桜の眼差し、人の変化
暑さが少しだけやわらぐこの季節。僕はこの季節に一抹の寂しさを感じる。
厳しい暑さにも負けず、額に汗を浮かべる人は少なくなる。ほんの少しだけ、活気が遠ざかっていく。
そんな中、草木は世界に彩を添える準備をする。
しかし、世界に彩が添えられるのはまだ少しだけ先の話。
草木の彩りが世界に訪れるまでの短い季節。緑がほんの少しだけ薄くなる季節。人々の活気が少しだけ遠ざかる季節。
すべてはこの、夏の終わりの季節なのである。
もうすぐ死んでしまう僕には、この寂しさは少しだけ辛い。
それでもまだ僕は生きている。降り注ぐ日差しも、弱まったとは言えまだ強い。輝く汗は少なくなるとは言え、まだ人々の顔に浮かぶ。
そんな人々に安らぎを与えられるように精一杯葉を広げよう。
これから迎える、草木が世界に彩りを添える季節を元気に迎えてもらえるように。
この季節の寂しさは消えないとしても。人々の活気がほんの少しだけ遠ざかるとしても。
僕が好きな一生懸命な人々の営みは傍にある。
僕が死ぬその時まできっと見届けよう。そして自分でできることを精一杯しよう。
たとえできることが少なくても、同じことしかできなくても、やり続けることが僕の幸せに繋がるのなら。
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弥生は一年間でとても強くなった。子供ながらに大人に少しずつ近づいている。辛いことも、楽しいことも力に変えて成長を続ける。そんな弥生は今年で小学校の四年生になった。
四年生になっても弥生は変わらず、桜の木に話しかけることを忘れない。
「明日はね、とうとうマラソン大会の本番だよ。練習はしたけど……まだちょっと不安はあるかな」
弥生の学校では四年生からマラソン大会に参加することになるらしい。
桜の木は一ヶ月程前から弥生が毎日ランニングしていた事を思い返した。
――明日が本番なのかぁ……弥生なら大丈夫。毎日練習してたんだから。
桜の木は少しだけ不安そうにする弥生の姿を見て届かない励ましをした。
桜の木の心はとても穏やかだった。少し前の桜の木であればきっと励ましが届かないことに苦悶を呈していただろう。
そんな桜の木に心情の変化が訪れたのは、昨年の出来事があったからなのかもしれない。
傷ついた小鳥が死んでしまった夏。
あの夏は弥生だけではなく桜の木の心も大きく変化させた。
――たとえ直接何かをできなくても何かを想う心を持つことが大切なんだよね。
死んでしまった小鳥に何もできない代わりに、成長し、強くあることを決めた弥生。そんな弥生を見て、たとえ何もできなくとも想いが何かに変わることの本当の意味を知った桜の木。
二つの想いは確実に自身の心を一回りも二回りも成長させる結果となった。
「大丈夫。私は大丈夫。マラソンは初めてだけど、ちゃんと頑張ってくる」
弥生は自分に言い聞かせた後、桜の木に別れを告げて家路に着いた。
――明日はきっと晴れるかな。頑張ってね。弥生……。
桜の木は弥生の背中を見つめていた。
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空は見事なまでに快晴の様相を呈している。
桜の木は弥生の初めてのマラソン大会の天気としては、些か暑すぎるのではないかと感じていた。
桜の木は雲ひとつない空を見上げ、雨が降るよりはいいかと思い直した。
「ふぅ……よしっ!!がんばる!!」
弥生は少し緊張していたのか、珍しく登校の際に桜の木に近づいて来ていた。
弥生は桜の木に当てていた右手を放し、学校へ向かって歩き出した。
――頑張って。
桜の木は弥生の背中にエールを送った。
その後、お昼過ぎまでの間は人がほとんど通らなかった。快晴の青空から降り注ぐ太陽の光が、否応なしに気温を高めたことも要因だったかもしれない。
この季節にしては気温が上がりすぎではないだろうかと桜の木は心配をしたが、心地よく吹き抜ける風は思いのほか涼しかった。
総合的に見ればスポーツをするには打って付けとも言える天気である。
そんな時間が過ぎ、そろそろ学校帰りの子ども達が現れる頃になった。しばらくすると弥生が帰って来るのが見えた。弥生の隣には楓がいる。
どうやら楓は弥生の応援に行っていたらしい。
その様子を見て桜の木は少しだけ楓を羨ましく思った。
――無理な話だけど……僕も頑張ってる弥生を見てみたかったな……。
そんなことを考えていると弥生が楓から離れて桜の木に向かって駆け寄って来た。
「ちゃんと完走できたよ♪ 練習のとき見守ってくれてありがとう」
弥生は完走報告をしてくれた。
桜の木は弥生の事を大丈夫とは思っていたが心配をしていた。理由は単純明白で弥生は運動が苦手だった。
今までも体育の授業での失敗や運動会で負けてしまったことを幾度となく桜の木は聞かされてきた。それでも失敗に挫けず頑張り続けた弥生の強さを桜の木は知っていた。
そのことを知っているからこそ頑張りすぎてしまう事を心配したのだった。
その心配も杞憂に終わった今、桜の木は胸を撫で下ろしていた。
――うん。完走できてよかったよ。ずっと頑張って来たもんね。
桜の木は頑張り続けた弥生の努力が報われたことが嬉しかった。そして、何をできたわけでもないのに御礼を述べる弥生の優しさを温かいと感じた。
「そろそろ帰るわよ?」
「はぁい! また来るね♪」
楓に呼ばれて元気に返事をした弥生は、また来る事を桜の木に告げて弥生の隣に並んだ。
本当に子どもの成長は早い。そして、人はきっとどこまでも強くなることができるのだろう。
そんな考えがどこからとなく桜の木に浮かぶ。
――もっと高く飛んで行け。
仲良く歩く弥生と楓の背中を見つめ、桜の木はそう思った。
根元には小さな一輪の花が咲いていた。
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時は怒涛の勢いで流れ続ける。様々な出来事や思いを乗せた一年は過ぎ去り、新しい時が次々と訪れては過去になる。
一年が過ぎた弥生は五年生になった。時の流れと共に勢いよく成長を続ける弥生は、生まれたばかりとは比べ物にならないくらいに成長している。
人の子は本当に成長が早く、ちょっと油断すると別人のようになっている。
弥生が生まれてから十年が過ぎ、そんな思いが桜の木の頭を過ぎる。
今日はそんな年の何気ない一日である。
弥生は父親である伸吾と共に桜の木の近くで散歩をしていた。
「弥生。あそこで少し休んで行かないか?」
伸吾が弥生に桜の木を指し示した。
「うん。天気もいいからきっと気持ちいいね♪」
弥生は伸吾の指し示す先を確認すると、すぐに同意して伸吾と二人で桜の木の根元にもたれかかった。
「本当にこの木は立派だな」
座った伸吾が唐突に呟いた。
そんな伸吾の呟きを聞いた弥生は疑問に思ったのか、伸吾に聞き返した。
「ん? お父さん急にどうしたの?」
「うん。初めてこの木を見たときのことをちょっと思い出してね。」
伸吾は目を閉じて少しだけ上を向いてそう告げた。
おそらく昔のことを思い出しているのだろう。
「そうなんだ。そういえばお父さんとお母さんってどうやって知り合ったの?」
伸吾の話を聞いた弥生は、何かを思い出したように唐突に話を切り出した。
弥生の目は既に好奇心で一杯の様子である。
「ちょっと唐突だな。そういえばお母さんとの昔の話を弥生にしたことはなかったっけ……」
少し苦笑を漏らした伸吾は、弥生の目をみて退かないであろう事を予感していた。
「よし、せっかくの機会だから少しだけ話してやろうか?」
「うん♪ 実は昔からお父さんとお母さんがどうやって結婚したのか気になってたんだ」
弥生は女の子にありがちな夢見るような瞳で伸吾を見つめた。
「そうか。 それじゃ、少しだけお話してあげよう」
おそらく弥生の瞳に負けたのであろう伸吾は、ゆっくりと語り始めた。
「そうだな……あれは二十年前になるのか……」
伸吾は昔のことを思い出しながら語る。
弥生と伸吾のやり取りを聞いていた桜の木は、伸吾と同じように二十年前の出来事を思い返していた。
――伸吾と楓の出会いはあの時だったかな……。
桜の木は懐かしい記憶を一つ一つ辿った。
小学校低学年の弥生が終わって新しく小学校高学年の弥生のお話が始まります。
とは言え時期的に……というだけなので中身はちょっと弥生から遠ざかる気がしますが……。
ということで今回はこの時代のメインストーリーに当たる内容の導入になるわけですが……「桜の不安」の部に負けず劣らずの長さになりそう……。
最後まで飽きないでお付き合いしてくださればと思っている次第にございます。
ここまででも分かるとは思いますが……伸吾お父さんと楓お母さんのファンの皆様!!(いないと思いますが……)
ここからはこの方達のターンが始まりますよ!!
それではよろしくお願いいたします。
感想……待ってます(ぁ
P.S
それはそうと……親の恋愛・結婚話に興味持つのってこれくらいの年できっと合ってますよね……ずれてる気がしてなりませんが……