(13)後悔と罪悪感
記述ルール
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①原著の引用文は、┌---で囲み、引用ページは、《神との対話1- P22》(1~3巻-ページ)と表します。(続編『神との友情』、『新しき啓示』も同じ)
②原著の対話形式は、神:、ニール: のように発言者名を文頭に記し、表します。
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〔5 生 活 (13)後悔と罪悪感〕
┏━あらすじ━━
・「後悔」は、悔い改めてやり直そうという、成長にプラスとなる気づきを与えてくれる。
・「罪悪感」は、悪いことをおかした自分はダメな人間だという、自分を否定するマイナス的な思いで、自分の成長にプラスにならない。
・「罪悪感」を持つ必要は全く無い。
・良いことでも悪いことでも、過去のことは手放し、さらなる成長に向けて、新たな一歩を踏み出しなさい。
・岐路に立ったとき、「これがわたしか?」「愛なら、いまどうするか?」と自問自答すれば、成長は速まる。
・いつか悪いことをおかした状況と同じような出来事が、人生に用意される。
・その時、自分の思い描く最高のビジョン、最大バージョンで考え、行動する。
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[5-(13)-1]《罪悪感をいだいても成長はしない》
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後悔とは、真の自分についての最高の考えを示すことができなかった、と言明することだ。罪悪感とは、そんなことをしてしまった自分にはもう価値がないと決めつけることだよ。
《神との友情上-P261》
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罪悪感は畑を枯らす病気だ。罪悪感をいだいても成長はしない。ただ、しなびて死ぬだけだ。
あなたが求めているのは、気づくことだ。気づくことと罪悪感はちがう。
《神との対話3-P19》
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二度とくり返すまいと決意したら、過去は手放しなさい。
すばらしい過去でさえ、しがみついていたのでは何にもならない。「昔の栄光に甘んじて」いたら、たちまち成長が止まるよ。
栄光にも失敗にも、とどまらないことだ。再出発しなさい。「いま」という黄金の瞬間に、新たな自分になりなさい。
《神との友情上-P106》(一部略)
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『神との対話』には、「後悔」と「罪悪感」について語られています。
辞典『大辞林』によると、「後悔とは、後になって悔やむこと」、「罪悪感は悪いことをおかしたという気持ち」とあります。
両者は一見すると、「悪いことをおかした」と思う点では、似ています。
しかし「後悔」は、悔い改めてやり直そうという、自分の成長にプラスとなる気づきを与えてくれます。
これに対して「罪悪感」は、悪いことをおかした自分はダメな人間だという、自分を否定するマイナス的な思いです。
『神との対話』の中では、「後悔と罪悪感」について次のように書かれています。
「後悔とは、真の自分についての最高の考えを示すことができなかった、と言明することだ。罪悪感とは、そんなことをしてしまった自分にはもう価値がないと決めつけることだ」
「罪悪感は畑を枯らす病気だ。植物を殺してしまう毒だよ。罪悪感をいだいても成長はしない。ただ、しなびて死ぬだけだ。あなたが求めているのは、気づくことだ。気づくことと罪悪感はちがう」
『神との対話』では、「罪悪感」を持つ必要は、全く無いといっています。自分はダメな人間だと卑下することは、自分の成長にとって全くプラスにならないことで、自分をダメにするだけだというのです。
前話「善悪」でも書きましたように、「善悪」は人間が構築したもの(社会の倫理や法律も同じ)であって、「神が罰する」と既存の宗教が説くような、絶対的な「悪いこと」などはありません。
神の目から見てあえて「悪いこと」といえば、自分の真実、ほんとうの自分を表現しない行いがあるだけなのです。
さらに、人間は絶えず変化し成長しています。過去の自分は過去のものであって、今の自分ではありません。今の自分は、新たに成長しようとしている自分なのです。
良いことでも悪いことでも、過去のことにしがみついていたら成長しません。
忘れることはできないにしても、それにしがみつくことはせずに、手放しなさいというのです。そして、さらなる成長に向けて、新たな一歩を踏み出しなさいというのです。
[5-(13)-2]《二度とするまいと心に銘記しなさい》
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あなたの高いヴィジョンにそぐわない考えが浮かんだら、そのとき、その場で「新しい考え」に変えなさい。立派な考え方にそぐわないことを言ってしまったら、二度とするまいと心に銘記しなさい。最善の意図にそぐわないことをしたら、これを最後にしようと決意しなさい。
《神との対話1-P107》
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償いの機会は、あなたがたが死と呼ぶものと同時にやってくる。終わったばかりの人生のあらゆる時を、もういちど味わうのだ。それも、自分自身の立場だけでなく、関係するすべてのひとの立場で。
《神との友情上-P114》(一部略)
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自分の行ったことが良くないと気づき、悔い改めようと思ったら、「二度としない」と、心の奥深いところで決意することです。心底から悔い改めることが大切なのです。
そう決意していれば、いつの日にか、その人間の魂は、神と共同で、悪いことをおかした状況と同じような出来事を、人生の中で再びセッティングします。
その状況に出会った時、自分の描く最高のビジョン、最大バージョンの自分で考え、行動しようと、心の底から決意してのぞむのです。これによって、おかした間違いを清算して、人間は成長していくのです。
人生の最後の反省の機会は、死の時に訪れます。終わったばかりの人生のあらゆる時を、自分自身の立場だけでなく、関係するすべての人の立場で、もう1度味わうといっています。(「2章6人生(2)生と死」 を参照してください)
さらに大局的に見ると、人間(魂)が希望すれば、人生は何度でもやり直せるのです。
すなわち、人間の個体が死んだ後、魂は霊的世界に行きますが、神性が完璧に体験しつくされていない間は、何度も現世に戻って、別の人間の個体に宿り、新たな人生を歩むことが出来るのです。(「2章7人生(3)前世・現世・来世(4)輪廻」 を参照してください)
[5-(13)-3]《これがわたしか? 愛なら、いまどうするか?》
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魔法の問いかけは二つある。正しいときにその問いかけをすれば、あなたの進化は想像もできないほど、速まる。その問いかけとは、
――これがわたしか?
――愛なら、いまどうするか?
岐路に立ったとき、いつもこの質問をして答えれば、あなたは「新しい福音」の生徒から教師へと成長するだろう。
《神との友情上-P111》(一部略)
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過去の自分は過去のものであって、今の自分ではありません。毎秒、毎分、たゆみなく進化しているのが自分なのです。
良いことでも悪いことでも、過去にしがみつくことはせずに手放し、さらなる成長に向け心機一転して、新たな一歩を踏み出しなさいというのです。
ニール氏が、「どうしたら習慣になったふるまいや、しみついた性格を変えられますか」と神に問います。
神は、「これがわたしか?」と、ことあるごとに意識して自分に問いなさいといいます。
そして、こうありたいと思う自分のあり方の最高のビジョン、最大のバージョンの自分を表現するように努めなさいというのです。
さらにもう1つの質問「愛なら、いまどうするか?」を、自分に問いかけなさいと神はいっています。
ことあるごとに、この2つの言葉「これがわたしか?」、「愛なら、いまどうするか?」を絶えず頭の中で自問自答して、物事の判断、選択をするのです。
これを繰り返しているうちに、しだいに新しい考え方ができるようになるのです。
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* 〈いのうげんてん〉からのお願い:神・生命に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく存じます。→http://ncode.syosetu.com/n6322bf/
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