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『神との対話』との対話  作者: いのうげんてん
2章 『神との対話』-私なりの説明
68/235

  (14)羨望と嫉妬

記述ルール

────────────

①原著の引用文は、┌---で囲み、引用ページは、《神との対話1- P22》(1~3巻-ページ)と表します。(続編『神との友情』、『新しき啓示』も同じ)

②原著の対話形式は、神:、ニール: のように発言者名を文頭に記し、表します。

────────────


〔5 生 活 (14)羨望と嫉妬〕


┏━あらすじ━━


・「羨望」は、さらに向上しようという動機づけとして働く。


・「嫉妬」は、ベースに不安があり、自分や他人の成長を妨げる。


・「羨望」は成長に好ましい感情だが、「嫉妬」は人を殺してしまう。


・小児期に、「羨望」が親に否定され続けると、「嫉妬」に変質してしまう。


・不安は愛と対極をなす感情で、これらがアクセルとブレーキのように協調的に働いて、人間は生活している。


・現代社会では、感情が不安に偏り過ぎている。


・教育や社会のあり方を、愛を基本としたものにすべきだ。


┗━━━━━━━



[5-(14)-1]《嫉妬はひとを殺すが、羨望は誕生の契機となる》


┌----------

 羨望は自然な感情で、もっと多くを望む気持ちを起こさせる。


 羨望は動機づけとしてはたらく。純粋な欲望だ。


 嫉妬を駆りたてるのは「不安」で、他人がもっと貧しければいいと思わせる。


 嫉妬はひとを殺すが、羨望は誕生の契機となる。


《神との対話2-P268》(一部略)

└----------


 『神との対話』には、「羨望せんぼう」と「嫉妬しっと」について書いてあります。


 辞典『大辞林』によれば、羨望とは「うらやましく思うこと」、嫉妬とは「すぐれた者に対して抱くねたみの気持ち」とあります。


 一見すると両者の感情は、「すぐれた者に対して抱く感情」という点で似ています。


 しかし「羨望」は、すぐれた者になるために、さらに向上しようという動機づけとして働き、いわゆるプラス的な感情といえます。


 一方「嫉妬」は、そのベースには不安があり、自分や他人の成長の足かせになって、その向上を妨げるのです。


 「羨望」は成長に好ましい感情ですが、「嫉妬」は人を殺してしまうのです。



[5-(14)-2]《抑圧されつづけた羨望は嫉妬になる》


┌----------

 羨望を表すことを許されて育った子供は、おとなになったときも羨望に対して健全な態度でいられる。


 羨望はよくないものだと教えられて育った子供、羨望を表してはいけない、それどころか羨しいと感じることすらいけないと言われて育った子供は、成人後、羨望をうまく処理するのに苦労する。


 抑圧されつづけた羨望は、嫉妬になる。非常に不自然な感情だ。人びとは嫉妬のために人殺しをしてきた。


《神との対話3-P46》(一部略)

└----------


 小児期に、「羨望」が否定され続けると、マイナス的な感情である「嫉妬」に変質してしまいます。


 例えば、「あの人のようになりたい」と羨望を抱いたとしましょう。


 この思いは、自分の向上のためにもっと努力しようと、プラス的に作用します。


 しかしその思いが、親など他人に、「夢みたいなことを言っていてはダメだ」と否定されると、思いは萎縮したり、打ち砕かれたりします。


 自分の希望や夢が、抱く度に否定され続けると、自信を喪失し不安が増長されることによって、「羨望」が「嫉妬」に変わり、嫉妬心が醸成されていくのです。


 この嫉妬心は、マイナスの心的エネルギーとなり、他人はもとより、自分自身の成長にも障害となるのです。



[5-(14)-3]《人間の行動のすべては、愛か不安に根ざしている》


┌----------

 人間の行動のすべては、愛か不安に根ざしている。


 不安はちぢこまり、閉ざし、引きこもり、走り、隠れ、蓄え、傷つけるエネルギーである。


 愛は広がり、解放し、送り出し、とどまり、明るみに出し、分けあい、癒すエネルギーである。


《神との対話1-P34》

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 いろいろな方法であなたがたは適者になろう、いちばん強くなろう、利口になろうと必死になり、どんな状況でも、少しでも劣っていれば負けてしまうという不安におびえる。子供のころからずっと、劣った者が負けると言い聞かされてきたためだ。


 だが、教えてあげよう。愛に支えられた行動をとれば、生き延びるだけでなく、勝利するだけでなく、成功するだけでなく、それ以上のことができる。そのとき、自分はほんとうは何者か、そして何者になりえるのかという、栄光に包まれた経験ができるだろう。


《神との対話1-P35》(一部略)

└----------


 『神との対話』では、「不安」についても述べています。


 不安は、愛と対極をなす感情です。愛は、広がり、開放、分かち合いなどのプラス思考的な感情ですが、不安は、縮小、閉鎖、収奪などのマイナス思考的な感情です。


 現実世界は、相対性の仕組みによって成り立っています。人間の感情における相対性の両極が、この「愛」と「不安」なのです。この両者の感情が、アクセルとブレーキのように調和的に働いて、人間は日常生活を営んでいるのです。


 人間の思考や行動のすべては、基本的に、「愛」か「不安」の感情に根ざしていると、『神との対話』ではいっています。


 そのバランスが保てなくなると、情緒が不安定になり、行動の平静さがそこなわれるのです。


 現代社会の人間は、子供の頃から、不安をあおられたり、不安を抱えて生きるように教えられたりしています。


 「強くなければ人生で負ける」「勉強ができなければ負ける」と、親や先人に言われ続けて育ってきたのです。「負け組み、勝ち組み」という発想は、その典型的なものといえます。


 現代社会では基本的感情が、不安に偏り過ぎているといえるのです。「不安」への偏りを、一朝一夕に正すことはできません。人間社会の文化は、長い歴史の中で作り上げられてきたものだからです。


 教育から社会のあり方に至るまで、あらゆるものを愛を基本としたものにしなければ、それは改革できないのです。



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* 〈いのうげんてん〉からのお願い:神・生命に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく存じます。→http://ncode.syosetu.com/n6322bf/

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