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『神との対話』との対話  作者: いのうげんてん
2章 『神との対話』-私なりの説明
44/245

  (3)生と死

記載ルール

────────────

①原著の引用文は、┌---で囲み、引用ページは、《神との対話1- P22》(1~3巻-ページ)と表します。(続編『神との友情』、『新しき啓示』なども同じ)

②原著の対話形式は、神:、ニール: のように発言者名を文頭に記し、表します。

────────────



〔3 人 生 (3)生と死〕


┏━あらすじ━


 魂-精神-身体が一体となった人間が、物質的世界(現実世界)で果たすべき課題が完了すると、物質的世界を離れて霊的世界に行く。


 「死」は、物質的世界(物理的世界)から霊的世界へ移行する通過点であって、「生」の終わりではない。


 輪廻転生によって霊的世界から物質的世界に移行する通過点が、「誕生」である。


 死について充分に知ったら、人生を充分に生きることができる。


 人間は、物質的世界でも霊的世界でも、形(エネルギーの振動数)は変わるが、魂-精神-身体の3要素からなっている。


 「死」の直後、あなたは最も愛情あふれる天使や道案内や、優しい霊に囲まれる。


 神への信仰の有無にかかわらず、すべての人間を神は迎える。


 「死」のプロセスは3段階からなる。


 第1段階で、自分は物質的な身体ではないことに気づき、第2段階で、死ぬ時に抱いていた信念を経験する。


 第3段階で、神と一体化して、終えたばかりの人生を、関わった全ての人間の視点で振り返る。


 そして神の「聖なる審問」を受ける。


 「聖なる審問」の時、霊的世界に進むか、今来た元の物質的世界に戻るかは、人間が自由に選択できる。


 霊的世界に進むという選択をして霊的世界に入った時、人間の「死」のプロセスが完了する。


 霊的世界の人間が、輪廻転生によって物質的世界に行く時にも、「聖なる審問」を受ける。


 霊的世界では、思いとその実現とに時間差が無く、思いが即実現する。


 物質的世界でしか、神性を体験的に知ることはできない。


 霊的世界の人間が、新たに神性を体験したいと希望すると、物質的世界に行く(輪廻転生)。


 「死」は自分のためにすることである。


 「死」は、人間(魂) と神の合意によってなされる。


 全てについての信念を明確にしておくことが重要である。


┗━━━━━━



[3-(3)-1]《死ぬことはできない。あなたがたは生命そのものだ》


┌----------

 死ぬことはできない。あなたがたは、生命そのものだ。生命が生命でなくなることはできない。したがって、死ぬことはない。


 では、臨終のときに何が起こるか……生きつづけるのだよ。


 《神との対話3-P83》

 ------

 誕生と死は同じことである。


 《神へ帰るP322》

└----------


 人間は、魂-精神-身体の3層からなっています。


 魂-精神-身体が一体となった人間が、物質的世界(現実世界)で果たすべき課題が完了すると、物質的世界を離れて、霊的世界に行きます。


 人間が物質的世界から霊的世界に移る時点を、「死」といいます。


 「死」は、物質的世界(物理的世界)から、霊的世界へ移行する通過点なのです。


 「死」は生の終わりではなく、ただ、生命の形を変える通過点で、生命は無くなることはないというのです。


 その反対に、霊的世界から物質的世界に移行する通過点が、「誕生」です。


 霊的世界の人間が希望すれば、霊的世界から物質的世界に行くことができます(輪廻転生)。その通過点が「誕生」なのです。


 すなわち、「誕生と死は同じこと」なのです。



[3-(3)-2]《死について充分に知ったら人生を充分に生きることができる》


┌----------

 死について充分に知ったら、人生を充分に生きることができる。


 そうすれば「自分」を充分に体験できるし―それが地上に生まれた目的だ―そうなれば自分は完了したとはっきり知って、感謝して穏やかな死を迎えることができる。


 《神へ帰るP74》

└----------


 『神との対話』では、「死について充分に知ったら、人生を充分に生きることができる」といっています。


 さらに、「死を恐れなくなれば、生も怖くはない。最後の瞬間まで、自分の人生を充分に生きることができる」ともいっています。


 死について思い出す(知る)ことを、次のような18の条項にまとめています。(一部の項は、原著を読まないと理解しにくいものもありますので、原著を読まれることをお薦めします。文庫本『神へ帰る』(サンマーク出版2015年刊880円))


☆思い出すこと


1 死とは、あなたが自分のためにすることである。


2 あなたの死を引き起こすのは、あなた自身だ。いつ、どこで、どんなふうに死ぬのであっても、これが真実だ。


3 あなたは自分の意志に反して死ぬことはない。


4 「わが家」へ帰る道のなかで、ほかの道よりとくに良い道はない。


5 死は決して悲劇ではない。死はつねに贈り物である。


6 あなたと神はひとつである。両者のあいだに分離はない。


7 死は存在しない。


8 あなたは「究極の現実」を変えることはできないが、それをどう経験するかは変えられる。


9 「すべてであるもの」が「自らの経験」によって「自らを知ろう」とする欲求。それがすべての生命/人生の因だ。


10 生命は永遠である。


11 死のタイミングと状況はつねに完璧である。


12 すべてのひとの死は、つねにその死を知るほかのすべてのひとの課題に役立つ。だからこそ、彼らはその死を知る。したがって「無益な」死は-生も-ひとつもない。誰も決して「むだ死に」はしない。


13 誕生と死は同じことである。


14 あなたがたは人生/生命においても死においても、創造行為を続けている。


15 進化に終わりなどというものはない。


16 死から引き返すことができる。


17 死んだら、あなたがたは愛するひとすべてに迎えられるだろう。あなたより前に死んだひとと、あなたより後に死ぬひとたちに。


18 自由な選択は純粋な創造行為であり、神の署名であり、あなたの贈り物であり、あなたの栄光であり、永劫のあなたの力である。



[3-(3)-3]《地上に生きている間だけではなく、いつも三つの部分からなる存在である》


┌----------

 あなたは身体、精神、本質的ないのちである霊魂という三つの部分からなる存在だ。地上に生きている間だけではなく、いつも三つの部分からなる存在である。


 死ぬときには、身体も精神も捨てられる、という説をたてるひとたちがいる。だが、身体と精神は捨てられない。身体はかたちを変え、最も濃厚な部分は捨てられるが、外殻はつねに維持されている。


 《神との対話1-P247》

 ------

 あなたはふたたび全き存在になり、ふたたび若くなり、最も盛りだったときの元気と精神で霊的な領域へと入っていくだろう。


 あなたはこの世で若者だったころのように自分自身を経験するだろう。


 《神へ帰るP476》

└----------


 『神との対話』では、物質的世界でも霊的世界でも、人間は形(エネルギーの振動数)は変わりますが、魂-精神-身体の3要素からなることに変わりはないといっています。


 そして本人の思う、最盛期の姿かたちをとることができるというのです。



[3-(3)-4]《「死」の直後、あなたは最も愛情あふれる天使や道案内や、優しい霊に囲まれる》


┌----------

 「死」の直後、あなたは最も愛情あふれる天使や道案内や、優しい霊に囲まれる。


 あなたが最も愛したひとたちはいちばん近くにいるだろう。あなたを囲んでいるよ。


 この愛するひとたちや天使の存在はじつに大きな助けになり、何が起こっているのか、どんな「選択肢」があるのか「見当」をつけ、理解する手伝いをしてくれる。


 死ぬ前にだって、愛するひとたちの存在に気づくかもしれないよ。


 まだ物質的な身体に宿っているあいだに、愛するひとたちが部屋にいるのが見える、愛するひとたちが迎えに来てくれた、と言うひとはたくさんいる。


 「死」の直後に視点は広がる-そして死の直前にも広がることがよくある。


 《神へ帰るP174》(一部略)

└----------


 『神との対話』には、「死」の前後に、愛する人たちや天使たちが迎えに来て、霊的な世界に行くいろいろな手引きをしてくれると書いてあります。


 そして死を迎えようとしている人間の多くは、物質的世界では制限されていた視点が広がって、迎えてくれるその霊的な人たちを見ることができるといっています。



[3-(3)-5]《わたしはすべてのひとを迎える》


┌----------

 わたしはすべてのひとを迎えるよ。


 神なしで死ぬことは不可能だ。わたしはいつも、そこにいる。


 わたしはあなたを抱きとり、慰め、歓迎し、あなたはそのままで完全だ、天の王国に入る準備は完璧にできていると保証する。


《神へ帰るP183》(一部略)

└----------


 『神との対話』では、神への信仰の有無にかかわらず、すべての人を神は迎えるといっています。


 たとえ現実世界(物質的世界)では犯罪者であっても、神は迎え入れるのです。


 究極的に見れば罪人はいないのです。


 魂は神の分霊として、神が自らの神性を体験するために創造されました。


 人間は、人生の出来事を通して、神性を体験しているのです。


 いってみれば人間(魂)は、神の創造目的のために、共同創造者として行動しているといえるのです。


 神自身のために神性を体験している人間(魂)を、神は祝福こそすれ罰することはないのです。すべてを迎え入れるのです。



[3-(3)-6]《死は段階というか局面を追って経験される》


┌----------

 死は段階というか、局面を追って経験される。


 第一段階の死の瞬間、あなたはただちに生命が続くことを経験する。


 自分は「死んだ」が、生命は終わっていないことがわかる。自分は身体ではないということに充分、それにたぶん初めて気づくのが、この瞬間だ。


 その後にたちまち死の第二段階に移る。


 第二段階では死後に起こると信じていたことを経験する。これは瞬間的に起こる。


 そして前進する。死の第三段階へね。


 《神へ帰るP169》(一部略)

└----------


 人間は「死」の時に、3段階のプロセスを通過します。


 第1段階では、自分は物質的な身体ではないことに気づきます。


 第2段階では、死ぬ時に抱いていた信念を経験します。


 例えば、死んだら天国に行くと信じている人は、自分が思い描く天国の情景を経験するのです。


 死んだら全てが無になると信じる人は、眠っているときと同じような、何も無い情景を経験するのです。そしてほどなく、その人の愛した人たちが、目覚めをうながしてくれるといっています。


 第3段階では、神と一体化して、終えたばかりの人生を、自分だけでなくそれに関わった全ての人々の視点で、その人生を振り返ります。


 そして、神の「審問」(くわしく問いただすこと)を受けるのです。



[3-(3)-7]《あなたはその絵のなかで起こったすべてを経験する》


┌----------

 絵が展覧会のように壁にかかっていて、あなたはこの「画廊」を ゆっくりと歩きながら、絵を一枚一枚、眺める。


 絵を深く見つめているうちに、あなたはその絵のなかで起こったすべてを経験する。あなたに起こったことだけでなく、その絵のなかの全員に起こったことだ。


 絵の一枚一枚はあなたの人生の各瞬間を表し、それを見つめることによって、あなたはそれぞれの瞬間に起こったことの「完全な全体像」を初めて知る。


 多くの場合、それはあなたが起こっていると考えたこととは違うし、必ずあなたの想像を超えているはずだ。


 《神へ帰るP374》(一部略)

└----------


 第3段階で神と一体化すると、終えたばかりの人生を、それに関係した全ての人間の視点から振り返ります。これと同様なことは、臨死体験者がよく語っています。


 〔5 人 生(1)人生②魂と精神〕で書いたように、魂の目的は神性を体験することにあります。


 魂の望む神性を体験できるように、神は人生の出来事を用意します。


 その出来事に出会った時の対応のし方は、人間の選択によって決まります。


 ところが魂レベルの意志と精神レベルの意志とは、必ずしも一致しないのです。


 そのために見た目には、おうおうにして精神の意図に反した結果になることがありますが、魂のレベルでは、意図した通りの神性を体験しているというのです。


 それが、冒頭の引用文「多くの場合、それはあなたが起こっていると考えたこととは違うし、必ずあなたの想像を超えているはずだ」の意味なのです。



[3-(3)-8]《聖なる審問》


┌----------

 あなたにはすべてについて選択肢があるんだよ。


 あなたがたが「死」と呼ぶときに、ひとはつねに選択肢を与えられる。


 あなたはたったいま後に残してきた人生が続くという経験をしたいだろうか?それとも、前進して霊的な領域に向かうという現実を経験したいのか?


 《神へ帰るP401》(一部略)

 ------

 (「聖なる審問」に*筆者注)完了したと魂が言えば、「聖なる審問」に「進みます」と答えれば、即座に霊的な領域に移動し、そこで「光」と合体したときに経験したものとして「自分自身を知り」はじめる。


 《神へ帰るP444》(一部略)

 ------

 あなたの魂は「自分の存在の核心」に戻り、もういちど帰りの旅を始め、「聖なる審問」に答える。


 あなたは自分が何を欲しているかを知っているか?あなたは物理的な存在に戻ることを選ぶか?


 《神へ帰るP447》(一部略)

└----------


 死のプロセスの最終段階で、神の審問を受けます。


「あなたはとどまりたいか?」


 この時、霊的世界に進むか、今来た元の物質的世界に戻るかの選択は、人間の自由なのです。


 課題がまだ完了していないと考える人間は、その時点では物質的世界に戻ることができるのです。


 「死」のプロセスが完了するのは、この「聖なる審問」の時に、人間が霊的世界に進むという選択をして、霊的世界に入った時なのです。この時、「死」が完結した(臨死状態ではなく、ほんとうに死んだ)ことになるのです。


 霊的世界の人間が、輪廻転生によって物質的世界に戻る時にも、この「聖なる審問」を受けるのです。



[3-(3)-9]《霊的な領域では魂が望むすべてが即座に実現する》


┌----------

 霊的な領域では、魂が望むすべてが即座に実現する。


 《神へ帰るP444》(一部略)

└----------


 霊的世界では、物質的世界と違って、思いとその実現との間に時間差がありません。


 霊的世界でも物質的世界と同じように、人間は創造し続けます。ただ、霊的世界では、思いが即創造につながり、その思いが実現するのです。思いとその実現とに、時間的な差が無いというのです。


 それがロビン・ウィリアムズ主演のアメリカ映画(1998年)『奇蹟の輝き』(What Dreams May Come)という映画に描かれています。



[3-(3)-10]《それは物理的な世界でしかできない》


┌----------

(人間が霊的世界を旅するうちに*筆者注)「知る」だけでは充分ではないときがやってくる。


 魂はそれ自身についての新しい考えのなかでそれ自身について知っていることを経験したくなる。だがそれは物理的な世界でしかできないとわかる。


(それで魂は物理的な存在に戻ってくる*筆者注)


《神へ帰るP447》(一部略)

 ------

魂は霊的な世界の道を通って完全な知に到達し、物理的な世界の道を通って完全な体験に到達する。どちらの道も必要で、世界も二つある。


《神へ帰るP68》

└----------


〔2 神と宇宙 (3)神の宇宙創造〕で書いたように、神の宇宙創造の動機は、概念として知る自分自身を、体験的に知りたいと神が思ったところにあります。


 それと同じように、概念的な神性を、遺伝子DNAのようにすべて受け継いでいる魂は、それを体験したいと思うのです。


 物質的世界(物理的世界)でしか、神性を体験的に知ることはできません。


 霊的世界の人間が、新たに神性を体験したいと希望すると、物質的世界に行くのです(輪廻転生)。


 音楽に例えてみます。オーケストラがある曲を演奏するとします。


 曲は楽譜に書いてあります。しかしそれは、五線譜に音符という記号が書いてあるだけで、音そのものではありません。


 それを楽器の演奏者によって、音に変換して曲がかなでられるのです。


 概念的な神性とはこの楽譜にあたり、体験された神性とは演奏された音楽といえるでしょう。


 人間は、神性を体験するために、旅を続けているのです。



[3-(3)-11]《死とはあなたが自分のためにすることである》


┌----------

 死とは、あなたがあなたのためにすることだ。なぜなら、死はすばらしいことだから。


 あなたがたが「死」と呼ぶことはすばらしい。だから誰かが死んでも悲嘆にくれる必要はないし、自分の死を悲しみや不安のうちに迎えることもない。


 《神へ帰るP33》

 ------

 基本的な原理を充分に理解すれば、あなたがたが「死」と呼んでいることが、じつは力強い創造のときであることもわかってくる。


 死は道具だ。本来の目的どおりに活用すれば、死はじつに並はずれた何かを創造することができる。


 《神へ帰るP36》(一部略)

└----------


 「死」は、物質的世界(現実世界)から霊的世界へ移行する通過点で、その逆の霊的世界から物質的世界に移行する通過点が「誕生」です。


 つまり、「誕生」と「死」は、ひとつの世界からつぎの世界に移行させるための仕組みで、魂が自分自身を新しく創造する瞬間なのです。


 物質的世界での人生の課題を完了した時、魂は、自ら霊的世界へ移行することを選択します。


 「死」は「生命(人生)」の終わりではなく、物質的世界(現実世界)から霊的世界へ移行する通過点で、人間は霊的世界でも、創造行為を継続し、進化成長していくのです。


 したがって、「死」は自分のためにすることだというのです。



[3-(3)-12]《自分と神がひとつであり、一緒にその決断をした》


┌----------

 自分と神がひとつであり、一緒にその決断(死の決断*筆者注)をしたのだと知っていれば、安らかな静謐が訪れる。


 《神へ帰るP137》

└----------


 『神との対話』には、「死」は、人間(魂) と神の合意によってなされるという、基本的な考え方があります。


 人間は魂-精神-身体の3層からなりますが、魂と神は、いつ 、どのように「死」を迎えるかを合意しているというのです


 しかし精神-身体は、魂の意図が理解できないために、必ずしもその「死」には合意していません。


 「自分の人生の課題はすべて完了した」と思える人が、 魂-精神-身体のすべてのレベルで「死」を受容できるといえるのです。



[3-(3)-13]《全てについての信念を明確にしておくことが重要なのだ》


┌----------

 第二段階では死後に起こると信じていたことを経験する。


ニール:すると、死についての自分の信念を明確にしておくことがとても重要なんですね。


 生きる上で全てについての信念を明確にしておくことが重要なのだよ。信念に影響されるのは死だけではなく、生命/人生全体なのだから。


 《神へ帰るP169》(一部略)

└----------


 [3-(3)-6]の《死は段階というか局面を追って経験される》で書きましたように、死の第二段階では死後に起こると信じていたこと、つまり自分の抱く死に対する信念体系を経験するといっています。


 死んだら天国に行くと信じている人は、自分が描く天国の情景を経験するし、全てが無になると信じる人は、眠っている時のような、何も無い情景を経験するのです。


 著者ニールは、「すると、死についての自分の信念を明確にしておくことが重要ですね」と、神に問いかけます。


 神は答えます。


「生きる上で全てについての信念を明確にしておくことが重要なのだよ。信念に影響されるのは死だけではなく、生命/人生全体なのだから」


 死についてだけではなく、人生の目的や生き方などの人生についての自分の信念を、しっかり持って生きることが大切だというのです。



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*〈いのうげんてん〉からのお願い:神・生命に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく存じます。→http://ncode.syosetu.com/n6322bf/

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