に収容されていた天雷は、やはり格納庫ごと粉々に砕け散っていた。現在、完全に破壊された建物は後回しにされているので、機体の焼け焦げた破片が吹きさらしになっている。作業の合間に、イブキに残った機体はどのくらいあるのか聞いてみた。

「だいたい四分の一だな。爆弾が運悪く駐機場に何発か落ちた。第一格納庫に置いてあったのは全機無事だったが、帰投してきた機体は損傷がひどくて破棄したのもある。実際飛べる機体はもっと少ない」

「第三格納庫にあるあの機体は何?」

「あれか………」

イブキはくわえた煙草を大きく吸い、ゆっくりと吐き出した。

「ハク。あの機体には乗るな。絶対に乗るな。命令されても拒否しろ。いいか、絶対にだめだ。わかったか」

いつになく厳しい口調に驚いた。

「理由は?」

イブキは目をそらし、答えなかった。


 示された書類には、不鮮明な写真が載っていた。細部はぼやけてよくわからないが、漆黒の巨大な全翼機がとらえられている。

「昨日、戦闘のあった前線基地から送られてきた写真だ。帝国の新兵器らしい。交戦した部隊は―――全滅した。それも新型のSu‐31の部隊が、だ」

エトウ少佐が書類を繰る。

「これの撃墜命令が出ている。他を差し置いてもこの任務を優先せよ――今の戦況を鑑みれば、当然だな。ここに限らず、先日の攻撃にあった基地の迎撃戦力は激減している。戦略爆撃を防ぐ手立ては無いからね」

「………わかりました。でも、全体ブリーフィングで言えばいいのでは?」

呼び出された司令室には僕一人しかいない。急に放送で呼び出されたのだ。

「それに、この基地にも飛べる機体はそんなに………」

「わかっている。それに今回は――君だけに飛んでもらうことになるよ。少尉」

「僕だけ、ですか?」

「ああ。いや、作戦自体は大規模なものだし、君一人というわけではない。この基地からは、ということだ」

 少佐はデスクの引き出しを開け、中から煙草の箱とライターを取り出した。一本捻り出してくわえ、火をつける。

「煙草、吸われたんですか」

「普段は吸わないよ。たまに、ね」

ゆっくりと吸って、長々と紫煙を吐き出す。

「諜報部からの情報が正しければ、近日中にあの機体をつかっての攻撃がある。公国軍は、方々の基地から戦力を結集し、あれを墜とすつもりだ。ただし―――」

引き出しから灰皿を取り出し、灰を落とす。

「ただし、あの全翼機―――司令部は『ゴリアテ』と呼んでいるそうだが―――と直接戦うのは、特殊戦のみということになった。当然、ゴリアテには護衛部隊がつくだろうから、通常の戦闘機隊はそれを引き剥がすのが役目だ」

「理由は二つ。一つは単純、ゴリアテがバカみたいな性能だからだ。推定運用高度は3万5千を軽く超えてる。それに加えて重装甲に重武装。対空機銃と対空ミサイルでハリネズミだ。Su‐31の実用上昇限度は2万7千。無理をしても3万がやっとだ。そもそも届かなきゃ話にならない。もう一つは―――」

煙草を灰皿に置く。灰が落ち、一瞬先端が明るく輝いた。

「ゴリアテには、妖精が使われている」

静かに発せられた言葉は、小さくない動揺と衝撃を伴っていた。

まさか、ありえない。公国軍の最重要機密にして、公国が誇る最大のアドバンテージ。妖精技術の独占は最重要だったはずだ。

「いったいどうやって………」

「簡単に言うと、力ずくで。先日の無理やりな浸潤攻撃、狙いは南方の港湾都市じゃない。西のエーミレルだ」

灰皿の上でわずかしか吸われていない煙草がゆっくりと灰に変わっている。ゆらめく紫煙のむこうで、少佐は自嘲気味に唇を歪めた。

「こっちはまんまと敵の思惑通りに動いたわけだ。南東に対地攻撃隊に見せかけた囮を放ち、本命は通信妨害をかけた上でステルス機を使ってエーミレルを襲撃。別の大規模な護衛機隊を待って撤退、と。公国は囮にひっかかり、かなりの戦力をまわしてしまった。ここがいい例だ。基地に余剰戦力を残さないとは………」

皮肉っぽい口調は、いつも楽観的な人とは思えない痛みが感じられた。忘れられた煙草はとうとう完全に灰になった。

「少尉。君はエーミレルにいる妖精がどんな常態か、知っているかい」

「………ちょっと前に、コノハが話してくれました。みんな眠ってる、と」

「ああ。正確には不安定な状態にある思念結晶を沈静化しているんだ。制御がきかなくなった思念結晶は、いつ暴発するかわからない爆弾と同じだ。できるかぎり刺激を遮断するために、眠らせてある。それを、帝国は狙った。エーミレルから、沈静化してあった妖精十一体が強奪された」

「でも、その妖精たちの思念結晶は―――」

「そう、活動を休止している。正常な使用は不可能だ。しかし、暴発させることは可能だ」

新しい煙草に火がつけられる。ジッと焦げる音がした。

「彼女たち――眠っていた妖精たちは、極めて不安定な状態にある。エーミレルという特殊施設が必要なほどに。帝国が妖精の技術そのものを得たとは考えにくい。となれば、思念結晶の膨大なエネルギーを強引に暴走状態のまま使用するほかない」

「無理です………未加工の思念結晶が暴発したら、あたり一帯が消し飛ぶ……!」

「ああ。だがあの巨大な全翼機を動かすエネルギーに使用したとすれば?」

「これは私見だけど………動力に大半を、余剰分を特殊兵器にまわせば、暴走を利用できなくはない、と思う。それを納める器や、使用しないときの問題があるが、そこは帝国の得意分野だからね」

「……………」

少佐は区切りをつけるように、煙草を灰皿に押し付けて揉み消した。

「話が長くなったね。結論を言うと、君にはゴリアテの撃墜作戦に参加してもらう。迎撃予定ポイントはここからそれほど離れていないから、ここから出撃して味方部隊に合流してくれ。作戦開始は今日一七〇〇(ヒトナナマルマル)時から未明までのいずれかだ」

「わかりました、ですが………」

クレハの顔が脳裏に浮かんだ。

「ですが、乗っていたSU‐31は大破しています。それにクレハが………」

「知っているよ。それに忘れたのかい、あの場に私もいたんだ。いまだ回復していないことも報告を受けている」

クレハはあれから一度も目を覚ましていない。今は医務室で眠っている。

「そう、わかっている………だが中央の命令は………」

少佐は目を伏せ、デスクの引き出しを開け―――

「ハク君」

名を呼ばれ、顔を上げるとなにかが顔めがけて飛んできた。とっさに投げられたライターをつかみとる。

「少佐……!?」

立ち上がったエトウ少佐の手には、黒光りする軍用拳銃が握られていた。銃口はピタリとこちらに向けられたまま動かない。

「なんのつもりですか、少佐………?」

内心の動揺を押し殺して静かにたずねる。

「大丈夫、殺したりしないよ。動かないで、狙いが逸れたらかえって危ない」

少佐の顔は仮面でもかぶったかのように無表情だ。

「恨んでくれていい。そのほうがずっとましだ」

「………っ!」

引き金がゆっくりと絞られ――――

次の瞬間、轟音が耳を圧した。が、覚悟していた痛みはやってこなかった。

「何をしている、貴様!」

怒声に顔をむけると、イブキが硝煙のたなびく拳銃を手にして戸口に立っていた。部屋の奥を見ると、エトウ少佐は右手を押さえてイブキを睨みつけていた。床には構えていた拳銃が転がっている。イブキがエトウ少佐の拳銃を狙って撃ったのだろう。

「邪魔をしないでくれ、イブキ!」

エトウ少佐が怒鳴り返し、転がった拳銃を拾い上げようとする。

「やめろ」

静かな声は、しかし身をすくませるのに十分な迫力を有していた。ガチャリという金属音。イブキが拳銃の遊底を引いた。

「エトウ。自分が何をしているかわからないのか!」

「わかっているよ。十分にね」

少佐が拳銃を拾い上げ、イブキに向ける。

「誰も殺すつもりなどないよ、傷を負わせるだけだ。邪魔をしないでくれ」

「エトウ………!」

イブキが少佐につかみかかろうとする。が、銃声に押しとどめられた。壁に弾痕が穿たれている。

「君だってわかっているだろう、イブキ!」

少佐が無表情をかなぐり捨てて怒鳴った。

「いいか、軍令部は《桜花》を飛ばせと言ってきてるんだ!あれがどんな機体か、公国研究所にいた君が一番わかっているだろう、イブキ一級技官!」

「………わかってるさ。嫌になるほどな」

「それに、君もコノハのことを知っているだろう。あの子を殺せというのか!軍令部の命令の内容も、わかってるだろう!」

「だから自分の手で、か?愚かな考えだ」

イブキは冷たく言った。

「短絡的で、視野が狭い。それでも一司令か?エトウ」

「なんだと………」

「あの子―――コノハはハク少尉のことを信頼している。そのハク少尉を傷つけてみろ。ただでさえあの子は精神が幼く不安定なんだ。その場で暴走するか、よくて活動を止める。おまえはあの子を壊すつもりか?」

エトウ少佐は答えなかったが、わずかに銃口を下げた。

「それにな。ゴリアテの攻撃目標にはここも含まれていておかしくない。たとえ狙われなかったとしても、あのでかさだ。余った爆弾を捨てられただけでここは吹っ飛ぶ。兵員ごとな。」

イブキは拳銃から弾倉を抜き、床に放った。ゆっくりと歩み寄る。

「《桜花》は威力のみで見れば優秀な機体だ。どちらにせよ、あれなしでゴリアテは堕ちない」

少佐から一メートルまで近づき、立ち止まった。

「あれに乗るか乗らないかを決めるのは、おまえじゃない、エトウ。乗るのはハク少尉、それにあの子だ」

少佐の手から拳銃が落ちた。崩れるように床にひざをつく。

「ハク少尉に、あの機体のことを話す。それから、本人に決めさせる。それでいいな」

「わたしは………」

「いい。しゃべるな。決定は後で伝える」

イブキは強引に僕の背を押して司令室から出した。後にはエトウ少佐だけが残された。


 扉が閉まる音がしてから、五分以上はそこに座り込んでいた。しばらくして、よろよろと立ち上がる。床に転がる拳銃に気が付き、拾い上げる。重厚な軍用拳銃は、いまはただ無機質な虚しさのみをまとっていた。

「………っ!」

部屋の隅に投げつけると重い音を立てて壁にぶつかり、床に落ちた。デスクのイスに座り、煙草を探る。口にくわえ、ライターのないことに気付いた。仕方なしに引き出しの奥にあったマッチを擦り、火をつける。一度だけ煙を吸い、灰皿に放る。ゆらめく紫煙のもとで、ゆっくりと灰に変わっていく煙草を見つめる。

「わたしは………傲慢だね」

小さく呟いてみる。無論、聞くものはいない。

「そして………どうしようもなく、弱い」

独白の響きも、やがて沈黙に飲まれて消えた。



 連れて行かれたのは第二格納庫だった。中に入ると、中央に鎮座している機体が目に飛び込んでくる。覆いは取り払われている。奇怪な戦闘機だった。全長は20メートル前後。主翼は大きな前進翼。尾翼が異様に大きく、斜めに四枚。それぞれが長く、鋭角にのびている。機首両脇には小さな後退翼がある。おそらくカナードの変形だろう。今は前方から見ているのでよくわからないが、双発だろう。新型戦闘機の実験機といった風情だ。だがなによりも奇異なのは、キャノピーがなく、操縦席らしきものが見当たらない点だった。本来コクピットがあるべき機首部分はまわりとかわらない外板で覆われている。イブキが機体の後ろへと歩いていく。ついていくと、イブキは機体の真後ろで立ち止まった。

「見ろ」

そう言って指をさした先にはエンジンノズルがある。他の部分に劣らず、そこも常軌を逸していた。可動式らしい周辺部の中心には先端の尖った角柱形の思念結晶が埋め込まれていた。

「見りゃわかるだろうが、こいつ―――《桜花》は通常燃料での飛行を度外視して設計されてる。他もそうだ。すべてが妖精なしでは動かない。思念結晶に百パーセント依存した機体だ」

イブキは壁際にあった箱に腰かけ、煙草をくわえた。ライターを出して火をつけようとして、舌打ちしてしまいこんだ。

「オイルが切れた。ライターかマッチ持ってないか」

ポケットを探ろうとし、はじめてずっと手に握り締めていたライターに気が付いた。エトウ少佐のものだ。イブキにそれを渡す。イブキは煙草に火をつけ、煙を吐き出した。しばらく二人とも黙っていた。

「エトウのこと、許してやってくれ」

イブキはふいにそう言った。そちらを見ると、手にしたライターをじっと見つめている。

「あいつなりに、考えがあってのことだ。バカな考えだが」

「わかってますよ」

あの人は、よほどの理由なしに他人に銃を向ける人じゃない。そのくらい、わかる。

イブキは、そうか、と言ったきりで、また黙って煙草を吸っていた。一本を吸い終わると、吸殻を地面に落として踏み消した。

「さて、と。どこから話すか………」

言いながら二本目の煙草に火をつける。

「あいつが言ってたのを聞いたと思うが、俺は昔公国研究所にいた。研究内容は新型機の開発。《桜花》の原型は図面だけなら前からあった。俺も仮想だが一機設計したことがある。まあ、今はおいとこう。あの子の話だ」

「あの子――コノハだったか――がここにきたとき、エトウが俺にあの子のことを調べるように言ってきた。自慢じゃないが、研究所には顔がきくんでな。元部下に内部情報を集めさせた。すぐにあの子のことはわかった。単なる実験体、としか聞いていないだろう?違う。あの子は特別だ。本当の研究目的は、『最初の人工妖精(クラティア)の再創造』だ」

漂ってくる紫煙からはクローブのにおいがかすかにした。

「クラティアは事故で消滅した。まだ妖精技術も未熟で、制御が緩かったためにな。その教訓を得たことで、それ以降の人工妖精は非常に安定した状態を保てるようになった。だが裏を返せばそれは、思念結晶のエネルギーの制限が多くなった、ということでもある。事実、クラティアの残した出力データは今の人工妖精を上回っている」

「となれば、それを再び生み出そうとする動きがあってもおかしくない。出力の大きさは魅力だし、こう着状態の戦況を打開できるやも知れん、と。人工の精神原型を与えることで制約し、コントロールしている思念結晶のエネルギーを、制約をゆるめて利用しようととしたらしい。その手段として用いられたのが、あえて幼い精神原型を与えることだ。あの子はそうやって生まれた。まあ、思惑通りにはいかなかったようだが………。ともかく、あの子は一応完成した。だが人間との対話能力の欠如という致命的な欠点のため、エーミレルに送られた。扱いに困った、というのが本音だろう。あの子が街にいた理由だが、適合者をさがすためにわざと放置したらしい。ひそかに監視はしていたようだが。そこにハク、おまえが現れたわけだ。ほぼコミュニケーションが成り立たないはずのあの子と、不完全ながら会話できる。その上、軍人とくれば願っても無い。研究所は少し間を空けて君とコノハを回収するつもりだった。それを、事情を知ったエトウが拒んだ。研究所のトップと軍部にかけあって、二人をここにとどめようとした。結局、要求は通った。エトウが直接管理するという名目でここにおくことになった」

そこで一度言葉を切り、目の前の《桜花》を見上げた。僕もつられてそちらを見る。奇妙な塗装だ。白を基調とし、ふちにはその名の通り薄い桜色が用いられている。ちなみに公国軍の標準塗装は低視認性の暗灰色。迷彩などまったく考えられていないようだ。むしろ雲の下では目立つだろう。

「だがそれには条件がついた。この《桜花》の保管と使用だ。今回、軍令部から《桜花》の出撃命令が下った。

《桜花》は特殊な機体だ。さっき言ったように思念結晶のみで駆動し、妖精なしでは成り立たない。反面、通常兵器の使用をはなから考えていないから、特殊兵器と推進系の制限が大幅に少なくなる。改造機のデメリットはそこだからな」

イブキはライターに火をともし、カチリと音を立てて蓋を閉じた。

「エトウがなぜあんなことをしようとしたか、わかるか」

僕は答えなかった。

「まず《桜花》は試験機だ。どんな事故があってもおかしくない。もう一つは………全ての機能を妖精に頼れば、莫大なエネルギーが必要だ。だから通常の改造型は通常の燃料を用い、思念結晶の使用は補助に留めている。《桜花》は普通の妖精には動かせない。出力が足りないし、無理にやれば途中で肉体が崩壊する。わかるだろう、あの子をここに置く条件が《桜花》だった理由が」

「コノハなら………《桜花》を動かせる………」

「ああ。あの子じゃないと動かせない。こいつは砲と誘導弾以外に、新兵器が装備されてる。それは従来の特殊兵器の比じゃなくエネルギーを喰うからな。いくらあの子だって………」

「何?」

「いや、なんでもない。………言わない約束だからな」

とにかく、とイブキは僕の顔を除きこむようにして言った。

「乗るか、やめるか?やめるんだったら、これで肩でも脚でも撃て」

イブキはそう言って上着の中から拳銃を取り出し、僕のほうに差し出した。

「命令拒否は難しい。だが負傷ということにすればなんとか誤魔化せるかもしれない。どうする?」

差し出された拳銃を見る。どちらが正解なのだろうか。これは危険なのだろう。エトウ少佐があそこまでしてとめようとするほど。でもゴリアテを墜とす必要があるのも事実。《桜花》は強大な戦力らしい。どうしたらいいか、よくわからなかった。

「コノハは、このことを………」

「ああ、知っている。あの子の回答は『ハクが乗るなら乗る』だった」

乗ったほうが良いかどうかはわからない。コノハは僕に決定権を委ねた。やめるなら、あそこでエトウ少佐に撃たれていたほうが良かったかもしれない。乗るか、乗らないかとはつまり、『飛ぶか飛ばないか』だ。それなら僕は迷わず後者を選ぶ。

「乗ります。コノハがいいと言うなら」

そうか、と言ってイブキは拳銃をしまった。

「そう、たしかに《桜花》は強力だ。だが同時に、諸刃の剣でもある。忘れるな、鋭すぎる刃は時に自身を傷つける」

装備の説明をする。そう言って背を向け、歩き出した。



『第一次迎撃隊、会敵より五分経過。第二次迎撃隊、特殊戦部隊出撃せよ』

特殊戦部隊エアリアル、了解』

味方部隊の通信が流れる。

『ハク少尉、時間です。いけますか』

『ああ、問題ない。コノ……アルテミス、起動準備』

前席にいるハクの声がたずねる。

『了解。《桜花》に接続開始。同調(シンクロ)率八十パーセント』

そう言って、胸の奥にある熱源に意識を向ける。体を通して、その熱を外に少しずつ放射する感覚。するとそれに呼応するように、前列と完全に区切られた後部座席の周りに埋め込まれている思念結晶の欠片が輝き始めた。小さな円形の魔法陣が展開される。自分のように、はっきりした心を持つには小さすぎる欠片たち。でもこの子たちが、わたしに共鳴して、外へ伝えてくれる。

『接続完了。いいよ、ハク』


『了解。《桜花》、起動する』

スイッチを捻ると、操縦席内側の壁が輝き始めた。次の瞬間、完全に壁におおわれていた操縦席から、外の景色が鮮明に見えた。真後ろはさすがに見えないものの、ほぼ全方位に近い視界だ。

すごい。思わず呟いた。イブキから説明は受けていたが、実際に乗ってみるとその有効性がわかる。戦闘機にとって視界は命なのだ。

前方には、景色と重なって各計器の数字が表示されている。操縦席をディスプレイが取り囲んでいるようなものだ。

『ハク?』

その声で我に返り、操縦桿とスロットルに手を置く。基本的に操作は普通の戦闘機と変わらないらしい。

『《桜花》離陸準備完了』

『周辺空域に障害なし、離陸を許可する』

『了解、離陸する』

息を吸い込み、スロットルレバーを前に滑らせる。異様に静かなエンジン音。軽い振動にしか感じない。にもかかわらず、機体はわずかにスロットルを開いただけで猛然と加速を始めた。予想外の速度に慌てて操縦桿を引くと、一瞬で二十メートルの巨体が夜空に舞い上がった。Gは全くかからない。機体の補助システムがGを打ち消しているのだ。

『北北西、ポイント36で《エアリアル》と合流してくれ』

『了解』

軽く操縦桿を倒す。恐ろしく舵の利きがいい。ただ軽いというよりも、機動性が良すぎるのだ。振動も小さく、負荷もかからない。ともすれば、一万二千メートルの高空を音速で飛行していることを忘れそうになる。五分も飛ぶと、味方の編隊を見つけた。その後ろにくっつく。

『こちら《エアリアル》、《桜花》と合流した。これより敵本隊に向かう』

『了解。ゴリアテは三時方向から接近中。護衛の戦闘機は先発隊が左右に引きつけている。直接ゴリアテを潰せ』

レーダーの輝点の塊二つの間を飛びぬける。

『会敵予測、残り二分』

まわりに編隊を組んでいる特殊戦がバラバラと増槽を投下する。

『十五度で散開、まだとりまきがいる。さっさと終わらせるぞ』

『武装開放。機関砲、誘導弾使用可能』

敵編隊とすれ違う。無人機だ。ゴリアテの護衛の残りだろう。九十度に翼を倒し、急旋回する。《桜花》は機敏に反応した。一瞬で百八十度反転する。後ろをふりかえってみると、後部ノズルからは輝く粒子状のものが噴出していた。軽々と敵の背後につき、光弾をばら撒く。敵は簡単に砕け散った。《エアリアル》の僚機も同じだった。瞬く間に敵機を表す輝点が消えていく。全機を撃墜するのにさほど時間はかからなかった。再び三角編隊を組む。

『よし、本命のデカブツを叩き落す。高度上げろ、ついてこい』

隊長機に続き、高度二万七千まで上昇する。普通の戦闘機の上昇限界をはるかに超えた高空だが、特殊戦と《桜花》はやすやすとそこを飛んでいた。さすがに通常燃料での飛行は無理なので、特殊戦は推進系を切り替えていた。

『来たぞ………』

『嘘だろ、なんて大きさだ』

レーダーに映る巨大な輝点。すぐに目視でも確認できるようになった。

『よし、接近して攻撃を………』

その声は爆発音と悲鳴に塗りつぶされた。超遠距離から飛んできた光の槍が二番機を直撃したのがはっきり見えた。

『エアリアル2が撃墜された!』

『散開しろ、固まってたら狙われるぞ!』

編隊が左右に別れ、展開する。だがその間にも無数の光が降り注いだ。遠距離から放たれる、高速の光の槍が襲いかかる。自分たちが頼りにしてきた兵器が、牙を剥いた瞬間だった。機体を細かく動かし、かわし続ける。

『なんとか接近しろ、撃ち返せ!』

スロットルを限界まで押し込む。味方機を引き離し、凄まじい速さで突進する。飛んでくる誘導弾は速度で振り切る。いまやゴリアテの巨体は目前にあった。急上昇し、高度三万まで上がる。反転し、ロールしながら太陽を背にして急降下する。ガンレティクルはゴリアテを中心に補足している。すれ違いざま、正面から光弾の掃射を叩き込む。あまりに大きく、地上目標のような攻撃のしかたになる。反撃の火線を避けて旋回、上昇。《エアリアル》もようやく射程内にまで接近していた。

『エアリアル5と6、右から回り込め』

『くそが、対空砲まで積んでやがる!』

味方の銃火も届いてはいるが、効果は見られない。その上防御弾幕が途切れず、接近が難しい。特殊戦なら簡単によけられる通常の機銃でも、数を揃えての飽和攻撃なら別だ。

『被弾した、離脱する!』

一機が高度を下げ、離脱する。敵がそれを追ったのにあわせて上方から急角度で突っ込む。が、ミサイルと光弾、機銃弾の嵐に阻まれてしかたなく回避する。誘導弾を放つが、壁を作るように放たれる光弾に潰される。着弾しても、装甲が厚すぎて効果が薄い。

『振り切れない、誰か助け――――』

爆発音。また一機落とされた。破片が輝きながら舞っていた。そろそろ特殊戦の推進系は限界だろう。少しでも弱ったものから、一機ずつ削ぎ落とされていく。さらにもう一機が強引に突っ込んだところを機銃に砕かれた。

潮時だろう。

『《桜花》より《エアリアル》と周辺の味方部隊に告ぐ。《エアリアル》は即刻全機退避せよ。それ以降、ゴリアテと《桜花》には近付くな』

『なにを言っている、そんなことできるわけ無いだろう!』

『こちら作戦本部。《エアリアル》、指示に従え。まわりの敵機を寄せ付けるな。《桜花》に近付くな、巻き込まれるぞ』

『くっ………了解』

残った特殊戦が離脱する。自分も一度距離をとる。

『コノハ、あれを使う。大丈夫?』

『問題ない。やって』

ゴリアテに機首を向ける。

『シムテム《暁の星光(ルシフェル)》起動』

『了解。シンクロ率98パーセント、パイロットに直接リンク』

頭の中に違和感を覚えた。熱く、痺れるような感覚だ。

『《暁の星光》準備完了』

『システムロード、ドライブ!』

アクリルの保護板を叩き割り、中のスイッチを押す。次の瞬間、光が氾濫した。


「なんだ、あれは………本当に戦闘機か……?」

ゴリアテのコクピットで、誰かが呟いた。

一機だけ残った、ノズルから光を噴出する奇妙な戦闘機。それがいま、さらに常軌を逸した形状をとっている。音速で飛び回る《桜花》を正確に捉えられたものがいれば、その姿はこのように映っただろう。全体が薄く発光する桜色の戦闘機。その機体からは五枚に枝分かれした光が伸びている。それは羽のようでもあり、花弁のようにも見えた。

 『斜め前方から一撃喰らわせる。広がれ!』

叫ぶと、五方に広がった光から小さな欠片が無数に散り始めた。それは機体の周りにをつつみ、長い尾となって伸びていく。正面にゴリアテを捉えたまま、全力で突っ込んでいく。光弾と実弾が重なり合い喰いついてくるのを、思わずよけようとする自分を抑えてそのままぶつかっていく。火線は《桜花》にせまり―――なんら被害を与えることなく、機体を取り巻く光の欠片にかき消された。ぎりぎりまで接近し、最大出力で魔導弾を叩きつける。厚い装甲がはじけ、ミサイル発射装置や機関砲座を吹き飛ばした。すれ違う一瞬で叫ぶ。

破砕(ブレイク)

光の欠片が瞬間的に収束し、爆発する。ゴリアテの装甲に爆風と光の奔流をぶつけ、飛び離れる。唯一《桜花》にのみ装備された新兵器、《暁の星光》。五枚の光翅から思念結晶のエネルギーを拡散させ、純粋な破壊に変えて解き放つ。だがそれは―――

「コノハッ」

コノハとリンクしている体に一瞬痛みを覚える。

『大丈夫。負荷と消費エネルギーは想定内』

落ち着いた声だが、息の荒さは隠しきれていない。

『それよりまわりを見て』

急いで旋回と上下動、ブレイク機動を繰り返す。すぐ横を真っ赤な曳光弾が掠めていく。

掻い潜って接近し、攻撃をくわえ、また逃れる。それをなんども繰り返す。あまりにも消費が大きいので、出来る限り《暁の星光》は使いたくない。下手をすれば推力を失って墜落する。だが使わないわけにはいかなかった。

接近しての砲撃・破砕が最も効果があり、また敵の弾をかわすのにも使わざるを得ないからだ。

「ブレイク!」

何度目かの近距離攻撃。通常兵器はあらかた破壊しつくした。だが巨大な全翼機はしつこく特殊兵装で反撃してくる。

いったん高度をとって退避する。

『コノハ、あと何回やれる?』

『………帰投分を見込んで………あと一回』

コノハは苦しそうに答えた。頭の熱い痺れは痛みに変わり、鈍い苦痛を与え続けていた。接続の代償だろう。

あと一撃、どこを狙う?装甲の砕けている一部が目に留まった。位置的にはちょうどエンジンの真上だ。これに賭けるしかない。

「がんばってくれ、コノハ………」

上空で旋回し、狙いを定める。機体が再び光を纏う。ほぼ直上から、九十度でダイブする。ありったけの誘導弾光弾を撃ちこみながら、接触寸前まで近づき―――

「ブレイクッ!」

桜光の乱舞に削り取られ、ゴリアテが破片を撒き散らす。最小限の回避で機体を擦りつけるように飛びぬける。纏った燐光は戦艦なみの装甲をたやすく抉り、深い溝を刻んだ。旋回上昇する。一拍遅れて、ゴリアテは左翼から火を噴いた。黒煙があがる。

「やった………?」

漆黒の全翼機は、一瞬バランスを崩したように左に傾いだ。だが――――

『敵弾接近!回避を!』

「嘘だろっ!?」

今までに倍する数の光槍が《桜花》を狙って飛来した。全速に叩き込み、操縦桿を限界まで引く。ラダーと併用し、細かい機動でかわす。途切れなく射出される魔導弾をループとロール、ありとあらゆる機動をとって振り切る。一瞬の空白にゴリアテに目を向けると、翼からは煙を上げ続けていた。しかし、姿勢に乱れはない。巨体の中央部からはこちらのものと同じ魔法陣が展開され、機体後部からは燐光を排出していた。

いかれてる。とても一機の航空機の戦力じゃない。

突然、高い警告音が響き、全周囲を映し出している壁面が赤く明滅しはじめた。計器を見ると、〔警告・出力限界〕の赤文字が表示されていた。

『コノハ!』

聞かなくても限界なのはわかる。頭に侵入してきたわだかまりはいまや灼熱し、激痛を与えていた。それでもこれはコノハとの一部リンクでしかないのだ。

『……ハク………航続限界まで、あと……八分』

弱々しい声。とっくに安全域は超えているのだ。

こうなったら、作戦を放棄して何とか離脱する。そう言うと、コノハはそれを拒んだ。

『だめ……あれを、墜として……』

『わたしたちは、ある程度、離れていてもリンクができる………あの子たち、とも……』

『あの子達?』

『ゴリアテに閉じ込められてる、エーミレルにいた子たち………みんな、知ってる子……。もう、壊れかけてるけど………苦しんでる………』

『ハク………わたしたちは、あなたたちが思念結晶と呼ぶもので、動く。思念結晶のエネルギーは、思考、そのもの。あの子達は、思考も記憶も、どの思いも区別がつかなくなって、溢れ続けている。とても、苦しんでる………ハク、あの子達を………止めてあげて』

珍しく長く言葉を紡ぐコノハの声は、掠れていた。

雲の中に入って機体を振り回し、狙いを外しながら言う。

『いいのか……?知ってる子なんだろ……?』

『そう、だからこそ、救ってあげたい………』

『わかった………だけど、どうしたらいい?もう長くは飛べないし、コノハだって限界だろ』

頭痛からくる眩暈を振り払い、操縦桿を握り続ける。

『《暁の星光(ルシフェリオン)》のリミッターを切る。機体が自壊しない限界まで粒子を展開すれば、《桜花》は傷つかない。理論上は、そのはず。あの魔法陣の中心を撃ち抜いて。そこにあの子達がいる。補助がなくなれば、ゴリアテは墜ちる』

なにを言っているかはわかっている。イブキに言われたことでもあるからだ。しかし、

『体当たりする気か!?』

『それ以外に方法はない。早くして……わたしが飛んでいられるうちに………』

途切れ途切れの声。いますぐに墜ちてもおかしくない。

『わかった………高度三万まで上昇、正面から一撃で決める』


輝くコクピットの中で、懸命に意識を保つ。少しでも気を抜けば、出力が停止する。極度の疲労にくわえ、ハクとのリンクで思考が流れ込んでいる。さらに、意識の外から触れてくる滅裂な思念のかたまり。見たことのない情景が時々視界に重なる。思念結晶の欠片は目に痛いほどに輝いている。そこに力が流れ出しているのがわかる。だけど………クレハの声を思い出す。リトルウィングであることの誇りがにじみ出る声で、ハクを守ると言っていた。それから、わたしの前で泣いていた、ハク。わたしと普通に接してくれた人。それから、なんといったっけ、技官の男の人。どうやら約束は守ってくれたらしい。死―――消滅の可能性があることを知っていたら、ハクはわたしが乗るのを止めただろうから。それから、ちょっとごめんなさい、と思う。人造の兵器にすぎないわたしを、守ろうとしてくれた人たちに。《桜花》への直接干渉、リミッター解除を進めながら、そんなことを考える。

「わたしが、ハクを守る」

小さく呟く。今はわたしがハクのリトルウィング。ハクは、死なせない。

『リミッター解除。最大出力、《暁の星光(ルシフェリオン)》準備完了』


『了解』

覚悟を決めて、雲から出る。全力で直角に上昇する。高度三万。

『《暁の星光》、発動』

五枚の光翅が大きさと輝きを増して広がり、桜光の欠片を噴出する。凄まじい量と密度。もはやそれは桜色の雲と化して機体を取り巻いた。

『リンクを切る。《暁の星光》はわたしが調整するから、必ず当てて』

通信が切れると、頭の痛みが消えた。

「コノハ………」

その名を一度だけ口にする。祈るように。

高度三万五千。機首をゴリアテに正対させる。スロットルを最速に押し込み、全速力でゴリアテに突っ込む。魔法陣の中心からは絶え間なく無数の光槍と魔導弾が放たれたが、光の桜吹雪はそれを残さず打ち消した。距離が詰まる。自機の閃光と敵弾がぶつかりあい、視界はきかない。必死で魔法陣の中心へ《桜花》を導く。目の前に黒い機体がせまり、そして―――

奇妙な感覚があった。時間が止まったようだ。ゴリアテの中心を突き抜ける瞬間、いくつかの声と、存在が消えるのを感じた。

だがそれはすぐに消え、凄まじい衝撃が機体を襲った。燐光と破片が押し寄せてきた。錐揉みする機体をなんとか立て直す。頭上のゴリアテを見る。漆黒の巨人機は中枢をぶち抜かれていた。キラキラと残った桜光が散り――――ゴリアテは爆発四散した。火のついた破片が降りそそぐ。それを見届け、機首をかえして基地の方向に向ける。

『コノハ!答えろ、コノハ!』

返答は無い。唇を噛み、機体の操縦に専念する。機体を包んでいた光は消え、五枚の光翅はボロボロになって弱々しく明滅していた。出力も安定せず、ふらついている。

『こちら《桜花》。ゴリアテを撃墜。繰り返す、ゴリアテを撃墜。これより帰投する』


 基地に帰りついたとき、光の翅はほとんど消えていた。最後は滑空するように距離を稼ぎ、なんとか地上に降ろす。機体が停止するのを待ってコクピットを上げ、後席に行く。

「コノハッ」

コノハは眠るように横たわっていた。コクピットの中には粉々に砕けた思念結晶の残骸ががあった。

「っ!」

コノハの体を抱き起こすと、体の末端が欠けているのに気が付いた。先端から少しずつ桜に似た光の粒子に変わっていく。

「コノハッ、目を覚ませ!」

揺さぶると、コノハはうっすらと目を開けた。

「ハク………怪我はない………?」

「ばか………!僕はなんともない、お前のほうが……」

「大丈夫、力を使い過ぎただけ………少し、眠るだけだから………」

コノハは手を伸ばし、僕の顔に触れた。

「クレハを、守ってあげて。目が覚めたとき、二人でいてくれないと、さびしいから………」

コノハはそう言って目を閉じた。

僕はその体を抱きしめながら言った。

「ああ、必ず………必ず二人で待ってるよ。だから、安心して眠れ。それでいつかまた………」

コノハは目を閉じたまま微かに微笑んだ。



 地上に造られたアスファルトの滑走路。そこから一機の戦闘機が舞い上がった。あちこちから翼の突き出た奇妙な姿。ノズルからは長い光の尾がのびている。

『敵編隊はポイント76を南に進行中。これを迎撃、殲滅されたし』

『ヘリオス1、了解。リトルウィング、いける?』

『はい。全系統問題なし。出力安定。オールグリーンです』

その戦闘機は旋回し、瞬く間に視界の外へ飛び去った。光の残滓が舞う滑走路。そこには戦闘機を見送る小さな人影があった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ