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『神との対話』との対話  作者: いのうげんてん
3章 『神との対話』とキリスト教教義の相違点
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4 宗 教

4 宗 教


┏━あらすじ━━


 キリスト教では、生まれながらに原罪を持つ人間を救済するために、神から、救世主としてイエスキリストが遣わされたとする。


 イエスキリストは、人類すべての罪を自らが背負って十字架上で亡くなり、そのイエスキリストを信じることによって、人間の原罪はあがなわれ、神に許される。


 キリスト教は、堕落人間を原罪から救済し、天国に入ることを神に許される唯一の宗教である。


 『神との対話』では、宗教はどの宗教も、神に至る道を教えているという。しかも、どの宗教にも優劣はなく、すべての宗教が、神に至る道を示す一つの教えだといっている。


┗━━━━━━━


① キリスト教教義の見解


 キリスト教では、生まれながらに原罪を持っている人間を救済するために、神から、救世主としてイエスキリストが遣わされたとしています。


 イエスキリストは、人類すべての罪を自らが背負って十字架上で亡くなりました。そのイエスキリストを信じることによって、人間の原罪はあがなわれ、神に許されるのです。


 イエスキリストによる贖罪(罪のあがない)を受けなければ、何びとも天国に入ることはできず、イエスキリストの教えを信じて実践し、洗礼を受ける必要があるのです。


 キリスト教は、堕落人間を原罪から救済し、天国に入ることを神に許される唯一の宗教なのです。


 世界宗教には、キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、ヒンズー教などが上げられています。このうち3大宗教には、キリスト教、イスラム教、仏教が上げられます(これらには諸説あります)。


 キリスト教以外の宗教について、簡単に記します。


 旧約聖書にはアダムとエバの堕落(失楽園の物語)から、イエスキリストの生誕までの、ユダヤ民族の歴史が記されています。


 ユダヤ教は、イエスキリストを救世主とは見なさず、一人のラビ(ユダヤ教の教師)と見なしています。


 ユダヤ教の教典は、『タナハ』(キリスト教の『旧約聖書』と同じ書物)で、その内の『モーセ五書』はトーラーと呼ばれ、教典の重要部分になっています。


 イスラム教は、紀元後6世紀に、ムハンマド(マホメット)が起こした宗教で、教典はコーランといいます。マホメットは預言者の一人で、旧約聖書ダニエル書に出てくる天使ガブリエルに出会い、神の啓示を受けたとされています。


 このように、世界宗教のうち、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、同じような歴史的過程の中で誕生しています。


 仏教は、紀元前5世紀、インドのガウタマ・シッダールタによって、起こされています。


 宗教はさらに、インドのヒンズー教、日本の神道、中国の儒教など、世界に存在する民族の数と同じくらい、多数存在しています。


②『神との対話』の見解


 『神との対話』では、キリスト教、イスラム教、仏教などの宗教集団を指して「組織的宗教」と呼び、個人の心の内にある宗教心(霊性)とは区別しています。

 

 そもそも組織は、物事を存続させるために作られます。


 宗教組織も例外ではなく、それを存続させるためにあらゆる手を尽くします。


 キリスト教カトリックでいえば、司教・司祭(神父)などの人的位階制組織や、集団礼拝ミサ、献金、感謝祭やキリスト降誕祭クリスマスなどの宗教儀式、教会で罪を告白する告解などの宗教行為が、歴史的に編み出されていったのです。


 『神との対話』では、組織的宗教に頼らず、自分の内なる声(霊性)、内なる知恵に目を向けなさいといっています。


 神は、すべての人間に平等に語りかけ、導いています。人間の魂と神は通じていますから、心の奥深いところにある魂で神を訪ねれば、神を見いだすことができるというのです。


 組織的宗教の作り上げた世界が、今の世界だといっても過言ではありません。それが今はうまくいっていないというなら、自分の内なる霊性に戻るべきなのです。


 『神との対話』では、儀式的な礼拝は、神は全く望んでいないといっています。


 神は魂と一体であるので、内なる奥深い心の世界では、人間はすでに神と通じているのです。ただ人間がそれを知らない、気付かないだけなのです。それを人間に目覚めさせるのが、宗教の第一の使命なのです。


 すべての宗教は、神に至る道をそれぞれの表現や方法で示しています。その道は数限りなくあり、それらのどれも数限りない道のうちの一つであり、どの道がより優れているということはありません。


 民族においても、選民というような、他の民族より優れている民族というものもありません。


 自分の方が優れているという考え方が、すべての争いの元となっています。その考えを捨てなさいと、神はいうのです。


 色々ある道のうち、どの道を通って神に至るかは、各人がその人生の中で、自らの自由意志によって選択していくのです。


 世界には、新興宗教(新宗教)が数多くあります。その新興宗教には、自らを「救世主」とか「真の親」とか名乗る、教祖的人物がいます。(Wikipedia「新宗教」参照)


 『神との対話』では、そういう者からはさっさと逃げなさいといっています。


 真のマスター(師)は、自分を崇めよとは説かず、多くの人々をマスターに育てる者だからです。


 魂は、宿った人間の人生で、なすべき課題を完了すると、その個体から離れます。それが死なのです。


 神性を体験したいと望んで、魂は人間に宿ったのですから、人生を歩んでいるときも、魂は神性を体験するという大仕事を、喜び楽しんで行っているのです。


 そしてそれを完了して来世に行くときは、これもまた新たな出発をするように、喜んで離れるというのです。


 したがって、死を悼む必要はないし、悼んでほしいとも魂は思わないというのです。


* 筆者〈いのうげんてん〉からのお願い:神・生命に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく存じます。→http://ncode.syosetu.com/n6322bf/


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