【セックス・ジェンダー】1-1 《赤ちゃんをつくるためだけにセックスするというのは幼稚だ》
神様は友達です。
「みんな、ぼくの神さまを見においで」
著者のニールさんもそう言っています。(神との友情上-P125)
私もそんな気持ちで、2章で書きました「私なりの説明」の中から、日常生活に役立つ神様のことばを選んで、書いてみます。
神様は、セックスからお金に至るまで人生の様々な物事に、アドバイスをしてくれています。
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【セックス】1-1《赤ちゃんをつくるためだけにセックスするというのは幼稚だ》
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生殖は、人間の性体験の幸せな結果であって、事前にもくろむことではない。赤ちゃんをつくるためだけにセックスするというのは幼稚だ。
これ以上は子供はいらないというところでセックスをやめるべきだと考えるのは、幼稚どころかもっとひどい。人間の本性を踏みにじる考え方だ。
性的表現は、ひきつけあうという永遠のプロセスと、すべての生命を燃やすリズミカルなエネルギーの流れの当然の結果だ。
《神との対話2-P119》
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一般のキリスト教では、セックスは、生殖を意図する場合のみに許されるとされています。極端な教義では、結婚した夫婦間でのセックスも、罪とされたことが過去にはあるのです。
『神との対話』では、セックスは「ひとつになりたい」という、生命の自然な欲求の表現であって、罪でも何でもないといっています。
相対的世界(物質的世界)では、相対するものは引きつけ合い、ひとつになろうとする性質があります。電気のプラスマイナス、磁石のN極S極などが、分かりやすい例でしょう。
ひとつになりたいという欲求の結果として新しい命が生まれるのであって、生殖を意図するからセックスをするのではありません。生殖を意図しなければセックスをしてはいけないということはないのです。
もし生殖のためだけにセックスをするというなら、今は、試験管内でも子供ができるようになっています。
食事を例えにすると、私たちは栄養を取るためだけに、食べているのではありません。おいしいという楽しみ、喜びのために、いろいろな料理を作って食べています。ただ栄養のためだけというなら、宇宙食のようなものでもこと足りるのです。
セックスも人生における体験の1つであり、セックスを通してさまざまな出来事を体験し、それによって無数にある神性の体験をしているのです。
参照:2章17生活(5)セックスその3




