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『神との対話』との対話  作者: いのうげんてん
3章 『神との対話』とキリスト教教義の相違点
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3 キリストによる救済

3 キリストによる救済


┏━あらすじ━━


 キリスト教では、神から遣わされたイエスキリストを信じることによって、人間の原罪は(あがな)われ、神に許されるとする。


 『神との対話』では、神は絶えず、魂を通して、自然を通して、多くのマスター(師)を通して、人間を導いているという。


 イエスキリストは、マスター(師)のうちでも最高のマスターで、イエスキリストを信じて求める者には、今も霊的に導いているという。


┗━━━━━━━


①キリスト教教義の見解


 旧約聖書には、人間始祖のアダムとエバ(=イブ)の堕落以後、その子孫が増えてユダヤ民族となり、堕落することによって神に追放されたエデンの園(現在のイスラエル辺り)に、再び帰っていく歴史が書かれています。


 ユダヤ民族は、神の国(地上天国)を建設するために、神に選ばれた選民であるとしています。


 そして、堕落人間を救済するために、神からイエスキリストが、救世主としてユダヤ民族に遣わされました。


 しかし救世主を待ち望みながらも、多くのユダヤ人たちは、イエスを救世主と認めず、十字架につけて殺害してしまったのです。


 ユダヤ教では、イエスキリストを救世主とは認めず、一人のラビ(ユダヤ教の教師)と見なしています。


 一方、イエスキリストの説いた教えは『新約聖書』として編纂され、キリスト教の教典になっています。


 旧約、新約ということばは、キリスト教的な表現なのです。地上天国へユダヤ民族を導くと、神と交わされた契約を「旧約」とし、イエスキリストを信じる者を神は救済するという契約を、「新約」といっているのです。


 キリスト教では、生まれながらに原罪を持っている人間を救済するために、神から、救世主としてイエスキリストが遣わされたとしています。


 イエスキリストは、人類すべての罪を自らが背負って十字架上で亡くなり、3日目に復活しました。そのイエスキリストを信じることによって、人間の原罪はあがなわれ、神に許されるというのが、キリスト教の救済論なのです。


 イエスキリストによる贖罪(罪のあがない)を受けなければ、何びとも天国に入ることはできません。


 人間は死ねば霊界に行き、その人間の生き方の良否によって、それぞれ、天国・地獄・煉獄・リンボーに行き、永遠にその領域(場所)にとどまらなければならないのです。


 キリストによる救済を受けるためには、聖書を読んだり、教会の礼拝に参加するなどして、イエスキリストの教えを信じて実践し、洗礼を受ける必要があるのです。


 洗礼を受けることによって、死んだ後、霊界の天国に入ることができるのです。


②『神との対話』の見解


 『神との対話』には、「救済」や「贖罪」という発想はありません。人間始祖の堕落は無く、人間には、生まれながらに負うという原罪はないからです。


 旧約聖書は、ユダヤ民族という1民族の歴史的物語で、人間始祖は地球上の複数の地で誕生しているといっています。


 そして、神に選ばれた選民という特別な民族というものはありません。


 すべての人間、民族が、神にとっては、神の分身であるという特別な存在であり、神性を体験するために「人生という道」を、すべての人が等しく歩んでいるというのです。


 魂が宿った人間は、現実世界(地上界)の人生の中で様々な出来事に遭遇しながら、無数にある神性を体験して行きます。


 その中で、人生の道に迷う事がたびたび起こります。


 「道に迷う」とは、自分自身を見失うことです。エゴ(自我)が大きくなり過ぎて、「神性を体験している自分」という本質的なことを、見失うことなのです。


 人間自身が、人生の道に迷い、真理を求める時、神はいつも導いています。


 神は絶えず、魂(内なる声)を通して、自然を通して、多くのマスター(師)を通して、あらゆるものを通して、人間を導いているといっているのです。


 自らの神性を体験したいと考え、宇宙を創造した神が、人生を必死になって生きている人間を、放置しておくはずはないのです。


 もっと、究極的な表現をするなら、人間(魂)と神は、表裏一体となって、人生をともに歩み、ともに体験しているといえるのです。


 マスター(師)とは、輪廻を繰り返して神性を高次に体得し、悟りのレベルに到達した魂(の宿った人間)をいいます。


 イエスキリストは、マスターのうちでも、最高位のマスターであるといっています。そして、イエスキリストを信じて求める者には、今も霊的に導いているというのです。


(「2章 3 人生」を参照してください。)


* 筆者〈いのうげんてん〉からのお願い:神・生命に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく存じます。→http://ncode.syosetu.com/n6322bf/


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