桜の不安、人の涙
遅くなりました……
桜の木は黙って見ていた。
正確には黙って見ているしかできなかった。
何もできない自分に無力感を味わいながら。
桜の木は今日ほど何もできない自分に対する無力感を感じたことはなかった。過去に無力感を感じたことは幾度もあった。しかし、桜の木がこれまで感じた無力感は、弥生が悲しみに打ち震えながら小鳥を埋葬する様を見届けるしかない今よりも軽かった。
弥生には桜の木の気持ちも、声も届くことは無い。だから一人で悲しみに打ち震えながら小鳥を埋葬することになってしまった。
――何故……何故こんなことになってしまったんだ……。
桜の木は、桜の木として生まれて来たことを初めて呪った。
弥生はずっと俯いたまま顔を見せてくれない。そして、全身が震えている。雨にも打たれ、ずぶ濡れになっている。
力の入らない腕を必死に、ゆっくりと動かしながら小鳥に土をかける。
やがて、弥生は掘り返した土を全て小鳥の上に戻し終わった。周りの土も多めにかけた為か、小鳥が眠る場所は少しだけ高くなっている。
弥生は作業を終えるとスコップを鞄に仕舞い込んだ。そして、小鳥が眠る小さな山に両手を合わせて無言で祈りを捧げている。
――何もできないけど、小鳥の冥福だけは一緒に祈らせてもらおう……。
桜の木は弥生の様子を見て己の無力感を必死に抑えながら、小鳥の冥福を祈った。しかし、桜の木の気持ちは土砂降りの雨が降れども晴れることはない。
祈りを捧げ終わった弥生は、徐に立ち上がった。
――えっ……?
弥生の顔を見た桜の木は驚いた、弥生の眼は僅かに揺れてはいるが泣いてなどいなかったのだ。
――弥生……。
桜の木は改めて感じていた。
きっと、弥生は小鳥が悲しまないように泣かないようにしているのだろうと。弥生は本当に強く、優しい子なのだと。
「っひく……うっ……」
しかし、桜の木が考えていた事は外れていた。
「……んで、…………なんで、っ…………死んじゃったの……どうっ…………してっ……っ!!」
弥生が必死に流さないように堪えていた涙は、漏れないように我慢していた声は、何かが崩れ去るようにあふれ出てきた。
弥生の力の無い腕は桜の木の幹を必死に掴んでいる。そうすることで崩れそうな、震える足を必死に立たせている。しかし、それも長くはもたなかった。
弥生の足は崩れ落ち、桜の木にしがみつきながら嗚咽を漏らし続けている。未だに止まぬ雨に濡れながら。
桜の木は自分の馬鹿さ加減に自嘲した。いや、自嘲するしかなかった。
何もできない上に勝手に勘違いをし、弥生の強さや優しさに関心していた。こんな馬鹿な話はないと桜の木は感じていた。
四百年近くも生きてきたのに、学校に通う弥生を毎日のように見てきたはずなのに、物の見事に馬鹿な勘違いをしてしまったのだ。
弥生は優しい訳ではなかった。弥生は優しすぎたのだ。桜の木はそのことを勘違いしてしまった。そして、弥生は強いからきっと大丈夫だと思っていた。
弥生は桜の木が今まで見てきた人の中でも確かに強い心を持っていた。しかし、優しすぎる故に弥生の強さでは自分の気持ちに押しつぶされそうになっている。
優しさと強さのバランスがまだ取れていなかったのだ。
桜の木はそんなこともわからなかった自分を殺してしまいたいとすら思った。自分で自分の心を制御しきれず、苦しむ弥生を助けられない自分を。
――辛いよね、本当にごめん……何故僕は何もできないんだ!!
桜の木は自分を責める。そして、せめて誰かに弥生の心を救ってほしかった。自分はどうなってもいいとさえ考えるほどに。
そんな時、桜の木のすぐ目の前、弥生の上に傘が差し出された。
桜の木はその傘の持ち主を見て歓喜にも似た安堵感を得た。
「弥生、風邪をひいてしまいますよ」
傘の持ち主は楓だった。
弥生に話かける楓の表情は、慈愛に満ちていた。とても優しい、温もりの満ちた顔。一方では、その瞳からは弥生に似ているが、弥生以上に確かな強さが感じられる。
楓は弥生を常に見守っていた。昔から変わらぬ強い力を宿した瞳で。温もりに満ちた表情で。母の強さを身に纏って。
桜の木には何もできない。出来たとしても救うことができるとは限らないのが現実だった。それでも、楓ならば間違いなく弥生を救える。桜の木はそう確信している。
彼女たち家族の絆はそれほどに深く、強い。
桜の木はそんな弥生や楓を羨ましくも思っている。
「っく……ひっ……っぐ……おがっ……さんっ……」
「あらあら、びしょ濡れじゃない。家に帰ってお風呂に入りましょう?」
楓はしゃがみ込み、泣いたままの弥生の頭を自分の胸へと抱き寄せてそう話しかけた。
弥生は声にならない声で返事をすると、楓に掴まりながら家路へとついた。
雨は降り続いているが、いつの間にか雲が開けて太陽が見えている。
太陽の光は降り続く雨にキラキラと反射しながら家路へとついた二人を暖かく包み込む。
桜の木は少しだけ暖かくなったのを感じたが、降り続く雨は止まなかった。
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雨は降り続けた。赤い夕暮れの中で日が落ちて、月が顔を出しても振り続けている。この雨は何日も降り続けるのだろう。
そして数日後、雨はやはり降り続いている。弥生が小鳥のための小さなお墓を作ってから、数日経つというのに。
この数日間、桜の木の下に弥生が訪れることはなかった。それ以前に学校に向かうところすら見かけない。どうやら弥生は風邪をひいてしまったらしい。雨の中で濡れながら泣いていたのだ。心身ともに風邪をひきやすい状態になっていたのだろう。
優しすぎた弥生は大丈夫なのか。桜の気に知る術はない。
桜の木は待ち続けるしかなかった。雨に打たれながら。
――弥生の風邪……相当悪いんだ。きっと今日も来られないよね……。
桜の木がそう考えて弥生には会えないのだと諦めようとした今日は土曜日だった。桜の木は休日だったからこそ自分に強く言い聞かせたかったのかもしれない。
そんな桜の木の諦めは、数分後物の見事に水泡と帰すこととなった。
桜の木の視界に弥生が姿を見せたのである。姿を見せた弥生はゆっくりと桜の木に近づいてくる。
表情は若干硬いように感じられる。もしかすると、まだ小鳥のことを引きずっているのかもしれない。弥生は優しすぎるのだから。
桜の木は自分が苦しくなるのを分かっていてやってきた弥生のことが心配だった。
そんな桜の心配を他所に弥生は桜の木の下にたどり着くと、最初に小さな他の人にはわからないであろう小鳥のお墓に手を合わせた。
弥生が手を合わせていた時間はそこまで長くなかった。しかし、桜の木の頭には様々な思いが駆け巡った為、とても長く感じられた。
弥生は手を合わせ終えると膝を抱えるようにしゃがんだ姿勢になった。桜の木はその様子を見て、次に弥生はどのような反応をするのかという事で頭が一杯になった。桜の木の思考のほとんどが不安と無力感で一杯になっている。
また月曜日のように泣き崩れるかもしれない。また自分は見ていることしかできない。
そんな桜の木の思考は予想外に裏切られることになる。
「私、もう大丈夫だよ」
弥生は微笑みを浮かべて桜の木にそう告げた。
もう、心配する必要はない。大丈夫だから。そんな思いが伝わってくるようである。
そんな弥生の微笑みは想像以上に眩しく、桜の木に降り続いた雨は一瞬のうちに止んでしまった。
――弥生……。
全ての雲がなくなったわけではないが、桜の木にはほぼ一週間ぶりとも言えよう青空が見えた。弥生と言う名の太陽が桜の木に覆いかぶさっていた雲を力一杯押し退けたのである。
桜の木は嬉しかった。あれだけ泣いていた弥生が元気を取り戻しているのだ。表情からは元に戻ったとは決していない状態だろうと言うのが見て取れる。それでも弥生の気持ちがどん底とも言える状態から立ち直っているのは明らかだった。
一方で桜の木はどうやって弥生が元気を取り戻したのかが不思議だった。
楓が何かしらの手を差し伸べたのは間違いないだろう。もしそうだとしても、弥生が数日で気持ちを持ち直せるのは桜の気にとっては奇跡にしか感じられなかった。
桜の木のこの疑問は桜の木が期待を込めて予想した通り、弥生が話し始めてくれた。
「お母さんがね、いつまでも悲しんだらダメだよって言ってたんだ」
弥生の言葉はそんな一言から始まった。
「小鳥さんはね、私を悲しませたくて死んじゃったんじゃないんだよって……」
弥生の目が少しだけ潤んだ様に感じたが、一瞬だったので桜の木にはわからなかった。そして、弥生は桜の木に向かい合う様に立っていた状態から桜の気に背中を預ける様にして座った。
弥生の暖かな体温が伝わってくるのを桜の木は感じた。桜の木は真夏なのに日差しがやわらかく穏やかな物に感じられた。
そんな中、弥生はゆっくり穏やかに言葉を紡いだ。
「私にね……強くなって欲しいからなんだって」
この言葉を聞いた瞬間、桜の木はなんとも楓らしい言い回しだと思った。
楓は人の心の強さを信じている人だった。だからこそその言葉が出たのだろう。
「どうして? って聞いたらね、人の心はすごく弱いからなんだよって言ってた」
――そうだね。
人の心の強さを信じる楓の言葉として不思議に思われるかもしれないが、楓は人の心の強さは心の弱さの裏返しであると考えていた。そのことを知っているからこそ、桜の木はその言葉に素直に同意できた。
「それでね、みんな同じで弱いからって一緒になって甘えてちゃダメなんだって」
――楓も厳しいこと言うんだな。
桜の木はほんの少しだけ苦笑した。
「弱さはいつか大切な物を奪っちゃうから……甘えないで強くならないとダメなんだよってお母さんが言ってたの」
――弱さに甘えない……僕にはできていないかもしれないな。
「それでね、小鳥さんは命がけで私を強くしようとしてくれたんだって」
弥生が優しげな目で小鳥のお墓を見た。
「この先、もっと辛いことあるけど負けちゃだめだよって。自分が死んじゃうのが分かったから死んじゃうまえに……わたしをつよくするために……やってきたんだよ……って」
弥生の言葉の途中から涙が零れ落ちた。言葉も途中からは途切れ途切れになってしまっている。それでも、その涙は悲観に染められている訳ではないのが桜の木にはわかった。弥生は泣いてしまっているが、表情は穏やかだった。
「だから……いつまでもかなしんでたら……ことりさんがもっと……かわいそうなんだよって……いってたの」
桜の木は楓の厳しさと優しさを感じた。本当に弥生のことを愛しているのだと言う事が伝わって来るようであった。
「私が強くならないと……本当に小鳥さんが死んじゃうから……私が強くなれば小鳥さんは私の心の中で生き続けられるからって」
未だ潤んでいる状態だが、泣いていた弥生の目に強い力が戻った。
「だから、私はもう悲しまないの」
弥生はどこかしこで使い古された言葉を紡いだ。しかし、桜の木は古い言葉だとは思わなかった。
何度も使われたが為に月並みで安っぽく感じる人もいるのかもしれない、でもこの言葉は真に物事を言い当てているから残り続けているのだろうと桜の木は感じている。
もし誰もが異を唱える言葉であるならすぐに使われなくなるはずだ。それでも残り続けているのはその言葉が真実だからなのだろう。だからこそ月並みだとか安っぽいなんて感じてはいけない言葉なのだと桜の木は信じている。
「それにね、私思ったんだ……」
弥生の目からはもう涙が消えている。
「私が悲しんでいたらあなたも心配しちゃうかもしれないもんね」
桜の木の視界から全ての雲が消え去った。
桜の木に降り続いてきた雨は弥生によって上がり、空は快晴の青空へと移り変わった。
――僕のことまで……。
久しぶりに見た快晴の空は、とても眩しかった。
「でも……今日は少しだけ泣いちゃった」
弥生は少し照れながら微笑んでいる。
「あの時はね、悲しいから泣いてたんじゃないんだよ」
桜の木にとって、弥生の笑顔は本当に眩しかったのだ。
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桜の木は空を見上げた。
大きな月から穏やかな光が町の中に降り注ぐ。月の光に負けじと、文明が織り成す光が町を輝かせる。
――最近は見れてなかった光景だな……。
桜の木は昨日まで不安で、悲しくて、寂しくて、怖くて、辛い雨に打たれ続けていた。真夏の日差しが強烈に降り注ぐ日にも雨は降り続けた。そして弥生が現れ、微笑み、時折詰まりながらも話をしてくれたことで冷たい雨の中から穏やかな日差しの元に帰って来られた。
根元には可愛らしい花が添えられた小さな山がある。そこに眠る小鳥が自由な空をもう一度楽しんでいる姿を思い浮かべ、桜の木は昼間の弥生の話を反芻した。
「あの時はね、悲しいから泣いてたんじゃないんだよ。ありがとうって言う気持ちが止まらなかったの」
弥生はこの一週間でとても強くなった。
この先もまた、辛い出来事が起きて泣いてしまう日が来るかもしれない。それでも、桜の木は弥生ならば強さに変えられると感じた。躓きそうになった時にはきっと家族が支えるだろう。弥生と楓と伸吾の三人の家族は本当に仲が良い。それに、強い心を持っている。
使い古された言葉にしか聞こえない言葉でも弥生が立ち直れたのは、家族の仲の良さと強い心も一役買ったのだろう。
言葉の力、家族の絆、人の心、桜の木には改めて人の強さを感じられた一週間になった。
遅くなりました><
それに文章がところどころおかしい気がしています……そちらは今後少しずつ修正しようかと思いますが……
第6話。これをもちまして4回に渡ってお送りすることになりました「桜の不安」の部が終了となります。
小学校低学年にしては大人っぽ過ぎたり子供っぽ過ぎたり波を作りすぎてしまった気がします……もっと勉強しないと……
次回からは小学校高学年の弥生ちゃんが登場します。
さて……どんな弥生ちゃんになることやら……
それでは、次回の更新をお待ち頂ければと思います。
感想とか……待ってます><