(3)神の宇宙創造
記述ルール
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①原著の引用文は、┌---で囲み、引用ページは、《神との対話1- P22》(1~3巻-ページ)と表します。(続編『神との友情』、『新しき啓示』も同じ)
②原著の対話形式は、神:、ニール: のように発言者名を文頭に記し、表します。
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〔2 神と宇宙 (3)神の宇宙創造 〕
┏━あらすじ━━
神の宇宙創造は、無形である神が、無数にある神性を表現して有形的な被造物を創造し、自分を鏡に映すようにして、自分自身(神性)を体験するために行なわれた。
宇宙は、物質的世界と霊的世界(および「純粋な存在の領域」の三領域)からなり、人間は、魂-精神-身体という3層からなる。神の分身である魂は、宿った人間の人生で、神から与えられた神性を体験する。それと同時に、神自身も自らの神性を体験する。
魂は個別性をもちながらも、全てがつながっている。
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§ 創造目的と宇宙創造 §
[2-(3)-1]《自らを体験したいと激しく望んだ》
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「存在するすべて」であることの絶対的なすばらしさを概念的には知っていたが、体験的には知りえなかった。そこで、自らを体験したいと激しく望んだ。
概念として知っていることを体験として知るには、物質的な世界で経験するしかない。そもそも、物質的な宇宙秩序を創った理由はそこにあった。
物質的な宇宙に入れば、自らについて知っていることを体験できる。それには、まず、対極を知らなければならない。背が低いということを知らなければ、背が高いということはわからない。
これが相対性の理論の目的であり、すべての物質的な生命の目的だ。自分自身を定義するのは、自分ではないものによってなのだ。
《神との対話1-P39》(-部略)
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神の宇宙創造は、すべての根源である神が、自らの性質(神性)を体験的、実感的に知るために行なわれました。
「存在のすべて」である神は、絶対の存在(他者に依存しない存在)であるため、自らを「概念」として知っていましたが、「体験」としては知りえなかったのです。
「概念として知る(英文:know conceptually)」とは、ひらたくいうと、私たちの頭の中にある思考やイメージと似たものといえるでしょう。それらは物理的な形が無く、実感的ではありません。思考やイメージは文字化すれば「言葉」という形になりますが、それでもまだ実感的、体験的なものではありません。
私たちにとって、「言葉」が実感的であるのは、それを既に体験している場合に限られます。例えば、私たちが「暑い」という言葉をすぐ実感的に理解できるのは、「暑い」ことを体験して知っているからです。もしそれを体験していないのなら、実感のない単なる言葉でしかないのです。(このことを、原著の中では「体験として知る(英文:know experientially)」と表現しています。)
絶対的存在である神は、自らを知るために相対性の理論を利用したのです。神は、自分の姿に似せて被造物を創造し、体験的に自らの神性を知ろうとしたのです。
これが神の宇宙創造の動機です。
絶対的な世界は、他者に依存しない、存在そのもの(聖書では「有りて有る者」といっています)であるため、自らの神性を体験的に知るには、相対的世界に入らなければならないのです。
絶対的世界とは、中和的な世界ともいえます。陽-陰、大-小など、相対的なものすべてが存在しながら、それらが渾然一体(中和)となっています。色にたとえていうなら、白色あるいは透明な光のようなものです。
白色は色がないのではなく、あらゆる色を内包しているのです。それを分解すれば、多数の色に分かれます。そして白色は、他の色がないときには無味乾燥なものですが、分解して数多くの色を発色すれば、そのコントラストにより色彩豊かな美を創出するのです。
白色のように、すべてを内包した中和的、絶対的存在である神は、自らの要素を分割、分離することによって、色彩豊かな相対的世界を創造したのです。
一方、相対性の世界とは、男性-女性、オス-メスなどの陽-陰、大-小、長-短、熱-冷、作用-反作用、遠心力-引力、ここ-あそこ、わたし-あなた、など、相対するものによって成り立つ世界のことです。
相対的世界では、他者と相対関係をもつことによって自らを他者と対比し、自分自身を知ることができるのです。
神の宇宙創造は、画家を例に取れば理解しやすいと思われます。
画家が自らの脳裏に浮かんだ無形のイメージ(=概念として知ること)を、キャンバスに絵として描いて具現化、有形化します。自らのイメージを表現した絵画を相対的に客観視することにより、画家は自らのイメージを実感的に知り、喜びを感じる(=体験として知る)のです。
要約すれば、神の宇宙創造は、無形の神すなわち「存在のすべて」である神が、無数にある神性を表現して有形的な宇宙を創造し、まさに自分を鏡に映すようにして、自分自身を相対的に体験するために行なわれたのです。
*2020年4月8日追記*
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ニール:「純粋な存在の領域」は「神の王国」の三つの面のひとつと言われました。あとの二つは「霊的な領域」と「物質の領域」でしたね。
神:わたしの王国にはたくさんの邸があると言わなかったかな?
《神との対話4-P170》
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ニール:わたしたち人間には、あなたとの「一体化」から離れるとき、「純粋な存在の領域」に行くという選択肢はないんですか?
神:あるよ。あるとも。 あなたがたは「霊的な領域」でも、「物質の領域」でも、あるいは「純粋な存在の領域」でも、永遠の生命を経験することができる。
《神との対話4-P256》
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『神との対話4』では、「天の王国」つまり神の創造世界には、「霊的な領域」、「物質の領域」、「純粋な存在の領域」の三つの領域があるといっています。
「霊的な領域」とは霊的世界で、「物質の領域」とはこの物質世界です。
「純粋な存在の領域」(『べつの次元』とも呼んでいる)は、最も高度に進化した存在が、まったく異なるコミュニティを創り、まったく異なる生き方をしている領域だといっています。
§ 魂の創造 §
[2-(3)-2]《自分自身を分割した》
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自分自身を分割したわたしの聖なる目的は、たくさんの部分を創って自分を体験的に知ることだった。
そこで、わたしは自分の無数の部分に(霊の子供のすべてに)、全体としてのわたしがもっているのと同じ創造力を与えた。
《神との対話1-P43》
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宇宙は、物質的世界と霊的世界からなっています。(および「純粋な存在の領域」の三領域)
神は、自分自身(神性)を体験的、実感的に知るために、まず、自らの神性を細分化して魂を創造しました。魂(および人間)には、神の性質と能力(創造力)が付与されており、神の分身(分霊)といえるのです。
魂は、宇宙創造の時に、決められた数だけ創造されていると書かれています。
人間は、魂-精神-身体という3層からなっています。
神の分身である魂が、物質的世界の人間に宿ることにより、いろいろな体験をします。魂自身が体験的に知ることによって、神自身も自らの神性を体験的に知ることができるのです。
いいかえれば、魂の目的は、人間の精神-身体による活動すなわち人生において、神から分与された「概念としての知識」を実体験し、「体験としての知識」を体得することにあるのです。
§ 人間の創造と人間の構成要素 §
[2-(3)-3]《魂はあらゆるところにあり、あなたのまわりにもある。魂があなたを包んでいる》
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魂はあらゆるところにあり、あなたのまわりにもある。魂があなたを包んでいる。
「オーラ」のことを聞いたことがあるかな?あなたがたの言葉、あなたがたの理解で、その存在の大きさ、複雑さを思い描くうえでは、あれが最も魂に近いだろう。魂はあなたをたばねているものだ。
《神との対話3-P214》
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「リビングルームの空気」が終わって、「ダイニングルームの空気」が始まる場所などない、とあなたは言った。だが、「リビングルームの空気」の密度がだんだん下がる場所はある。だんだん「うすく」なり拡散するところだ。「ダイニングルームの空気」も同じだね。ダイニングルームから離れれば、それだけ、食べ物の匂いはうすくなる!
空気はべつべつの性格をもつから、異なる空気のように思える。だが異なりはしない。同じ空気がちがうように感じられるだけだ。
《神との対話3-P219》
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人間は、魂の乗り物として、創造されました。したがって、人間は、魂-精神-身体の3層からなっています。人間に魂が宿るというより、魂が人間を包んでいるのです。
魂は、神の分身として個別性をもちながらも、全てがつながっています。『神との対話』では、それを家の中の空気に例えて説明しています。
空気はすべてつながっているものですが、家の中では、各部屋ごとの独特の空気、例えば、台所なら食べ物の香りがする、リビングルームは特有の雰囲気があるというように、個と全体がつながっています。しかも、屋外の空気ともがつながっています。
魂もそれと似ていて、人間一人ひとりの魂の個別性はありますが、それらは決して別々に分離しているのではなく、全てがつながっているというのです。
神の分身である魂が物質的世界の人間を包みこむ形で、人生の中でいろいろな体験をして行きます。それと同時に、神は自らを体験的に知っていくのです。
人間を含めた被造物(宇宙)は、様々な創造行為を行うことによって、神自身の進化、発展、成長に寄与しています。すなわち、神と被造物は、共同で、創造の御業を行なっているといえるのです。
さらに『神との対話』では、神と魂の関係を、大洋(大海)と波を例えにして、説明しています。
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大洋がなければ、波は波として存在する力をもたない。
小さくても大きくても波は波だ。
波のひとつひとつは違っていても、どの波も、大洋そのものと分離してはいない。
波は浜辺に打ち寄せるが、存在しなくなるわけではない。かたちを変えて、また大洋に戻っていく。
波の存在は、大洋の存在の証だ。
あなたの存在は、神の存在の証だ。
《神へ帰るP130》(一部略)
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大洋と波はつながっています。その組成成分も同じです。波は大洋の一部なのです。
波にも、大きな波、小さな波など千差万別の波があり、大洋の性質の表れです。
そして波は浜辺に打ち寄せるが、存在しなくなるわけではありません。かたちを変えて、また大洋に戻っていくのです。
大洋と波の関係と同じように、魂は神の分霊で、神と魂はつながっています。
神のすべての神性は魂に付与されていて、魂によって神は表現されるのです。
すべての神性が付与された魂は、いろいろな人生を歩みながら、いろいろな物事を体験します。
魂は死を通して形を変え、物質的世界から霊的世界に(その逆も)移ります。死によって、消えて無くなることはないのです。
*〈いのうげんてん〉からのお願い:神・生命に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく存じます。→http://ncode.syosetu.com/n6322bf/




