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『神との対話』との対話  作者: いのうげんてん
3章 『神との対話』とキリスト教教義の相違点
71/246

1 宇宙の創造目的

記述ルール

────────────

①原著の引用文は、《《  》》で囲み、引用ページは、《《ブック1- P22:(ブックは1~3巻。Pはページ)と表します。(続編『神との友情』、『新しき啓示』も同じスタイル)

②原著は対話形式なので、ここでは発言者名を、神:、ニール: と文頭に記します。

────────────



 本章では、『神との対話』に書かれた内容とキリスト教教義とを比較して、両者の見解の相違点を書いてみます。


1 宇宙の創造目的


┏━あらすじ━━


 『旧約聖書』創世記には、神の宇宙創造の経緯が書かれているが、創造目的については、はっきりとは記されていない。


 キリスト教では、神の宇宙創造の目的については、「神は、神ご自身の栄光を現わすために宇宙を創造された」としている。


 『神との対話』では、絶対的存在の神は、自らを体験的に知るために、相対性の理論を利用して、相対的世界すなわち宇宙を創造し、魂(および人間)を通して自らの神性を実感的、体験的に知ろうとしたとする。


┗━━━━━━━


①キリスト教教義の見解


 『旧約聖書』創世記には、神の天地(宇宙)創造の経緯が書かれていますが、その創造目的については、はっきりとは記されていません。


 『旧約聖書』創世記における天地創造のくだりは、次のようなものです。


「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。


 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第1日である。」(『旧約聖書』創世記第1章1節)


 天地創造はこのようにして始まったのです。


 2日目に水が雲と海に分けられ、3日目に陸地が現われ、植物が出現しました。


 4日目に大空のガスや塵がなくなり、地上に日と月と星の光が届くようになり、5日目に魚類そして鳥類が現われ、6日目に哺乳類、最後に人類が生まれました。


 こうして天地創造は完成し、7日目に神は休まれたと、創世記には書かれています。


 キリスト教教義では、神の宇宙創造の目的については、「神は、神ご自身の栄光を現わすために宇宙を創造され、ご自身の愛の対象とするために、ご自身のかたちに似せて人間を創造された」と説いています。(参照:久保有政 キリスト教会牧師 http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/074wakaru.htm)


 この教義の根拠として、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。」(『旧約聖書』創世記第1章2節)という聖句が考えられます。


②『神との対話』の見解


 『神との対話』には、神の宇宙創造の目的について、明確に述べられています。《神との対話1-P39》


 絶対的存在(「有りて有る者」)である神は、自らの神性を概念としては知っていたのですが、それらを体験的、実感的に知ってみたいと考えたのです。すなわち、神は自分自身(神性)を、体験的、実感的に知りたいと思ったのです。


 これが神の宇宙創造の動機であり目的なのです。


 「概念として知る(know conceptually)」とは、分かりやすくいうと、私たちの頭の中にある思考やイメージと似たものといえるでしょう。それらは物理的な形が無く、実感的ではありません。


 思考やイメージは文字化すれば「言葉」という形になり、より外形化しますが、それでもまだ実感的、体験的なものではありません。


 私たちにとって言葉が実感的であるのは、それを既に体験している場合に限られます。例えば、私たちが「暑い」という言葉をすぐ実感的に理解できるのは、それを体験して知っているからです。もしそれを体験していないなら、実感的には理解できません。


 このことを、原著の中では「体験として知る(know experientially)」と表現しています。


 絶対的存在である神は、自らを体験的に知るために、相対性の理論を利用して、相対的な世界、すなわち宇宙を創造し、魂(および人間)を通して自らの神性を実感的に知ろうとしたのです。


 相対的な世界とは、男性―女性、オス―メス、陽イオン―陰イオン、陽子―電子などの陽―陰、大―小、長―短、熱い―冷たい、遠心力―引力、ここ―あそこ、など、相対するものによって成り立つ世界のことです。


 これに対して絶対的世界とは、中和的な世界ともいえます。陽―陰、大―小などの相対的なものすべてが存在しながら、それらが渾然一体(中和)となっているのです。(透明な光も、分解すれば、無限の色が現れます。)


 これは鏡を例にすると、理解しやすいでしょう。自分だけで自分の姿を見ようとしても見られません。もっと極端にいえば、自分の目で、直接、自分の目を見ることはできません。


 しかし自分を鏡に映して、映った像を見れば、目はもちろんのこと全身の自分の姿を相対的、客観的に見ることができます。


 創造した宇宙を鏡として、自らを映すことによって、自分の姿を、神は見ることができるのです。


 さらに画家を例にしてみましょう。画家は自らの脳裏に浮かんだ無形のイメージ(すなわち概念としての知識)を、キャンバスに描いて絵として具現化、有形化し、それを客観視することにより喜びを実感します(すなわち体験としての知識)。


 神の宇宙創造はそれと似ているといえるでしょう。


(「2章 2 神と宇宙 (3)神の宇宙創造」 を参照ください。)



* 筆者〈いのうげんてん〉からのお願い:神・生命に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく存じます。→http://ncode.syosetu.com/n6322bf/



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