(2)愛
記載ルール
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①原著の引用文は、┌---で囲み、引用ページは、《神との対話1- P22》(1~3巻-ページ)と表します。(続編『神との友情』、『新しき啓示』も同じ)
②原著の対話形式は、神:、ニール: のように発言者名を文頭に記し、表します。
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〔5 生 活 (2)愛〕
┏━あらすじ━━
・愛は無条件、無制限で、何も必要としない。
・ほとんどの人々が、愛と必要性を混同している。
・必要性とは、自分のものではない何かが自分の外に存在し、幸せになるにはそれが必要だということだ。
・誰かを愛し、同時に必要とすることはあっても、必要だから愛するということはない。必要だから愛するなら、それは相手を愛しているのではなく、相手が与えてくれるものを愛しているのである。
・何かを与えてくれようとくれまいと、相手自身を愛するなら、その時は本当に相手を愛しているといえる。何も必要としないなら本当の愛なのである。
・愛は、神の本質であり、神そのものである。
・完璧な愛とは、色彩でいうと完璧な白のようなものだ。白とは色がないことのように思えるが、白は存在するあらゆる色が合体したものなのである。
・それと同じように、愛とは、慈しみ、寛容、赦し、謙虚、信頼、忍耐、誠実などの感情に加えて、憎しみや怒り、情欲、嫉妬、羨望なども包含した、あらゆる感情の総和なのである。
・魂が完璧な愛を経験するには、それらのあらゆる感情を経験しなければならない。
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[5-(2)-1]《愛とは無条件、無際限で、何も必要としない》
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愛とは無条件、無際限で、何も必要としない。
無条件だから、表現するために何も求めない。何の見返りも要求しない。
無際限だから、他人に何の制約も与えない。終わりがなく、いつまでも続く。
何も必要としないから、自由に与えられるもの以外は何もとらない。
《神との友情上P186》(一部省略)
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愛は、自分が相対する相手に対していだき、与える感情です。
人間は相対性の世界の中で、自分以外の存在と相対することにより、生活活動を営んでいます。すなわち人間は、他の人間、動物、植物、自然環境などと相対して、さまざまな生活活動を行っているのです。
相対する相手に対して抱く感情が愛ですから、愛はその相手の種類に対応して、細分することができます。
人間関係においては、親子、夫婦、兄弟姉妹、隣人、民族、人類などの相手に対応して、それぞれ親子の愛、夫婦の愛、兄弟姉妹の愛、隣人愛、民族愛、人類愛があります。
さらに人間以外の動物、植物、自然という相手に対応して、それぞれ動物への愛、植物への愛、自然への愛があるのです。
愛は、相対し合う両者を一体化する力を持っています。人間を例に取れば、男と女は、愛の力によって一体化(性交)し、新しい命を生み出すのです。
「愛は無条件、無制限で、何も必要としない」と、『神との対話』ではいっています。ほとんどの人々が、愛と必要性を混同しているのです。
必要性とは、自分のものではない何かが自分の外に存在し、幸せになるにはそれが必要だということです。
誰かを愛し、同時に必要とすることはあっても、必要だから愛するということはありません。必要だから愛するなら、それは相手を愛しているのではなく、相手が与えてくれるものを愛しているのです。
何かを与えてくれようとくれまいと、相手自身を愛するなら、その時は本当に相手を愛しているのです。相手に対して何も必要としないなら、本当の愛といえるのです。
愛は、神の本質です。聖書に、『神は愛なり』(新約聖書ヨハネ第一 4:8)とあります。
神の完璧な愛は、色彩でいうと「白」のようなものといえます。白は色がないように見えますが、存在するあらゆる色が合体したものなのです。
それと同じように、神の愛とは、慈しみ、寛容、赦し、謙虚、信頼、忍耐、誠実などの感情に加えて、憎しみや怒り、情欲、嫉妬、羨望なども包含した、あらゆる感情の総和なのです。
人間が神性を全て体験するには、これら全ての感情を体験しなければならないのです。
[5-(2)-2]《わたしは「開かれた結婚」に賛成でも反対でもない》
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わたしは「開かれた結婚」に賛成でも反対でもない。あなたが賛成するか反対するかは、結婚に、あるいは結婚から、何を望んでいるかによって決まるだろう。何を望むか、それが「結婚」という経験の場で、ほんとうのあなたを創り出す。
《神との対話3-P250》
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人間という種は、無制限で永遠で自由な愛を経験したいと切望するということだ。結婚という制度は、永遠を創造しようとする試みだった。結婚によって、生涯のパートナーになることを約束しあおうとした。
二人として同じ人間はいない。したがって、どんなに努力してみても、二人の人間の愛が同じであるはずがない。
ひとりへの愛を示すときは、他のひととの関係ではありえない方法で示しているはずだ。
このとくべつな愛をひとりだけに示したいと思う日が来たら、そのときは、さっき言ったようにそれを選びなさい。それを表明し、宣言しなさい。だが、その宣言を義務ではなく、その瞬間の自由の表明にすること。なぜなら、真の愛はつねに自由で、愛の場に義務は存在しえないからだ。
《神との対話3-P258》(一部省略)
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『神との対話』の中で、「神の愛が無条件かつ無制限であるように、人間の愛も無条件かつ無制限だ」といっています。
ニール氏がそれに反論し、「人間の愛が無条件かつ無制限だとしたら、特別な男女(夫婦)の愛も、無制限になってしまい、一時に複数の人を愛するいわゆる愛人関係(不倫)が許されて、社会道徳は混乱してしまう」と神に問いかけます。
それに対して神は、「それは人間自身が決める価値判断であり、神は観察しているだけで、良いとも悪いとも判断しない」と答えています。
すなわち、結婚という社会システムをどうとらえ、そこから何を体験しようとするかは、人間自身が自由意思をもって決めることだというのです。
さらに神は、「結婚という制度は、夫婦の愛を永続させようと人間が意図して造り出した制度だが、「無制限」で「自由」な愛を体現するには、うまくいっていない。離婚が多いのはそれを物語っている」(2007年現在の離婚率(人ロ千人当たりの離婚件数)は、日本2.04、アメリカ3.6。2012年(日本)の結婚件数66万9000組に対して、離婚件数は23万7000組 ― 筆者注)
「1人として同じ人間はいないから、まったく同じ愛もあるはずはない。ひとりだけを夫婦というかたちで愛するという結婚を、たった一度しかない約束ではなく、何度でもやり直すことのできる自由な選択だ(離婚、再婚もあり得るということ ― 筆者注)と考えるべきだ」と、結婚のあり方についても言及しています。
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*〈いのうげんてん〉からのお願い:神・生命に関心のおありの方に、当ページをご紹介いただけましたら幸いに存じます。→http://ncode.syosetu.com/n6322bf/
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