(15)自殺と安楽死
記述ルール
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①原著の引用文は、┌---で囲み、引用ページは、《神との対話1- P22》(1~3巻-ページ)と表します。(続編『神との友情』、『新しき啓示』なども同じ)
②原著の対話形式は、神:、ニール: のように発言者名を文頭に記し、表します。
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〔5 生 活 (15)自殺と安楽死〕
┏━あらすじ━━
・一般的宗教では、「自殺」は禁止されている。
・『神との対話』では、「自殺者は神に罰せられることはない」という。早く寿命を縮めること(自殺)はダメで、ゆっくり(タバコなど)なら良いというのは筋が通らない。
・自殺自体に問題がないわけでは無い。
・人生の課題を完了せずにのがれたとしても、再び物質的世界の、のがれようとした状況に戻ってきて、また一からやり直すことになる。
・死ぬ時、個体の意識状態は、そのまま霊的世界に持っていく。自殺するほどの悲惨な心理状態を反映する世界は、地獄のような世界である。
・苦境に立たされた時、「抵抗しないで見つめなさい」と『神との対話』はいう。
・日頃から自分の感じている思いを、心の中にためないで外に出す。
・安楽死を自殺と同じと見なすことはできない。
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[5-(15)-1]《わたしは罰したりしない。愛するのだ》
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あなたがたは発ガン物質を吸入して自分のシステムを毒し、化学物質で処理された食物を口にしてシステムを毒し、呼吸する大気を汚染しつづけてシステムを毒している。
何千もの異なる瞬間に何百もの異なる方法で自分のシステムを毒し、しかも、そういう物質が身体に良くないと承知している。長い時間がかかるから、この自殺は罰されない。もっと即効性のある毒だったら、倫理と法に反すると言われる。
いいかね。迅速に自分を殺すことが、ゆっくりと自分を殺すよりも倫理に反するわけではないのだよ。
わたしは罰したりしない。愛するのだ。
《神との対話3-P183》(一部略)
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自殺したひとはだいじょうぶだ、オーケーだとわかれば、気持ちが楽になるだろうね。
そのひとたちも神に愛されていて、決して見放されることはない。
《神へ帰るP113》(一部略)
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『神との対話』には、「自殺」について語られています。
著者のニール自身が、『神との友情上-P120』で、「過去に自殺を考えたことがある」と告白しています。
┌--《神との友情上-P120
ニール:ここで言うんですか?ここで、神とすべての読者の前で言えと?
神:いいじゃないか。そう、言ってごらん。懺悔は魂にとって良いことだよ。
ニール:そこまでおっしゃるなら……自殺です。
神:自殺しようと思った?
ニール:一度、真剣に考えましたよ。驚いたふりなんかしないでください。ご存じじゃないですか。止めたのはあなただ。
神:不安ではなくて、愛でね。
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一般的な宗教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教、儒教では、「自殺」は禁止されています。
キリスト教に関していえば、自殺は重罪であるとしています。古代キリスト教最大の教父・思想家アウグスティヌスは、「自殺者は極悪人として死ぬ。なぜなら自殺者は、誘惑の恐怖ばかりか、罪の赦しの可能性からも逃げてしまうからだ」といっているのです。
かつては、自殺者はキリスト教会の墓地に埋葬することも許されなかったといわれています。(参照:Wikipedia)
『神との対話』では、「自殺者は罰せられることはない」と神は語ります。
早く寿命を縮めること(自殺)はダメで、ゆっくりならオーケーだというのはおかしな理屈だと神は指摘しているのです。
それをタバコを例にとって説明しています。
タバコは健康を害して、寿命を縮めると医学的に分かっているのに、誰も犯罪とは考えず、止めようとはしません。商売として認められてさえいて、ゆっくりと死を早めるものならオーケーとしている典型例だというのです。
それに対して、速効性の毒で死を早める(自殺)なら倫理に反するというのは、矛盾した考え方だというのです。
[5-(15)-2]《何かからのがれるために人生を終わらせても何からものがれられはしない》
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自殺は、人生を完了させるためではなく、そこからのがれるために死を選択すること。
悲しいことに、自分の人生に終止符を打つひとたちは、これでものことが変わると想像しているが、じつはそうではないのだよ。
何かからのがれるために人生を終わらせても、何からものがれられはしない。
だから肉体的な生命/人生を離れても何からものがれられず、また肉体的な生命/人生に、つまり、のがれようとした状況に戻ってくるだけだ――ただし、戻ってきたらまた一からやり直すことになる。
《神へ帰るP118》(一部略)
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ここで注意すべきことは、「自殺者を神が罰することはない」といっても、自殺自体に問題がないというわけでは無いということです。
「何かからのがれるために人生を終わらせても、何からものがれられはしない」と『神との対話』ではいっているのです。
たとえ自殺を考えるほどの厳しい状況だとしても、それは本人が果たすべき課題を完了するために用意された状況だというのです。
その課題を完了せずにのがれたとしても、課題そのものはなくならないのです。再び物質的世界の、のがれようとした状況に戻ってきて、また一からやり直すことになるというのです。
さらに、「3 人生 (5)堕落・原罪・地獄」で書きましたように、霊的世界に地獄という場所はありませんが、人間自らが創造する地獄のような経験はあるのです。
死の過程の第2段階で、個人は、死ぬときに抱いていた信念を体験します。自殺するほどの悲惨な心理状態を反映する世界では、地獄という場所はないにしろ、地獄に似た体験をするともいえるのです。
[5-(15)-3]《抵抗するということは、相手に生命を付与することだ》
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現実だと感じないものに抵抗することはできない。抵抗するということは、相手に生命を付与することだ。エネルギーに抵抗すれば、エネルギーをそこに発生させることになる。
抵抗すればするほど、相手は実体をもつ。何に抵抗しても、これは同じことだ。
目を開いて見つめれば、相手は消える。相手は幻想という実体をさらけ出す。
《神との対話1-P139》
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心は魂から精神への廊下だ。魂の喜びは、心を通らなければならない。そうでないと、精神に入ることさえできない。
感情は魂の言葉だ。精神を閉じていたら、心に滞留してしまう。だから、悲しくてたまらないとき、あなたがたは心が張り裂けそうだ、と言う。
精神をひらいて感情を表現し、外に押し出せば、心は張り裂けも爆発もせず、生命のエネルギーが自由に魂に流れる。
《神との友情下-P44》(一部略)
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苦境に立たされ時どうすべきかについて、『神との対話』には、次の2点のことが書かれています。
まず、「抵抗しないで見つめなさい」といっています。(「見つめる」は原文では、"look at"となっています)
これを現実的に解釈するなら、「じたばたせずに、なるようになると流れに身を任せること」と、筆者は考えます。
次に、日頃から、自分の感じている「思いを外に出すこと」です。
楽しいこと、悲しいこと、つらいことなど何でも、心の中に溜めないで、外に出すことです。
自分の中にすべてをとどめておくと、よどんでそれが腐敗したり、いつか爆発したりします。
外に出す方法を自分なりに見つけるのが得策と思われます。
例えば、日記に書く(これだけでも自分を客観視する手立てになります)、信頼できる人に話す、人生相談などに相談するなどがあります。
また、困難な出来事に出会った時、「〇〇と思った」とつぶやきなさいと心理学者はいっています。例えば、「これは大変なことだ」と思った時、「これは大変なことだ、と思った」とつぶやくのです。
これも、出来事の中に埋没している自分を客観視して、見つめ直す1つの思考方法だと思われます。
外に出す、すなわち客観視できるようになれば、道がおのずと開けてくるものです。自分の中だけにとどめることは、その出来事に自分1人で向き合うため、その中に埋没して自滅してしまう危険があるのです。
そのためには、そのときこそ助けてくれる真の友達を持つことが大切です。
[5-(15)-4]《安楽死を自殺と同じと見なすことはできない》
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安楽死を自殺と同じと見なすことはできない。
あらゆる医学的な証拠からみて、どう考えても終わりが間近い人生に終止符を打つことは、まったくべつの種類の判断だよ。
《神へ帰るP125》(一部略)
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『神との対話』では、「自殺」は否定的なのに対して、「安楽死」は肯定的に述べられています。
《神へ帰るP125》でニールは、「人生に終止符を打つための手助けを頼むひとについては、どうですか?」と、「安楽死」について質問しています。
「安楽死を自殺と同じと見なすことはできない。あらゆる医学的な証拠からみて、どう考えても終わりが間近い人生に終止符を打つことは、まったくべつの種類の判断だよ」と神は答えています。
死にゆく過程に起きる苦しみと尊厳の喪失から、本人を解放するために死を早めることは、自殺とは全く別ものだと、「安楽死」は肯定的に書かれているのです。
「安楽死」は一般的に、積極的安楽死と消極的安楽死に分けられています。
前者は薬など何らかの手段をこうじて死期を早めるものをいい、後者は無理な延命処置はしないというものを意味しています。
『神との対話』が言及している「安楽死」は、この両者を含めているものと考えられます。
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