(11)エゴ
記述ルール
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①原著の引用文は、┌---で囲み、引用ページは、《神との対話1- P22》(1~3巻-ページ)と表します。(続編『神との友情』、『新しき啓示』も同じ)
②原著の対話形式は、神:、ニール: のように発言者名を文頭に記し、表します。
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〔5 生 活 (11)エゴ〕
┏━あらすじ━━
『神との対話』では、「魂-精神-身体」からなる人間のうち、「精神-身体」からなる部分を「エゴ」といい、「魂-精神-身体」からなる全体を、「真なる自分」と表現している。
「エゴ」は、神性を体験するための不可欠なツール(道具)であり、大切にしなければならない。
「エゴ」が大きくなり過ぎると、神性を体験しているという、本質的な目的が見えなくなってしまう。
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[5-(11)-1]《エゴというのは自分が考えている自分だ。真の自分とは何の関係もない》
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エゴというのは、自分が考えている自分だ。真の自分とは何の関係もない。
エゴをもつことはかまわないよ。ぜんぜん、かまわない。
いまのあなたの体験をするには、つまり、あなたが想像するような「相対的世界にいるべつべつの存在」という体験のためには、「エゴ」が必要だから。
《神との友情上-P97》(一部略)
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『神との対話』の中では、「エゴ」について簡単に触れられています。
一般的にいわれている「エゴ」は、哲学および精神分析学における概念です。
精神分析学者フロイトは、精神構造を「イド(id)、エゴ(ego=自我)、スーパーエゴ(superego=超自我)」の3つに分けました。
簡単にいいますと、人間の本能的なものが「イド」と呼ばれ、それに対して道徳的であろうとするのが「スーパーエゴ」であり、その間で現実に適合するように動くのが「エゴ」なのです。(参照:心理学基礎用語http://w-heart.net/justy/seven/2005/10/post_3.html)
『神との対話』で使われている「エゴ」という言葉は、「精神-身体」を指していると考えられます。
人間は「魂-精神-身体」からなっています。この3者(魂-精神-身体)は一体であり、切り離すことはできませんが、あえて分けるなら、「エゴ」はこの「精神-身体」からなる個体を指しています。
「精神-身体」からなる個体を「エゴ」というのに対比して、「魂-精神-身体」からなる個体を、「真なる自分」と『神との対話』では表現しています。
[5-(11)-2]《エゴをもつことは良いことだ》
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エゴは、この幻想を創り出す大きなツール(道具)なのだ。
あなたは個ではないが、総体であるという体験を理解し、楽しむためには、個別化しなければならない。その意味で、エゴをもつことは「良いこと」だ。
エゴが肥大して、ばらばらな自己しか見えなくなると、一体となった自己を体験するチャンスが失われ、迷ってしまう。
《神との友情上-P98》(一部略)
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魂が意図する神性の体験を、「精神-身体」すなわち「エゴ」が現実世界の中で実現していきます。「エゴ」は、神性を体験するための、いわばツール(道具)といえるのです。
この意味で「エゴ」は不可欠なものであり、大切にしなければならないのです。
しかしその「エゴ」が大きくなり過ぎると、神性を体験しているという、より高次かつ本質的な目的が、見えなくなってしまいます。
例えば、他人をかえりみず自分だけを大切にするようになると(エゴイズム)、「エゴ」がツールであることを忘れて、それが目的化してしまいます。
神性を体験しているという「エゴ」の本来の目的を見失って、現実世界の出来事、しがらみにとらわれてしまい、人生の道に迷ってしまいます。
その迷っている「エゴ」を救い出して、神性を体験しているという本来の自分を目覚めさせてくれるのが、本当の真理なのです。
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* 〈いのうげんてん〉からのお願い:神・生命に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく存じます。→http://ncode.syosetu.com/n6322bf/
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