(1)人間関係
記述ルール
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①原著の引用文は、┌---で囲み、引用ページは、《神との対話1- P22》(1~3巻-ページ)と表します。(続編『神との友情』、『新しき啓示』も同じ)
②原著の対話形式は、神:、ニール: のように発言者名を文頭に記し、表します。
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〔5 生 活 (1)人間関係〕
┏━あらすじ━━
・現実世界は相対性の世界で、人間は、他の人間、動物、植物、自然環境などと相対して、さまざまな生活活動を行っている。
・人間関係は、神性を体験させてくれる最も大切な機会を与えてくれ、家庭、学校、会社、社会などさまざまな所に存在している。
・すべての人間関係が自分を創りあげる絶好の機会である。
・人間の出会いは、舞台で繰り広げられる演劇と似ている。
・様々な人間関係の中にあっても、自分自身の考え、体験、実感、感情を大切にする。
・他人の考えは尊重するが、自分の体験や実感は、それ以上に大切にする。
・他人の目ばかりを気にして、他人の好むような行動ばかりを取っていると、他人の人生を歩んでしまう。
・魂の世界では、自分と他人は全てがつながっている。したがって他人に与えることは、同時に自分に与えることにもなる。
・すべての人が、それぞれ神のメッセージを携えており、人間関係の中でそれを相互に与え合っている。すべての人間がメッセンジャーだ。
・人間は、神の宇宙創造の目的を実現していく、絶対的な価値ある存在であり、すべての人が、神にとって特別な存在だ。
・人生の意義は、「何をしたか」ではなく、神性のどの部分を体験したかにある。
・大変な時こそ助けてくれるのが真の友だちだ。
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[5-(1)-1]《経験をいちばん直接的に、力強く、純粋に実践できるのが人間関係という場だ》
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経験をいちばん直接的に、力強く、純粋に実践できるのが人間関係という場だ。それどころか、ひととの関係なしにはその実践は不可能だ。
他がなければ、あなたも無だということを覚えておきなさい。自分以外の他との関係があるから、あなたは存在する。それが相対性の世界というものだ。
このことをはっきりと理解すれば、そしてしっかりと把握すれば、すべての経験を、すべての人間的出会い、とりわけ個人的な人間関係をうれしいと思うようになる。
《神との対話1-P164》(一部略)
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現実世界は相対性の世界です。男性―女性、オス―メス、オシベ―メシベ、陽イオン―陰イオン、陽子―電子などの陽と陰、大―小、長―短、熱い―冷たい、作用―反作用、遠心力―引力、ここ―あそこ、これ―あれ、わたし―あなた、など、相対するものによって成り立っています。
人間はこの相対性の世界の中で、自分以外の存在と相対することにより、生活活動をしています。すなわち人間は、他の人間、動物、植物、自然環境などと相対して、さまざまな生活活動を行っているのです。
例えば農業、漁業、林業などの一次産業は、人間が自然界と相対して営んでいる代表的な生活活動です。
その相対する関係の中でも、人間同士の関係すなわち人間関係は、数限りなく存在する神性の側面を体験させてくれる、最も濃厚で大切な機会を与えてくれるものなのです。
人間関係は、家庭、学校、会社、社会などさまざまな所に存在していますが、そのうちでも、最も基本的なものは家庭です。
そこには、親子、夫婦、兄弟姉妹という人間関係があります。
そしてそれが拡大されて、地域での隣人関係、会社での同僚同士や上司と部下の関係、学校での教師と生徒の関係、国家での政府と国民の関係など、次第にその版図が大きくなって行くのです。
このような、上下、前後、左右の人間関係が交錯して成り立っているのが、この人間社会なのです。
人間は、この人間関係の中で提供される様々な出来事に対応し、自ら選択、決断することによって、自分を表現し、自分自身を創造、成長させていくのです。
すべての人間関係が自分を創りあげる絶好の機会であると、はっきり理解すれば、すべての人間的な出会い、とりわけ個人的な人間関係を、素晴らしいものと思うようになるのです。
[5-(1)-2]《どんな人間も偶然に出会うことはない》
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どんな人間も偶然に出会うことはないし、どんなことも偶然に起こりはしない。
ちょうどそのとき、ぴったりの態度のぴったりの人間がいたこと、それが偶然だと思うか?
袖で待っていた脇役が合図されて舞台に登場し、台詞を言い、退場したのだと考えてごらん。
《神との友情上P-162》
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人生で起きる出来事は、魂が発案し、神が備えています。
『神との対話』では、人間の出会いは、舞台で繰り広げられる演劇と似ているといっています。
自分が演劇の主役です。
魂は脚本家、神はプロデューサー、魂の友達は劇団員といえます。
演劇の最中に、舞台の袖で待っていた脇役が、合図されて舞台に登場し、台詞をいって、退場したのが、人間の出会いだというのです。
そして演劇の演目によって、劇団員は演ずる役柄を、それぞれ変えるのです。
「どんな人間も偶然に出会うことはないし、どんなことも偶然に起こりはしない」と、『神との対話』ではいっています。
精神のレベルでは偶然のように見えても、魂や神のレベルでは、偶然ではないというのです。
[5-(1)-3]《あなたの最初の関係は、自分自身との関係である。まず自分自身を大切にし、慈しみ、愛することを学ばなければならない》
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人間関係では、それぞれが自分のことを考えるべきだ。自分は何者か、何をするか、何をもっているか。自分は何を欲し、要求し、与えているか。
そう考えれば、すべての人間関係はすばらしいものとなり、その目的に―そして関係を結んでいる人間にとっても―大いに役立つだろう。
《神との対話1-P167》
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あなたの最初の関係は、自分自身との関係である。まず自分自身を大切にし、慈しみ、愛することを学ばなければならない。
他者の価値を見抜くためには、まず自分に価値を見いださなければならない。
《神との対話1-P170》
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あなたがたは自分を愛するように隣人を愛さなければならない。だが、自分の感情を尊重できないで、どうして相手の感情を理解したり、尊重したりできるだろう?
《神との対話1-P173》(一部略)
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人間は、一般社会の中で起きる、様々な出来事に対応することにより、無数にある神性を体験していきます。
『神との対話』では、様々な人間関係の中にあっても、「自分自身を大切にすること」を強くすすめています。自分自身の考え、体験、実感、感情を大切にしなさいというのです。
社会の中に生きる以上は、他人の考えを尊重しなければなりませんが、自分の体験や実感は、それ以上に大切にしなさいといっています。
他人の考えとは、慣習、社会常識、学校での教育などをいいますが、それらはあくまで、過去に生きた人々が作り上げた他人の考えなのです。
自分の考えや体験、実感は、それ以上に大切にしなさいといっています。
そして、何よりも自分をまず愛するべきで、自分を愛せない者は、真に他人を愛することはできないともいっているのです。
自分を最優先するということは、「利己的」になることではありません。神性を体験している自分であることを、しっかりと認識することなのです。
[5-(1)-4]《他人にどう思われるかを心配しているかぎり、あなたは他人のものだ》
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他人にどう思われるかを心配しているかぎり、あなたは他人のものだ。外からの承認を求める必要がなくなったときはじめて、あなたはあなた自身のものになる。
《神との対話3-P18》
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他人のルールに従っていたのでは成長しない。誰かに従属するだけだ。
《神との対話2-P136》
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ひとがこう考えさせたいと思う考え方をするより、自分がこうありたいと思う考え方をするほうが良くはないか?
《神との対話1-P225》(一部略)
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他人の目ばかりを気にしていると、他人の人生を歩んでしまうと忠告しています。
他人を無視した場合は、人間関係の中で神性を体験するという重要なチャンスを、逃してしまうことになります。
しかし、他人の目を気にし過ぎて、他人の好むような行動ばかりを取っていると、自分の考えでなく他人の考えで歩んでしまうことになり、まさに他人の人生を歩んでしまうというのです。
[5-(1)-5]《他人に経験させたことは、いつか、必ず自分が経験する》
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自分が引き起こした結果は、結局、自分自身が体験する。
他人に経験させたことは、いつか、必ず自分が経験する、ということだよ。
イエスの教えとして知っているひともいる。自分にしてほしいと思うように、ひとにしてやりなさい。イエスは、因果関係を教えているのだ。
《神との対話3-P153》(一部略)
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他人にすることは、自分にすることになるともいっています。
魂の世界では、自分と他人は、個別性はあっても全てがつながっています(3 神と宇宙 (2)神の宇宙創造を参照)。したがって他人に与えることは、同時に自分に与えることにもなるのです。
このことを、イエスキリストは『自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい』(新約聖書マタイによる福音書7章12節)と語っているのです。
[5-(1)-6]《すべてのひとにメッセンジャーの役割が与えられている》
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あなたはメッセンジャーだ。あなたもあなたと同じ理解に達した、ほかのおおぜいのひとたちも。この対話を通じて理解したひとも、独自に理解したひとも、みな同じ目的に向かっている。
光を求める者ではなく、光をもたらす者、光の使者になるのだ。
まもなく、あなたがたすべてがひとつの声で語るようになる。
ほんとうは、すべてのひとにメッセンジャーの役割が与えられているのだよ。誰もが人生について、神について、世界にメッセージを送っている。
《神との友情-下P78》(一部略)
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原著では、神の真理を伝える者をメッセンジャーと呼び、『神との対話』の著者ニール氏もその1人であるといっています。
すべての人間は、それぞれ、神性を体験するという使命を持った、かけがえのない存在です。
神性の体験は、人生における人間関係の中で、その多くが実現されます。すべての人が、それぞれ神のメッセージを携えており、人間関係の中でそれを相互に与え合っているのです。
そのような意味ではすべての人間がメッセンジャーなのです。神にとって価値のない人間は、一人としていないのです。
[5-(1)-7]《すべてのひとは特別であり、すべての時は黄金である》
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すべてのひとは特別であり、すべての時は黄金である。他よりも特別なひと、特別な時というものはない。
《神との対話1-P19》
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あなたの発達段階であれば、「世間的な成功」にはもう関心がなくなっていても、不思議ではないのだがね。
どの魂にも、物質的な身体の生存にではなく本質的ないのちの成長に、世間的な成功の達成ではなく自己の実現に主要な関心をもつ発達段階が訪れる。
《神との対話1-P247》(一部略)
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人間は、神が自分自身(神性)を体験するという宇宙創造の目的を実現していく、絶対的な価値ある存在であり、すべての人が、神にとって、特別な存在なのです。
人生は神性を体験するところに意義があります。「何をしたか」ではなく、神性のどの部分を体験したか(体得したか)に意義があります。
神も魂も、人間がその人生で何をしたか(例えば、業績、社会的成功、失敗など)にではなく、それらから何を体得したかだけに関心があるのです。
マザー・テレサが、書籍『マザー・テレサのことば』(1993年、女子パウロ会刊) P75で、「肝心なのは、どれだけのことをしたかではなく、あなたの行いに、どれだけ愛をこめたか、私たちのおくりものがどれだけ愛にねざしているかが大切です」といっているのは、このことに通じるものと思われます。
[5-(1)-8]《友だちとは負担だと思わない者》
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それ(負担をかけること*)は、誰が友だちかを発見する、いちばん手っとり早い方法だよ。(*筆者注)
友だちとは、負担だと思わない者だ。ほかはすべて知りあいにすぎない。
《神との友情上P70》(一部略)
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上記の文は『神との友情』の中の一節で、神と友情を結ぶための方法を、神とニールが話し合っている中に出てくるものです。
┌《神との友情上P69》
神:友だちに、何かをしてもらうかな?
ニール:できるだけ、頼まないようにします。
神:友だちでいるとは、何も頼まないことなのかね?
ニール:友だちを失ういちばん手っとり早い方法は、負担をかけることだって。
(一部略)
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このニールの「友だちを失ういちばん手っとり早い方法は、負担をかけること」という発言に対する神の返事が、冒頭の文なのです。
「負担をかけることは、誰が友だちかを発見する、いちばん手っとり早い方法だよ」と、神はいっているのです。
本当の友だちは、友だちであることによって生ずる負担を、負担だと思わない者をいうのだ、といっているのです。
つまり、「大変な時こそ助けてくれるのが真の友だち」であり、そうでない人は、知りあいにすぎないというのです。
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*〈いのうげんてん〉からのお願い:神・生命に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく思います。→http://ncode.syosetu.com/n6322bf/
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