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『神との対話』との対話  作者: いのうげんてん
2章 『神との対話』-私なりの説明
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《 私なりの説明 まとめ 》

『神との対話』-私なりの説明 まとめ


Ⅰ 序 言   

        

(1)著者ニール・ドナルド・ウォルシュ(Neale Donald Walsch)氏の生い立ち


 ニール・ドナルド・ウォルシュ氏は、小学生時代、神父のような聖職者になることが夢でした。


 それは父親の反対でかなうことなく、マスコミ関係の仕事を手始めに、医学、政治などいろいろなことを経験しています。その中で興味深いことは、『死の瞬間』の著者であるキュブラー・ロス女史の助手として仕事をしていることです。


 私生活では、複数回の離婚を経験し、時にはホームレスの生活をしたこともあります。まさに聖職者からホームレスというありとあらゆることを経験し、波乱万丈の人生を送っているのです。


 彼は、『神との対話』をおこなって、「自分の人生は、今のためにあったと気付いた」と述懐しています。


 『神との対話』の原著は英文(英文タイトルは、Conversations with God)で、1998年時点で24か国語に翻訳され、何カ月も続けて国際的にベストセラー・リストに登場しました。


 日本語訳は、吉田利子氏によるもので、サンマーク出版から、第1部が1997年に、第2部が1998年、第3部が1999年にそれぞれ発刊されています。


 さらに、ニール・ドナルド・ウォルシュ氏は、続編として「神との友情」(Friendship with God)2部作を 2000年に、「神とひとつになること」(Communion with God)を 2001年、「新しき啓示」(The New Revelations)を 2003年、「明日の神」(Tomorrow's God)を 2006年に執筆出版し、2007年に出版された「神へ帰る」(Home with God)で、神との対話シリーズを完結させています。


(2)『神との対話』が始まったいきさつ


 彼は、1992年のある日、行き詰まった人生に憤怒し、テーブルに置いてあったノートに怒りや失望の思いを、神に当てて書きなぐりました。それは誰でも、日記にその思いを書いて、心の平安を得ようとする行為と同じものです。


 書き終えてしばらくすると、自分のペンを持つ手が、何者かの力に拘束され、神の言葉が、自動的にノートに書き始められたそうです。それは、「まるで口述筆記をしているようだった」と述べています。


 これは、心霊科学でいわれる、自動書記というものと考えられます。それから、『神との対話』が始まったのです。


 彼の質問に神が答えるという対話形式で、本書は書かれています。



----------


Ⅱ 神と宇宙   

          

(1) 神と神性   


  ① 神


 『神との対話』では、神とは「存在のすべて」と表現されています。「存在のすべて」とは、旧約聖書(出エジプト記第3章)に「有りて有る者」と書かれてあるように、全ての存在の根源であり、かつ被造物をも包含した存在全てを意味しています。


 『神との対話』の著書では、「存在のすべて」を、次のような表現で説明しています。


『わたしは神である。わたしは至高の存在である。存在するすべてである。はじまりであり終わりである。アルファでありオメガである。わたしは太陽であり物質である。問いであり答えである。上昇であり下降である。左であり右、現在であり、過去、未来である。』


『わたしの世界は、絶対の世界であって、そこでは、ひとつのものが、他との関係によって存在しているのではなく、何ものからも、独立して存在している。』


『わたしには、あなたがたが理解できるかたちも姿もない。わたしは、どんなかたちや姿になることもできるが、(中略)わたしは偉大なる『見えざるもの』であって、ある瞬間のかたちや姿ではない。』


 創造主なる神を、被造物である人間の言葉で説明することは、自ずから限界があるといえます。時間・空間の中に生きる人間が、時間・空間をも創造された、すなわち時間・空間を超えた存在を、形容し表現する言葉そのものを、持ち合わせていないからです。


 ② 神性


 神性とは、神の属性(側面)をいいます。


 神には、非常に複雑で、無数の層、感覚、面があります。例えば、冒涜的な面と深い面、小さな面と大きな面、うつろな面と神聖の面、おぞましい面と神々しい面など、ありとあらゆる性質を内包しているのです。


 ③神の性格(ニールの視点)


 著者ニールの人間的に見た「神の性格」が次のように書かれています。


 1)ユーモアの神


 2)映画を作り見る神


 3)反対しても怒らない神


 4)壮大な神


 5)いたわり慰め鼓舞する神


(2) 神の宇宙創造


 ① 創造目的と宇宙創造


 神の宇宙創造は、すべての根源である神が、自らの性質(神性)を体験するために、自分の姿に似せて宇宙を創造しました。


 「存在のすべて」である神は、絶対の存在(他者に依存しない存在)であるため、概念としての知識はありましたが、体験としての知識はなかったのです。そこで、相対的な世界、すなわち宇宙を創造し、体験的に、あるいは実感的に、自らの神性を知ろうとしたのです。


 絶対的世界は、他者に依存しない、存在そのものであるため、自らの神性を体験的に知るには、相対的世界に入らなければならないのです。


 例えば、容姿など自分自身について全く情報を持たない人間が、光や音など五感で感じるものが何もない部屋の中にいるとします。そこでは自分について知る方法が、何もありません。


 そこに1点の灯りが出現したとします。すると、自分と灯りとの距離、灯りの大きさなどの相対関係から、自分の位置や大きさなどを知ることができます。さらに灯りが明るくなって自分の姿が映し出されれば、自分の容姿も見えてきます。


 このように相対的世界では、他者との相対的関係をもつことによって、自分自身を知ることができるのです。


 宇宙は、物質的世界と、霊的世界(および「純粋な存在の領域」の三領域)からなっています。


 霊的世界では、思いとその実現とに時間差が無く、思いが即実現します。


 物質的世界でしか、神性を体験的に知ることはできません。


 要約すれば、神の宇宙創造は、無形の神すなわち「存在のすべて」の神が、無数にある神性を表現して有形的な宇宙を創造し、まさに自分自身を鏡に映すようにして、自分を体験するために行なわれたのです。


 それは、画家が自らの脳裏に浮かんだ無形のイメージを、キャンパスに描いて表現(有形化)し、それを客観視することにより、喜びを実感することと似ているといえるでしょう。


 ② 魂の創造


 神は、神ご自身の性質と能力を分与した魂を創造されました。それは、神の分身(分霊)といえます。魂は、宇宙創造の時に、決められた数だけ創造されています。


 神の分身である魂が、物質的世界の人間に宿ることにより、いろいろな体験をします。


 人間は、魂-精神-身体という3層になっています。


 魂自身が自らを体験的に知ることによって、神ご自身も自らを体験的に知ることができるのです。


 いいかえれば、魂の目的は、神から分与された概念としての知識を、人間の精神-身体による活動、すなわち人生において実体験し、体験としての知識を体得することです。


 魂が実体験するときに、神ご自身も無形なる絶対的な自分自身(神性)を、有形的に実体験しているのです。


 神の分霊である魂の目標は、母体である神の無形なる神性を実体験して成長、完成し、神に帰一することなのです。


 このように神ご自身も、自身の分身たる魂とともに共同して、無限に成長・変化し続けるのです。


 ③ 人間の創造と人間の構成要素


 人間は、魂の乗り物として、創造されました。したがって、人間は、魂-精神-身体からなっています。


 魂は、神の分霊として個別性をもちながらも、全てがつながっています。それを家の中の空気に例えて説明しています。


 空気はすべてつながっているものですが、家の中では、各部屋ごとの独特の空気、例えば、台所なら食物の香りがする、リビングルームはそれ特有の雰囲気があるというように、個と全体がつながっています。しかも、屋外の空気ともがつながっています。


 魂もそれと似ています。人間一人ひとりの魂の個別性はありますが、それらは決して別々に分離しているのではなく、つながっているのです。


 さらに神と魂の関係を、大洋と波を例えにして、説明しています。


┌----------

 大洋がなければ、波は波として存在する力をもたない。


 小さくても大きくても波は波だ。


 波のひとつひとつは違っていても、どの波も、大洋そのものと分離してはいない。


 波は浜辺に打ち寄せるが、存在しなくなるわけではない。かたちを変えて、また大洋に戻っていく。


 波の存在は、大洋の存在の証だ。


 あなたの存在は、神の存在の証だ。


 《神へ帰るP130》(一部略)

└----------


 大洋と波はつながっています。その成分組成も同じです。波は大洋の一部なのです。


 波にも、大きな波、小さな波など千差万別の波がありますが、それは大洋の様々な性質の表れです。


 そして波は浜辺に打ち寄せるが、存在しなくなるわけではありません。かたちを変えて、また大洋に戻っていくのです。


 大洋と波の関係と同じように、魂は神の分霊で、神と魂はつながっているのです。


 それがもし実感できれば、他者を無視した独善的な考えや行動は、他者だけでなく、自分をも害しているといえるのです。他者のために与えることは、自分に与えることになるのです。


 ④ 地球外生命体


 『神との対話』には、地球外生命体について次のように書かれています。


┏━━━━━━━


 べつのところにも生命体がある。この巨大な宇宙にいるのがあなたがただけだと、ほんとうに思うか?


 地球外の生物が助けてくれている。彼らはあなたがたのなかに、おおぜいいる。何年もあなたがたを助けている。


 他のほとんどの文明があなたがたよりも進んでいる。


 すべてのひととすべてを分け合う。


 所有という言葉や概念はない。


 人類よりもずっと長生きする。


 子供が子供を育てたりはしない。


 罪悪感や恥を感じない。


 競争しない。ひとりが失えば、全員が失うことを知っている。


 さまざまな生物がいる。地球上と同じだ。それどころか、もっと多様な生物がいる。


 何が「ためになるか」という考え方がまるでちがう。


 「もたざる者」はいない。あなたがたの社会のように、おおぜいのひとがみじめなどん底で暮らすこともない。


 集落で暮らしている。あなたがたの世界でいえばコミュニティだが、「都市」とか「国家」という考え方はもうやめてしまった。


 衣服を着る必要を感じない。高度に進化した文明は環境を創造し、コントロールし、行き届いた管理をしている。


 テレパシーでコミュニケーションする。


 学校制度はない。


 高度に進化した存在が対立要素を探そうとするとき、目を向ける場所のひとつが地球なのだ。


┗━━━━━━━



----------


Ⅲ 人 生  

       

(1) 人生 


 ① 人生


 魂には、無数の神性が、概念としての知識として付与されています。


 人生は、魂が宿った人間の生活活動を通して、神性を実体験して、体験としての知識に変えていくプロセスです。すなわち、現実の生活に起こるさまざまな出来事をツール(道具)として、考え行動することによって、概念としての神性を体験して、体験としての知識を体得していくのです。


 『神との対話』では、それをパソコンのCD-ROMを例えに、説明しています。


 CD-ROMの中には、目には見えないプログラムが入っています。それをパソコンに読み込ませると、パソコンはいろいろな作業をします。


 その作業が1つのゲームだとすると、(ゲームに例えるのは、神が人間を持て遊んでいるように誤解されて良くないが、とも述べています)ゲームの内容は、プログラムとしてCD-ROMの中にすでにすべて書き込まれています(これが、概念としての知識ということです)。


 ゲームの実行中に、その場面場面にゲームの主人公の行動パターンを選択、決定して、ゲームを進んでいきます(これが、体験としての知識です)。その選択の組み合わせは、数限りなくあります。


 それが人間が歩む人生に似ているのです。すなわち、神の分身としての魂には、概念としてのプログラムがすでに付与されています。人間が人生の中でいろいろな場面に出会い、いろいろな決断をして行動していくとき、いろいろなことを実体験し、その概念としての知識を、体験としての知識に変えていくのです。その時、同時に神ご自身がそれを実体験しているのです。


 魂は、人生において、自分自身を新しく創造あるいは成長させるために、身体に宿る時に(生まれる時)、それまで生きた前世の記憶を忘れます。絵を描く時、白紙のキャンバスでなければ、新しい絵を描くことができないのと同じです。


 過去の記憶を忘れることにより、神性を新たに実体験し、まったく新しい自己を創造していくのです。


 アメリカの精神科医ブライアン・ワイス博士は、過去にさかのぼるという退行催眠によって、その人の前世の記憶をよみがえらせ、現実の生活に活用するという、前世療法という心理療法を行っています。


 ② 魂と精神


 魂のレベルの意志と、精神のレベルの意志とは、必ずしも一致しません。というより、高次に成長していないレベルでは、精神は、魂の意志を感知できないのです。



 魂の目標は、神の神性を体験し成長していくところにあります。


 しかし精神の目標は、この現実世界で、より良く生きていくところにあります。そのより良いという価値観は、それぞれの成長レベルによって異なります。例えば、お金がすべてという価値観もあり、愛や真実が大切であるという価値観もあります。


 魂は、神性を体験していくためのチャンスを、人生の出来事として用意していきます。しかし、人間は精神の作用によって行動していますから、魂の意図するものとは異なる選択、決定がなされる場合があります。


 すなわち、精神は、出来事の場面場面において、おうおうにして、魂の意図するところとは違った選択、あるいは決定をしていきます。そのために、その人間からすれば、自分の精神の意図とは違った結果が、現実には起きてくることがあります。


 しかしこれは、決して意味のないものではなく、必ず魂が成長していくために役立つものであるのです。


 相当高次に成長した個体のレベルでは、この魂の意図を精神は理解できるのです。キリストや釈尊などのマスター(師)は、それらを理解できる人なのです。


(2) 生と死 


 魂-精神-身体が一体となった人間が、物質的世界(現実世界)で果たすべき課題が完了すると、物質的世界を離れて霊的世界に行きます。


 「死」は、物質的世界(物理的世界)から霊的世界へ移行する通過点であって、「生」の終わりではありません。


 その逆に、輪廻転生によって霊的世界から物質的世界に移行する通過点が、「誕生」なのです。


 人間は、物質的世界でも霊的世界でも、形(エネルギーの振動数)は変わりますが、魂-精神-身体の3要素からなっています。


 「死」のプロセスは3段階からなります。


 第1段階で、自分は物質的な身体ではないことに気づき、第2段階で、死ぬ時に抱いていた信念を経験します。


 第3段階で、神と一体化して、終えたばかりの人生を、関わった全ての人間の視点で振り返ります。


 そして神の「聖なる審問」を受けるのです。


 「聖なる審問」の時、霊的世界に進むか、今来た元の物質的世界に戻るかは、人間が自由に選択できるのです。


 霊的世界に進むという選択をして霊的世界に入った時、人間の「死」のプロセスが完了します。(つまりこの時点で、「死」が確定するのです。)


 霊的世界の人間が、新たに神性を体験したいと希望すると、物質的世界に行きます(輪廻転生)。


 その時にも、「聖なる審問」を受けるのです。


(3) 前世・現世・来世


 魂は、自己を完成させるために、現在の人生(現世)を通じて神性を体験しますが、その人間の個体で体験できる内容が尽きると、身体から離れて(死)、霊的世界(来世)に行きます。


 そして、さらに神性の新しい体験を希望・意図したときに、再び現世に戻って、別の人間に宿ります。


 前世とは、その魂がそれ以前に生きた現世をいうのです。


 魂には、前世の全ての体験が、記憶されているのです。


(4) 輪廻りんね 


 仏教でいう輪廻を、この『神との対話』でも述べています。


 すなわち、人間が死んでから、来世(霊的世界)に魂は行くのですが、魂の内包する概念としての神性が、完全に体験されないでいる間は、再び現世に戻って、それを完遂するために、また新たな人生を歩みます。その時、魂が宿る人間は、前(前世)とは違った人間です。


 これを繰り返すことを、輪廻というのです。


 ウォルシュ氏は、648回目の人生(現世)を、今、歩んでいます(すなわち、すでに647通りの前世を生きているのです)。


 それを繰り返して、神の分身としての魂に与えられた、すべての神性を実体験して完成したときに、その魂は神に帰一し、一体化するのです。


 神と一体化した後、それは再び高次の次元で分化します。すなわち、無限にこの分化と帰一が繰り返されるのです。これが、いわば神の呼吸であるのです。


(5)堕落・原罪・地獄


 『旧約聖書』の創世記第3章には、人間の始祖であるアダム(男)とイヴ(女)の失楽園の物語が書かれています。


 それを要約すると、


┌-----

 アダムとイヴは、エデンの園で、神から取って食べてはならないと言われた『善悪を知る木の実』を、ヘビの誘惑によって食べてしまうという罪を犯すことによって堕落し、神によってエデンの園(地上天国)から追放された。


 ヘビ(天使を象徴している)は堕落して悪魔となり、堕落したアダムとイヴの子孫 (すなわち全人類)は、神の戒めを破ったという罪すなわち原罪を、生まれながらにして負っている。

└-----


となります。


 キリスト教(カトリック教義)では、神の創造した宇宙は地上界と霊界から成り、人間は地上界での人生を通して人格を完成して地上天国を築き、死んだ後、霊界に天上天国を築くように創造されたとなっています。


 ところが、人間始祖の堕落により原罪を負った人間が繁殖し、地上界を支配することにより、地上、天上ともに天国の実現が不可能となったのです。


 『神との対話』では、「エデンの園の神話」は、人間始祖の堕落ではなく、神の「最初の祝福」を意味しているといっています。


 聖書にある「善悪を知る木の実を食べた」という出来事は、アダムとイヴで象徴される最初の人間が、相対的世界(現実世界)で、善なることと悪なることを自らの自由意志で選択し経験し始めたという、祝福すべき船出を意味しているのです。


 したがって、人間始祖の堕落は存在せず、人間に原罪はありません。


 キリスト教の教義では、この世(地上界)で、悪事を行った人間は、死んでから霊界に存在する地獄に行くといっています。霊界には、天国と、悪魔が支配する地獄の二極の領域(場所)があるのです。


 天国と地獄の中間には、煉獄、リンボーがあるとされています。


 『神との対話』では、霊的世界には天国のみがあり、キリスト教が説くような地獄はないといっています。


 地獄は、霊的世界の場所として存在するものではなく、低位の魂が自分自身で創り出し、経験するものだというのです。


 霊的世界では、思考が、即、現実となりますから、魂の成長レベルに合わせた現実が展開されます。


 すなわち、地獄という場所はないが、地獄の経験はあるというのです。



----------


Ⅳ 地球文明復興


(1)社会改革


・高度に発達した科学技術は、今や、人間のコントロール能力を超えようとしている。


・人間が「霊性」の復興なしにこのまま行けば、自滅の道を行く危険がある。


・温暖化など近年の地球環境の激変は、地球を破壊し続ける人類を拒絶しようとしている、地球自体の適応現象だ。


・人類の進化の程度は、まだほんの序の口だ。


・人類は歴史上で、一度、進歩に失敗したことがある。再び失敗する危険も大いにある。


・社会の目指す方向が人間の魂の成長にあるとするなら、現代社会の価値観は目指すところには連れて行ってくれない。


・細胞レベルに組み込まれた神性への人間の衝動は、いくら抑え込んでも、抑えられない。


・それを無理矢理排除しようとする政府や国家は、結局、それが不可能だと分かる。


・人間には、生まれもった独特な個性や個別性があり、同じ人間は一人だにいない。


・全ての人間は、「平等」ではなく「公平」であるべきで、社会システムもそれを保証するものであるべきだ。


(2)政治改革


・「政治」は、人間の「霊性」の現れである。それは、政治の中に、霊性が反映されているということを意味する。


・「霊性」とは、既成宗教のことではなく、魂レベルの意識活動をいう。


・現代社会では、既成宗教の教えが機能しなくなっていて、その教えによっては解決できない社会問題が、山積している。


・新しい霊性を生み出す新しい神学が必要とされ、それにもとづく政治の構築が求められている。


・『神との対話』で提起される「新しい民主主義システム」の要項は以下のとおり。


①透明性が政治プロセスの一部になる。


②代表(議員)を選んで議会に送る。


③議員の仕事は、その領域の課題を考え、種々の解決策を徹底的に比較検討し、どの解決策を法律として国民投票にかけるかについてコンセンサスをつくり上げること。


④国民投票が行われて、人々は、議員の提示した各法案の賛否を直接投票をする。


⑤国民投票の決定には三分の二の多数が必要。


⑥オンラインで投票し、コンピュータで票を集計すれば、投票終了直後に結果がわかる。


・世界を統治するために創設すべき実際の機関は以下のとおり。


①「世界統一政府」


②国際紛争を解決する強力な「世界裁判所」


③自らを統治するために選んだ法律に強制力を与える「平和維持軍」


④地球上の全国家から二人ずつ代表が集まる「世界上院議会」


⑤各国の人口に比例した数の代表が集まる「世界下院議会」


・自由こそ神の本質、魂の本質であるから、国家社会の政治体制は、人間の自由を保障するものでなければならない。独裁政治は終わるだろう。政府が独裁的になって自由を抑圧すれば、世界中で同じことが起こるだろう。


・宇宙には、地球外生命体の文明は多数存在し、その多くは、地球文明よりはるかに進化している。(それを highly evolved being 高度に進化した存在:HEB と呼んでいる。)精神が高度に進化しているHEBは、自分の成長には小さなコミュニティが最適だと判断し、その集団で生活している。したがって、HEBの世界の政治は、小規模のコミュニティの中での自治、つまり自分たちで自分たちを統治するというシンプルな制度しかない。


(3)経済改革


・資本主義システムと制度は、金持ちと権力者がつくったものだ。支えているのも、金持ちと権力者だ。


・社会の目指す方向が、人間の魂のより高位への成長にあるとすれば、現代社会の商業主義的な価値観はおかしい。


・ごくわずかな人びとが世界のお金と資源の大半を支配する時代は終わる。


・天然資源は全人類の共有財産で、全人類が全人類の最高の利益のために活用すべきだ。


・所有という言葉や概念はなくなるだろう。つまり「自分の土地、財産」というような「所有」という考えは、社会からなくなる。


・地球上の人間が、「すべては一体である」という新しい福音を受け入れ、そのように生きれば、生存競争は必要なくなる。


・これからの経済システムは、「透明性」を確保すべきだ。つまり新しい経済システムのキーワードは、「見える」という性質だ。


・富とは所有することではなく、アクセスつまりみんなが利用可能なことだ。


・所得に下限があるように、上限も設けられるだろう。


・経済は地方化するだろう。経済も、コミュニティを基本にして、小さな経済圏を創るべきだ。


・すべてがはっきりと見え、記録をたどることができて、数字を確認できる、オープンな国際通貨制度をつくるべきだ。


(4)教育改革


・「教育」のあり方へのアドバイスが次のように書かれている。


①産む人間と育てる人間が同じでなくてもいい。


②知識ではなく智恵を教える。


③霊性を教え育てる。


④シュタイナー教育は教育のあるべき姿を示唆している。


(5)新しい霊性をもたらすマスターとメッセンジャー


・かつて人類は、現代の地球文明よりももっと高度に進歩した文明アトランティスを持っていたが、開発した科学技術をどう扱うべきかを知らなかったために、自滅してしまった。


 技術が人間のコントロール能力を超えて発達すると、その社会は自滅する。


 今や、高度に発達した科学技術は、人間のコントロール能力を超えようとしている。


 人間の「霊性」の復興なしに、このまま技術の発展が続けば、遠からず地球文明は自滅の道を行く危険がある。


 世界は新しい霊性を生み出すために、いまのやり方ではうまくいかないことを認めなければならない。


 古い霊性によって築かれた社会構造がうまくいっていないのなら、新しい神学的な考えや概念、新しい霊的なモデルを適用しなければならない。


・古い考えは、現代社会にはもう役立たないと思うひとたちが増えている。


 たったひとつのドミノが倒れれば、残りのドミノは次つぎに倒れていく。


 最初のドミノになるよう、神は私たちを誘っている。


・マスター(大いなる師)は、自分の人生を通じて、他者が真実の自分を思い出すという課題に仕えるために、現世に戻ってくる。


 意識には、超意識、意識、潜在意識の三つがあり、マスターは超絶意識(三つが一体になった意識)を持っている。


 マスターは色々な所にいる。時にはホームレスやコメディアンの姿をしたマスターもいる。


 マスターがいつ自分の目の前に現れ、 導いてくれるかは分からないので、いつも人との出会いに注意を払っていなければならない。


 真のマスターは、弟子をマスターのレベルに教え育てる者だ。


 自分を「救世主」とか「真の親」とか大げさなことを言う者からは、さっさと逃げなさい。


・メッセンジャーとは、究極の真実、真理を世の中に伝える使命を持った者をいう。


 新しい霊性を必要としている世界には、これからしばらくの間、神の言葉を伝えるたくさんのメッセンジャーが必要とされている。


 メッセンジャーには本人の意志しだいで誰でもなれる。


・『神との対話』に書かれたメッセージを、世界中に伝えなさい。


 インターネット、携帯電話、ファックス、Eメール、自製のビデオやCDなどいままでなかったツールによって、全世界は結ばれている。


 これらのテクノロジーを使って、世界的なコミュニケーションをとりなさい。


(6)地球外生命体(宇宙人)の地球への支援


・進化した地球外生命体(HEB)は現在、地球上に多数存在していて、地球人の進化を助けている。


・HEBは、自由意志の尊重という宇宙のルールを順守し、地球人の進化を助けるのみだ。


・近い将来、地球人の意識が向上し、HEBを迎え入れる準備が出来たら、彼らは姿を現す。


・地球外生命体(宇宙人)すべてが親切で、いつでも地球人を支援するというわけではなく、一部は暴力的な宇宙人もいる。


・HEBの地球支援の方法は、①地球に転生して地球人に宿る ②HEBの持つアイデアを、地球人の集合的無意識の流れに投げ込む。


 補記:スピリチュアル系サイトには、宇宙人が地球に訪れていることが、多く記載されている。

 例)https://ameblo.jp/ayacyan-nakamise/page-1.html



----------


Ⅴ 生 活  

          

(1) 人間関係


 人間関係は、自分と他人との関係性の中で、自分自身を表現し、神性を体験することのできる最も重要な場です。人間関係の中で提供される出来事に対して、どうありたいかを選ぶことにより、本当の自分は何者であるかを決め、本当の自分になっていくのです。


 すべての人間関係を、自分を創りあげる機会であるとはっきり理解すれば、すべての人間的出会い、とりわけ個人的な人間関係を、素晴らしいものと思うようになります。


 様々な人間関係の中にあっても、他人の考えを尊重はするが、自分の体験や実感は、それ以上に大切にすべきです。


 他人の目を気にして、他人の好むような行動ばかりを取っていると、他人の人生を歩んでしまうことになるのです。


(2) 愛 


 愛は無条件、無制限で、何も必要としません。


 ほとんどの人々が、愛と必要性を混同しています。


 必要性とは、自分のものではない何かが自分の外に存在し、幸せになるにはそれが必要だということです。


 誰かを愛し、同時に必要とすることはあっても、必要だから愛するということはありません。必要だから愛するなら、それは相手を愛しているのではなく、相手が与えてくれるものを愛しているのです。


 何かを与えてくれようとくれまいと、相手自身を愛するなら、その時は本当に相手を愛しているといえます。何も必要としないなら本当の愛なのです。


 愛は、神の本質であり、神そのものです。聖書に、『神は愛なり』(ヨハネ第一 4:8)とあります。


 完璧な愛とは、色彩でいうと完璧な白のようなものです。白とは色がないことのように思いがちですが、白は存在するあらゆる色が合体したものなのです。


 それと同じように、愛とは、慈しみ、寛容、赦し、謙虚、信頼、忍耐、誠実などの感情に加えて、憎しみや怒り、情欲、嫉妬、羨望なども包含した、あらゆる感情の総和なのです。


 魂が完璧な愛を経験するには、それらのあらゆる感情を経験しなければならないのです。


(3) セックス 


 愛により一体化したいという思いが、セックスにより成就し、その結実として、新しい生命(子供)が産まれます。


 セックスは、生殖を意図した場合に限られません。生殖を意図しないセックスも、何ら不条理なことはなく、一体化する喜びを与えてくれます。


 ただ、真の愛のない肉欲だけのセックスは、魂の成長にとっては益が少ないといえるのです。


(4) ジェンダー(社会的文化的性別)


 神は宇宙創造において、男性優位として人間を創造はしていない。


 それぞれの性がそれぞれ特有の性質をもつのであって、どちらが優秀かということではない。


 男性優位の文化を造り上げたのは宗教である。



(5) 善悪


 「善悪」は、物事の価値判断を表す言葉で、宗教は、その基準の設定に深くかかわっています。


 「善悪」は、キリスト教教義のいう、神とサタン(悪魔)が対峙するという二元論的なものではなく、物事の有益性を相対的に表したもので、物事の目的にかなった有益な考えや行為は「善」となり、その反対は「悪」となるのです。


 「善悪」は、神がその基準を押し付けるものではなく、人間自身が築き上げていくものなのです。


 もし神が「善悪」の判断を下せば、自由意思を持った人間を通して「自らの神性」を体験するという、本来の神の創造目的が損なわれてしまうのです。


(6) 価値 


 価値は、その個体が目指す目標到達に有益か無益かで決まります。有益なものを価値があるといい、無益なものを価値がないというのです。


 したがって、目指す目標の違いによって、価値観が変わってきます。金持ちになることが目標なら、お金がもうかる事柄に価値を見いだし、一方、魂の成長を目標とする者にとっては、お金はあまり価値がありません。


 人間には、多様な価値観があり、全ての人間は、自分の抱く価値観にのっとって生きています。


(7) 自由 


 自由の最大の行使を通じてのみ、人間の最大の成長が達成されます。


 人間は日常生活の中で、様々な物事を自由意志で選択することによって、無限にある神性を体験していきます。


 自由は、神と魂の本質であり、また、人間の成長は自由の行使によってのみ達成されるのです。


 他人によって自分の自由が制限されるなら、他人のルールで生きることになります。それは他人の人生を生きることにほかならず、自分自身の成長にはならないのです。


(8) 宗教


 すべての宗教は、神に至る道をそれぞれ教示しています。その道は数限りなくあります。それらの道のどれも、数限りない道の中の一つであり、どれかがより優れた道ということはありません。


 民族においても、選民というような、他の民族より優れている民族というものもありません。


 神は、すべての人間に平等に語りかけ、導いています。というより、人間の魂と神は通じていますから、心の奥深いところにある魂で神を訪ねれば、神を見いだすことができるのです。


 ところが、現実世界の出来事にとらわれ過ぎてしまうと、エゴ(自我)が大き過ぎて前面に出てしまい、その奥深いところまで到達することができず、幻想ともいえる現実世界の出来事に翻弄されてしまうのです。


 神は絶えず人間に語りかけています。それは、マスター(師)を通して、芸術や科学を通して、自然を通して、そして本人の魂の叫びを通して、絶えず語りかけています。問題は、それに人間が気付くか気付かないか、聴こうとするかどうかなのです。


 しかし時として、自分を「救世主」とか「真の親」とか名乗る者が現れます。そういう者からは、なるべく早く逃げるほうが得策です。真のマスター(師)は、自分を崇めよとはいわず、多くの人々をマスターに育てる者だからです。


(9) 自己啓発


 『神との対話』には、自己を啓発する手立てが、以下のように書かれています。


①今日のあなたは、昨日のあなたではない。過去のことにいつまでも執着しないで、それを手放し、新しく出発する。


②他人より優れようとするのではなく、過去の自分より優れようとしなさい。


③毎日起きる出来事に対して、自分はどんな「存在」でありたいかを考え、そのありたい自分になろうと努力する。


④失敗したとしても、自分はもうだめだとあきらめたり、無力感や罪悪感にひたる必要は全くない。


⑤根になる固定観念をいちばん速く変える方法は、「思考-言葉-行為」というプロセスを逆転させることだ。


⑥あなたの高いヴィジョンにそぐわない考えが浮かんだら、その場で「新しい考え」に変えなさい。


⑦他人を卑下する思いがわいた時、自分自身の中に巣くう劣等意識を改めるべきだ。


⑧人間の目指すべき手本は、イエス・キリストに示されている。


⑨成長するには、なるべく自分より高い意識の人間と交わるべきだ。


⑩物事を選択するとき、全力をあげて心から選択し、それが現実になるまでは、気持ちをそらさないことだ。


⑪決意するときに考えるべきことはただひとつ、それが「わたし自身」を表現しているだろうか、ということだ。


⑫こんな目にあうのは「自分の責任だ」と思ったとき、はじめてその物事を変える第一歩となる。


⑬他人に心から与えれば、自分も豊かになる。


⑭人生でほんとうに大切なのは力ではなく強さだ。


⑮どんな時にも決して希望を捨ててはいけない。


⑯仕事を選ぶ時に唯一考えるべきことは、「自分を表現できる仕事かどうか」ということだ。


⑰何事においても、やり過ぎはいけない。


(10) 心身の健康


 タバコやアルコールは、身体の健康を害する。


 化学物質(人工生成物の農薬や抗生物質、防腐剤、食品添加物など)の入った食事を食べていると、知らないうちに身体は害されている。


 運動は身体にとって大切なもので、毎日、運動すべきだ。


 時々「瞑想」をして、自分の内側に入るべきだ。内側に入っていけば、自分の外側に何も必要でない自分を知ることができる。


(11) エゴ


 『神との対話』では、「魂-精神-身体」からなる人間のうち、「精神-身体」からなる部分を「エゴ」といい、「魂-精神-身体」からなる全体を、「真なる自分」と表現しています。


 「エゴ」は、神性を体験するための不可欠なツール(道具)であり、大切にしなければなりません。


 「エゴ」が大きくなり過ぎると、神性を体験しているという、本質的な目的が見えなくなってしまうのです。


(12) 金銭


 金銭は、人生を生きるためのツール(道具)の1つです。


 すべての物についていえることですが、金銭自体には、正邪も善悪もありません。


 人間が過去に経験した金銭にまつわる邪悪な側面が、少しずつ人々の心に浸透していき、「金は汚いもの、邪悪なもの」という先入観が人間に植え付けられてきたのです。


 金銭にまつわる多くの問題を解決する1つの手段は、金銭の「見えない」という悪弊をなくすことです。


 労使や性別による賃金格差、社会的貧富の差、先進国企業による途上国での利益取得などについては、金銭の授受がオープンにされれば、その不公正さ、不公平さが暴露され、大きな変革をせまられることでしょう。


(13) 後悔と罪悪感


 「後悔」は、悔い改めてやり直そうという、成長にプラスとなる気づきを与えてくれます。


 「罪悪感」は、悪いことをおかした自分はダメな人間だという、自分を否定するマイナス的な思いで、「罪悪感」を持つ必要は全くありません。


 自分はダメな人間だと卑下することは、自分の成長にプラスにならないのです。


 良いことでも悪いことでも、過去のことは手放し、さらなる成長に向けて、新たな一歩を踏み出すのです。


 岐路に立ったとき、「これがわたしか?」「愛なら、いまどうするか?」と自問自答すれば、成長は速まります。


 いつか悪いことをおかした状況と同じような出来事が、人生に用意されます。


 その時、自分の思い描く最高のビジョン、最大バージョンで考え、行動するのです


(14) 羨望と嫉妬


 「羨望」は、さらに向上しようという動機づけとして働きます。


 「嫉妬」は、ベースに不安があり、自分や他人の成長を妨げます。


 「羨望」は成長に好ましい感情ですが、「嫉妬」は人を殺してしまうのです。


 小児期に、「羨望」が親に否定され続けると、「嫉妬」に変質してしまいます。


 不安は愛と対極をなす感情で、これらがアクセルとブレーキのように協調的に働いて、人間は生活しています。


 現代社会では、感情が不安に偏り過ぎています。


 教育や社会のあり方を、愛を基本としたものにすべきなのです。


(15) 自殺と安楽死


 宗教では、「自殺」は禁止されています。


 『神との対話』では、「自殺者は神に罰せられることはない」といっています。早く寿命を縮めること(自殺)はダメで、ゆっくり(タバコなど)なら良いというのは筋が通らないというのです。


 しかし、自殺自体に問題がないわけではありません。


 人生の課題を完了せずにのがれたとしても、再び物質的世界の、のがれようとした状況に戻ってきて、また一からやり直すことになるのです。


 死の過程の第2段階で、個人は、死ぬときに抱いていた信念を体験します。自殺するほどの悲惨な心理状態を反映する世界では、地獄という場所はないにしろ、地獄に似た体験をするともいえるのです。


 苦境に立たされた時、「抵抗しないで見つめなさい」と『神との対話』はいっています。


 日頃から自分の感じている思いを、心の中にためないで外に出すことが大切です。外に出す方法(日記に書くなど)を自分なりに見つけるのが得策です。


 出来事や自分を客観視できれば、道がおのずと開けてくるのです。


 死にゆく過程に起きる苦しみと尊厳の喪失から、本人を解放するために死を早めること(安楽死)は、自殺とは全く別ものです。




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*〈いのうげんてん〉からのお願い:神・生命に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく思います。→http://ncode.syosetu.com/n6322bf/


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