(8)宗教
記述ルール
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①原著の引用文は、┌---で囲み、引用ページは、《神との対話1- P22》(1~3巻-ページ)と表します。(続編『神との友情』、『新しき啓示』も同じ)
②原著の対話形式は、神:、ニール: のように発言者名を文頭に記し、表します。
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〔5 生 活 (8)宗教〕
┏━あらすじ━━
・組織的宗教(一般宗教)に頼らず、自分の内なる霊性(魂)に目を向けなさい。人間の魂と神は通じているから、心の奥深いところにある魂で神を訪ねれば、神を見いだすことができる。
・組織的宗教には限界があり、今の世界を進歩させるだけの力が無い。
・全ての組織がそうであるように、宗教組織も存続することを目指して、いろいろな仕組みを編み出す。例えば、キリスト教の司教・司祭(神父)などの位階制組織や、ミサ、献金、感謝祭やキリスト降誕祭などの宗教儀式がそれに当たる。
・儀式的な礼拝は、神は全く望んでいない。神は魂と一体であるので、内なる心の世界では、人間は常に神と通じている。ただ人間がそれを知らない、気付かないだけなのだ。
・すべての宗教は、神に至る道を、それぞれの方法で示している。その道は数限りなくあり、どれもそのうちの1つで、より優れた道というものはない。
・神は、マスター(師)を通して、宗教や芸術、科学を通して、自然を通して、そして本人の魂の叫びを通して、あらゆるツールを利用して、絶えず人間に語りかけている。
・自分を「救世主」とか「真の親」とか名乗る者からは、逃げなさい。真のマスター(師)は、自分を崇めよとはいわず、多くの人々をマスターに育てる者だ。
・金銭目的で、霊的な事象と接触したいという人々の思いを利用する者には、振りまわされてはならない。
・魂は、人生での仕事を完了して来世に行くときは、新たな出発に喜んで個体を離れる。死を悼む必要はないし、悼んでほしいとも魂は思わない。
・自己の実現に主要な関心をもつ発達段階、これは非常に危険な時期だ。身体にかかわることはどうでもいいと感じてしまう。
・不相応な高レベルの真理探究にいたずらに時間を費やすのは、神性を体験するという貴重な人生を、無駄にしてしまう。
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[5-(8)-1]《宗教のことは忘れなさい》
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霊性に戻りなさい。宗教のことは忘れなさい。
なぜなら、あなたがたのためにならないから。いいかな、組織的宗教が成功するためには、ひとに宗教が必要だと思わせなければならない。
《神との対話2-P314》
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宗教がしたことがはっきりと見える者なら、宗教には神はないと思うだろうね!
人びとの心を神への恐怖でいっぱいにしたのは、宗教だから。宗教はどこへ行っても分裂を創り出す。
《神との対話2-P316》(一部略)
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『神との対話』では、キリスト教、イスラム教、仏教などの宗教集団を指して、「組織的宗教」と呼んでいます。「組織的宗教」と、個人の心の内にある宗教心、信仰心(「霊性」と呼んでいます)とは区別しています。
『神との対話』では組織的宗教に頼らず、自分の内なる霊性(魂)、内なる知恵に目を向けなさいといっています。
神は、すべての人間に平等に語りかけ、導いています。人間の魂と神は通じていますから、心の奥深いところにある魂で神を訪ねれば、神を見いだすことができるというのです。
ところが、現実世界の出来事にとらわれ過ぎると、エゴ(自我=『神との対話』でいう精神)が前面に出てしまい、その奥深いところまでなかなか到達することができません。幻想ともいえる現実世界の出来事に翻弄されてしまい、神性を体験しているという人生の本質を見失ってしまうのです。
組織的宗教の作り上げた世界が、今の世界だといっても過言ではありません。それが今はうまくいっていないというなら、自分の内なる霊性に戻りなさいといっています。組織的宗教には限界があり、今の世界を進歩させるだけの力が無いのは、自明の理だというのです。
[5-(8)-2]《すべての組織の第一の機能は、組織自体の存続だ》
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宗教は、ものごとのあり方についての具体的な考え方を中心に築かれた制度だ。その考え方が固まって石に刻まれると、教義とか教理と呼ばれる。そうなれば、とても反論はできない。組織的宗教は、とにかく教えを信じなさいと要求する。
《新しき啓示P165》
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すべての組織の第一の機能は、組織自体の存続だ。どんな組織でも結成した目的を達成すれば、必要がなくなる。だから、組織というものは、つくられた目的をめったに達成しない。
宗教組織だってほかの組織と同じことだ。いや、それ以上かもしれない。
《新しき啓示P167》
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告解が良い切り札だと気づいた教会は、まもなく告解をしないのは罪だと宣言した。
こうして、教会は次つぎにルールをこしらえた。また教会に通うひとは増えた。集まる金も増えた。とくに献金が増えたね。
《神との対話3-P161》(一部略)
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あらゆる組織は存続することを目指します。物事を存続させるために組織は作られるといっても、過言ではありません。
例えば、会社組織などはその典型例で、経済活動を存続させるためにそれは作られているのです。
宗教組織も例外ではなく、それを存続させるためにあらゆる手を尽くします。
教祖の説いた教えを、弟子(信者)たちが教理としてまとめ、教典を作り上げます。教理を広める(布教)ために、その手段とルールが作られます。多数の信者が集まると組織化されて、その組織を制御する取り決め、規約などが作られます。
このようにして、教祖、教典、信者集団、内規からなる組織的宗教が、次第に形成されて行くのです。
いったん組織が作られると、その存続が図られます。存続するためのいろいろな仕組みが編み出されるのです。
キリスト教でいえば、司教・司祭(神父)などの人的位階制組織や、集団礼拝、献金、感謝祭やキリスト降誕祭などの宗教儀式、教会で罪を告白する告解などの宗教行為が編み出されていったのです。
その仕組みによって、2000年余という長きにわたって、組織的宗教は存続しているのです。
[5-(8)-3]《神は礼拝してもらう必要などない》
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神が「求める」特別な礼拝の方法などはない。
だいたい、神は礼拝してもらう必要などないのだ。
至高の存在がそんなことを必要とするかな?そんな必要がある神とは、どんな神だろうね?
あなたがたは、そこを真剣に考えてみるべきだよ。
《新しき啓示P169》(一部省略)
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「明日の神」は、神を信じることを誰にも要求しない。
《明日の神P429》
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『神との対話』では、儀式的な礼拝は、神は全く望んでいないといっています。
さらに「明日の神」は、神を信じることを誰にも要求しないとさえいっているのです。(『神との対話』シリーズの『明日の神』の中では、過去の宗教で語られる神を「昨日の神」と呼び、新しいバージョンの神を「明日の神」といっています)
[5-(8)-2]で述べたように、宗教が組織化されていくうちに、教理、しきたり、組織内の規約が交じりあって、教会では神の前にひざまずき、礼拝しなければならないという形式、儀式が生まれていったのです。
神は魂と一体であるので、内なる奥深い心の世界では、人間はすでに神と通じているのです。ただ人間がそれを知らない、あるいは気付かないだけなのです。
それを人間に目覚めさせるのが、宗教の第一の使命なのです。
「人間は体験する神」といえるのですが、宗教は「そのようなことを言うのは神を冒涜するものだ」と非難します。人間が堕落して神から離れたために、神は人間と離別していると宗教は教えているのです。
[5-(8)-4]《神への道は何千となくあり、すべてが神に通じている》
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神への道は何千となくあり、すべてが神に通じている。
自分のほうがすぐれているという考え方を捨てなければならない。
このたったひとつの思考、自分たちのほうがすぐれているという考え方が、人類が引き起こすあらゆる惨事、あらゆる苦しみ、あらゆる残虐さ、あらゆる非人道的な行為の原因になってきた。
《神との友情下P149》(一部略)
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すべての宗教は、神に至る道をそれぞれの表現や方法で示しています。その道は数限りなくあり、それらのどれも数限りない道のうちの一つであり、どの道がより優れているということはありません。
民族においても、選民というような、他の民族より優れている民族というものもありません。
個人から家庭、社会、民族、国家、人種にいたるまでのあらゆるものにおいて、「自分の方が優れている」という考え方が、すべての争いの元となっています。
その考えを捨てなさいと、神はいうのです。
人間は、いくつもの生涯を通して神性を体験することによって、いつかは神に至ります。人生の全ての過程が、神に至る道であるのです。
これらの色々な道のうち、どの道を通って神に至るかは、各人がその人生の中で、自らの自由意志によって選択していくのです。
[5-(8)-5]《わたしはすべての者につねに語りかけている》
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わたしはすべての者に、つねに語りかけている。問題は、誰に語りかけるかではなく、誰が聞こうとするか、ではないか?
《神との対話1-P14》
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わたしは何千年ものあいだ、世界のすみずみにまで、くり返して同じメッセージを送りつづけてきた。あなたがたがメッセージを受けとって、しっかりと握りしめ、これは自分のものだと言うまで、いつまででも送りつづける。
《神との対話1-P17》
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もう一度ここでこの本のなかで語ろう。今度はあなたは耳をかすだろうか。ほんとうに聞こうとするだろうか。
《神との対話1-P82》
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神は、歴史上にたくさんの預言者やメッセンジャーをこの世に送ってきました。
しかし人間は、ことごとく彼らを葬り去ってきたのです。
神は、マスター(師)を通して、宗教や芸術、科学を通して、自然を通して、そして本人の魂の叫びを通して、あらゆるツールを利用して、絶えず人間に語りかけているのです。
この著作『神との対話』も、そのメッセージの1つです。
問題は、それに人間が気付くかどうか、それを聴こうとするかどうかなのです。
自分のインスピレーションを大事にして、絶えず、神の声に耳を傾けている必要があるというのです。
[5-(8)-6]《自分は救世主、救い主だとか、人類の唯一の真の親、唯一の真の預言者だとか、そういった大げさなことを言う者からは、さっさと逃げ出すことだ》
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「自分はひとよりも特別だ」と宣言するような者の言葉は、聞かないことだ。
自分は救世主、救い主だとか、人類の唯一の真の親、唯一の真の預言者だとか、そういった大げさなことを言う者からは、さっさと逃げ出すことだよ。
あなたがたすべてが神のメッセンジャーであり、わたしもメッセンジャーだと宣言する者、すべてのひとが救い手で自分も救い手だと言う者、すべてのひとがきよらかで自分もきよらかだと言う者、そういうひとたちの言葉は注意深く聞きなさい。
そういうひとたちは自分に従えとは言わず、あなたがた自身の内に宿る神性に従いなさい、と言うだろう。
《新しき啓示P109》(一部略)
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地上の誰のことも、霊的な「父親」「真の親」と呼んではいけない。真の霊的な父母である神は唯一で、すべての創造の源であり、あなたがたはすべて、その唯一の神の子供で平等な兄弟姉妹だから唯一なるものとひとつなのだから。
《新しき啓示P111》
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高い報酬を払わなければ、「チャネリング」や「仲介」をしないと言われたら、とっとと逃げ出しなさい。そんな相手は金だけが目当てかもしれない。
何週間も、何か月も、それどころか何年も、「ふりまわされて」、「霊界」と接触したいというあなたの欲求や願いを利用されても、不思議ではない。
《神との対話3-P159》
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世界には、新興宗教(新宗教)が数多くあります。その新興宗教には、自らを「救世主」とか「真の親」とか名乗る、教祖的人物がいます。
『神との対話』では、そういう者からは逃げなさいといっています。
真のマスター(師)は、自分を崇めよとは言わず、内なる魂の声に耳を傾けよと教えます。
真のマスターは、多くの信者を従わせる者ではなく、多くの人々をマスターに育てる者だというのです。
┌《明日の神P170》
イエスも、ほかの偉大な〈マスター〉すべても、人類の一人ひとりに〈マスター〉になりなさいと呼びかけている。
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さらに、霊能者や霊媒師という、霊的能力の優れた人がいます。
その人たちは、人々を正しく導くために、その能力が与えられているのです。
人々の役に立とうという真摯な思いで霊的能力を使う人たちには、援助して上げなさいと『神との対話』ではいっています。
金銭目的で、霊的な事象と接触したいという人々の思いを利用する者には、振りまわされてはなりません。
『神との対話』では、「高い報酬を払わなければ仲介をしないと言われたら、とっとと逃げ出しなさい」といっているのです。
[5-(8)-7]《死者は悼んでほしいなどとは、さらさら思っていない》
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死者は悼んでほしいなどとは、さらさら思っていないよ。
彼らが自らのより高度な選択によってどこへ行ったのかわかっていれば、彼らの出発を悼んだりはすまい。
泣くのはよろしい。亡くなったひとへの愛に敬意を表することだから。
《神との対話3-P125》
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魂は決して「死」を悲しんだりしない。その場合の死は、輝かしい瞬間、すばらしい経験だ。魂は自然なかたち、本来のかたちに戻る。
その変化を魂が悲しむことはありえない。
《神との対話3-P178》(一部略)
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魂は、宿った人間の人生で、なすべきことを完了すると、その個体から離れます。それが死なのです。
神性を体験したいと望んで、魂は人間に宿ったのですから、人生を歩んでいるときも、魂は神性を体験するという大仕事を、喜び楽しんで行っているのです。
そしてそれを完了して来世に行くときは、新たな出発をするように喜んで離れるというのです。
したがって、死を悼む必要はないし、悼んでほしいとも魂は思わないというのです。
ただし、死を悼むことは、故人に敬意を表することであり、無意味なことではないともいっています。
[5-(8)-8]《自己の実現に主要な関心をもつ発達段階、これは非常に危険な時期だ》
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どの魂にも、物質的な身体の生存にではなく本質的ないのちの成長に、世間的な成功の達成ではなく自己の実現に主要な関心をもつ発達段階が訪れる。
ある意味では、これは非常に危険な時期だ。とくにはじめが危険だ。なぜなら、自分は身体のなかにあるいのちであって、身体そのものではないことに気づくからだ。
《神との対話1-P246》
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『神との対話』では、人間はある成長段階に達すると、自然と本質的な真理に関心を持つ時がおとずれる、といっています。そしてその時、特に初めの時が非常に危険だともいっています。
関心は魂だけに向かい、身体にかかわることはどうでもいいと感じてしまうのです。
すると、何もかもが無視され、家族は消えてしまい、仕事もおざなりになり、長いあいだ食事すらしなくなってしまうこともあるというのです。
これは、1995年3月に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教にも通じるものといえます。
中部大学教授、バージニア大学客員教授の大門正幸先生は、著書「なぜ人は生まれ、そして死ぬのか」(宝島社、2015年刊)の中で、オウム真理教について次のようにコメントしています。
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生の根源的な意味を求める飢餓感と、超常的な体験による充足感。この二つは修行者が辿る至極まっとうな道です。しかし、オウム真理教のような反社会的カルト教団は、そこに「教祖への絶体的な服従」を要求します。オウム真理教では麻原氏は「最終解脱者」と呼ばれ、グルへの絶対的な帰依が要求されました。
信者達の中で、「生の意味への飢餓感」と超常的な体験」が教祖への絶対的な服従」と結びついてしまった大きな要因は、最初の二つに関する知識があまりに乏しかったからではないでしょうか。
いわゆる霊能力をもった人 が存在するということ、もしそのことを知っていれば麻原氏の力を見たとしても驚嘆こそすれ、「奇跡」扱いすることはなかったでしょう。また神秘体験は様々な宗教家が体験している現象であり、それにとらわれることの危険性を訴える宗教家がいることを知っていれば、神秘体験をした時に「自分は解脱した!」と体験を過大視することもなかったでしょう。さらに、霊能力をもっていたり、神秘体験をさせる力があることと、その人物が人格的に優れていることは別だということを知っていれば、いかに体験が強烈であったとしても、教祖を絶対視するということにはならなかったでしょう。
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オウム真理教に見られたように、理系の優秀な若者がたやすく洗脳され献身していく社会現象は、生きる根源的な意味を求める飢餓感と超常的な体験による充足感が、ベースになっているというのです。
その宗教の教えと同じようなものは、この社会には溢れるほどたくさんあることを知らないために、宗教に触れたとたん、それが唯一無二のものであるかのように思い込み、狂信的になってしまうというのです。
この社会現象を是正するには、スピリチュアルな事がらを、大学生や成人に一般教養として教える必要があると大門教授は主張しているのです。
[5-(8)-9]《人生の神秘を解き明かそうとして、いまという現実をむだにしてはいけない》
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いまという時を浪費しないことだ。人生の神秘を解き明かそうとして、いまという現実をむだにしてはいけない。神秘が隠されているのには、理由がある。
現在という時を、最高の目的のために、ほんとうの自分の創造のために使いなさい。
自分とは何者か、何者になりたいのかを決め、全力をつくしてそうなりなさい。
《神との対話2-P102》(一部略)
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あなたがたが知りたいことは、見ることも感じることも触れることもできない。べつの領域のことがらだから。あなたがたは、そこに向かって開かれていない。まだ、用意ができていない。だが、焦らなくていい。生徒の準備ができたとき、教師が現れるのだから。
《神との対話3-P157》
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神性は、見方を変えれば、根本的な真理ということもでき、神および宇宙の真理をきわめるのが、人生ともいえます。
真理をすべて会得したら、魂の旅の目的は全て完了した(悟り)といえるのです。
人間は、神性を体験する人生の中で、あるレベルに達すると、それに応じた真理を自然に体得していきます。
生徒の準備ができたとき、教師が現れるのです。
そのレベルに達していない人間が、度を越す高いレベルの真理探究にいたずらに時間を費やすのは、神性を体験するという貴重な人生の時間を、無駄にしてしまうというのです。
それより、神性を体験するために「今を生きる」ことに集中し、時間を大切にすべきだというのです。
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