(2)神の性格(ニールの視点)
記述ルール
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①原著の引用文は、┌---で囲み、引用ページは、《神との対話1- P22》(1~3巻-ページ)と表します。(続編『神との友情』、『新しき啓示』なども同じ)
②原著の対話形式は、神:、ニール: のように発言者名を文頭に記し、表します。
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〔2 神と宇宙 (2)神の性格(ニールの視点)〕
┏━あらすじ━━
『神との対話』には、著者ニールの人間的に見た「神の性格」が次のように書かれている。
1)ユーモアの神
2)映画を作り見る神
3)反対しても怒らない神
4)壮大な神
5)いたわり慰め鼓舞する神
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『神との対話』シリーズの著者ニールは、『神との対話』をする中で、今まで語られてきた神とは違った、友だちのような親しみのある神を実感し、みんなに「ぼくの神さまを見においで」と訴えています。
┌《神との友情上-P125》
いちばん高い屋根のてっぺんで、とうとう愛することのできる神を見つけたぞ、と怒鳴るでしょうね!みんな、ぼくの神さまを見においで、ぼくの神さまを知ってくれ、と言うでしょう!人生で出会うひとすべてと、あなたについて知ったことを分かち合うでしょう!あなたへの恐れから解放し、お互いへの恐れから解放してあげるでしょう!死の恐怖からも解放してやる!
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このように『神との対話』には、ニールの人間的に描いた「神の性格」が、随所に書かれています。
それらをまとめてみると、1)ユーモアの神 2)映画を作り見る神 3)反対しても怒らない神 4)壮大な神 となります。
それらを簡単に説明してみます。
[2-(2)-1] ユーモアの神
『神との対話』では、ユーモアを語る神が描かれています。
①《ユーモアを編み出したのは神だよ》
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神は笑えないと思っているのか?神にはおもしろいジョークがわからない?神にはユーモアがない?とんでもない、ユーモアを編み出したのは神だよ。
わたしと話すときは、ひそひそと話さなければならないか?俗語や荒っぽい言葉を使ってはいけないと思っているのか?親友と話すように、わたしと話してかまわないのに。
《神との対話1-P85》
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ニールが昔、「神はサラミ・サンドイッチである」という本を書こうと思った時に、それは神への冒涜だと感じ、書くのをやめたことがあります。
「愉快に神を描くのが神を冒涜することになるのか、そんなことはない」と神はいっているのです。
②《わたしにはすばらしいユーモアのセンスがある》
┌----------
ニール:驚きました!感動しましたよ!
神:神が感動させなくて、誰が感動させるのか。地獄の誰かかな?
ニール:あなたは、いつもそんな軽口をたたくのですか?
中略
神:わたしが軽口をたたいたってかまわない、そうではないか?
ニール:わかりません。神さまというのは、どっちかっていえばまじめな方だと思ってましたから。
神:頼むから、わたしを堅苦しい枠に閉じこめないでくれ。それに、あなたもそんな枠に閉じこもらないほうがいい。わたしにはすばらしいユーモアのセンスがある。あなたが人生でやってきたことを見ると、あなたにもなかなかユーモアのセンスがあるようだ。
《神との対話1-P120》
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「あなたがたは善であり、慈悲であり、同情であり、理解だ。あなたがたは平和であり、喜びであり、光だ。-中略-あなたがたはそういう者なのだ。そして、たまには、自分がそういう者だと気づくことがあった。これからは、いつも、自分はそういう者だと理解していなさい。《神との対話1-P118》」という神の言葉にニールは、「驚きました!感動しましたよ!」と叫びます。
神は前々から、「地獄というものはない」と再三ニールには説明しています。
それなのにここで、「地獄の誰かかな?」と神は冗談をいっています。
ニールがその冗談を聞いて、「神はそんな軽口を叩いていいんですか」といっているのです。
③《ユーモアは大好きだ》
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ニール:ほんとうに政治的意見をおもちなんですか?もしかしたら、共和党の党員証を持ってたりして?驚いちゃいますよ!神さまが共和党員だなんて。
神:民主党員のほうがいいと思うかい?おやおや(Good God)!
ニール:うまい!いえ、そうじゃなくて、ノンポリのほうがぴったりくるんですよ。
神:わたしはノンポリだよ。政治的意見など、もってはいない。
ニール:まるで、ビル・クリントンみたいだ。
神:そう、そうだよ!うまいことを言うじゃないか!ユーモアは大好きだ。
《神との対話2-P272》
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ニールは、社会通念である政教分離(政治と宗教を分離し、互いに干渉することを禁止すること)の観点から、「神は政治的なことはいわないものと思っていた」と指摘します。
それに続いて展開されるのが、上記の、神とニールのユーモア溢れる対話です。
神はどんな価値判断もしない、つまり人間の価値判断や選択に干渉はしません。したがって政治的な価値判断もしないのです。
そう神が語るとニールが、「まるで、ビル・クリントン(民主党の元大統領)みたいだ」と、冗談をいっているのです。
④《笑うことは魂のために良いんだよ》
┌----------
ニール:あなたは、心理学者になったらよかったんだな。
神:心理学を発明したのは、わたしだよ。
ニール:わかってます。冗談ですよ。
神:わかっている。「冗談です」というのは、ひとが......。
ニール:もう充分ですったら!
神:そのとおり。充分だね。いや、冗談だよ。
ニール:笑わせてくれるんだなあ。ご存じでしたか?
神:笑わせてくれる?あなたこそ、笑わせてくれるよ。
ニール:そこが好きなんだな。ユーモアのセンスのある神が。
神:笑うことは魂のために良いんだよ。
《神との友情上-P104》
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このくだりは、「エゴの肥大は自分が好きでないしるしだ」と、神とニールがエゴについて語り合うところに出てきます。
冗談が好きで笑うことの好きな神が、ここに描かれています
⑤《なにしろ神だからね》
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神:反応(reactive)と、創造(creative)、この二つの言葉をくらべてごらん。二つが同じ言葉であることがわかるだろう。Cが移動しているだけだ! Cが正しい場所にあるとき、あなたは反応するのではなくて、創造する。
ニール:なるほど、うまいことをおっしゃる。
神:なにしろ神だからね。
《神との対話2-P39》
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反応と創造の違いを、神はニールに説明しています。
反応(reactive)と創造(creative)の違いは、Cの位置が違うだけだというのです。
ニールの「うまいことをおっしゃる」に対して、神はユーモアたっぷりに、「なにしろ神だからね」といっているのです。
このようなユーモア溢れる神に出会ったニールが、「みんな、ぼくの神さまを見においで」と叫びたくなる気持ちは大いに共感できるものなのです。
[2-(2)-2] 映画を作り見る神《神が映画をつくるんだよ》
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ニール:おいおい!ここで話したとおりの映画にロビン・ウィリアムズが出演しているじゃないか、と。『奇蹟の輝き』という映画ですが。
神:よく知っているよ。
ニール:ほんとですか?神さまは映画を見るんですか?
神:神が映画をつくるんだよ。「オー・ゴッド」という映画を見たことがないのかね?
ニール:そりゃ、ありますよ。でも。
神:それでは、神は本を書くだけだと思っていたのかな?
《神との対話3-P99》
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このくだりは、神とニールが地獄について語り合うところに出てくるものです
ニールは、「前に神は地獄はないといいましたよ」と語ります。
それに対して、「地獄を経験できないなんて言ったことはないよ。地獄は存在しないと言ったのだ」と神は答えているのです。
つまり神は、地獄は人間が自分で創り出し経験するものだといっているのです。
ここに出てくる、俳優ロビン・ウィリアムズ主演の『奇蹟の輝き』という映画は、地獄を映画によって表現している作品なのです。
ニールはこの会話をしながら、「おいおい!ここで話したとおりの映画にロビン・ウィリアムズが出演しているじゃないか」と驚くのです。
神は、「よく知っているよ」と、相づちを打ちます。そして神は映画を見るだけでなく、作るといっているのです。
神が映画を作るといっても、 神と一体である人間を通して映画を作るということです。
映画を作り、見る神という親しみのある神の性格が、ここに表現されているのです。
[2-(2)-3] 反対しても怒らない神《わたしに反対したいのならかまわないから反対しなさい》
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神:ここで話していることには、賛成しにくいと思うのかな?
ニール:そうですねえ……。
神:それならそれで、いいんだよ。
ニール:えっ、いいんですか?神さまに反対しても、いいんですか?
神:あたりまえだ。わたしが何をすると思ったのかね?ハエみたいに叩きつぶすとでも?
ニール:まさか、そこまでは考えていませんでしたが。
神:いいかな。すべてが始まったときから、世界はずっとわたしに反対してきた。世界の誕生以来、わたしの言うとおりに従った者はほとんどいないよ。
ニール:そう、そうなんでしょうね、きっと。
神:いま、わたしに反対したいのなら、かまわないから反対しなさい。
《神との対話2-P274》(一部略)
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上記の文は、神とニールが、経済の話しをしているところに出てくるものです。
ニールが、「あれとこれとは、どうもちがう感じがしてならないんです」と、神の発言に異論を唱えます。
「ここで話していることには、賛成しにくいと思うのかな?」と、その異論に対して神は聞いているのです。
「それならそれで、いいんだよ」
神はそう答えているのです。
驚いてニールは、叫びます。
「えっ、いいんですか?神さまに反対しても、いいんですか?」
「反対してもいい」と言う神の言葉が、ニールには信じられなかったのです。
これまで宗教で語られてきた神は、こうしなさいと要求し命令する、そしてそうしない時は怒り裁き、糾弾し、罰し、地獄にも堕とすという恐い神だったのです。
一方、『神との対話』で語られる神は、愛であり許しであり、いつもそばにいて見守る神であり、こうせよと要求しない神であり、反対しても怒ったりしない神なのです。
神の宇宙創造の基本原則に、「自由」があります。
人間は、自由によってのみ成長が達成されるのです。
したがって神の考えに反するからといって、怒ったり罰したりする神ではないというのです。
[2-(2)-4] 壮大な神《この感覚があまりにも壮大だから》
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最初は魂の外側が覆われたと感じたが、今度は魂の内側が満たされたと感じる。この感覚もやはり、言葉では適切に定義することも正確に表現することもできない―ひとつには、この感覚があまりにも壮大だからだ。一千もの感覚が寄せ集められたとでも言うべき巨大なひとつの感覚が、ゆっくりと魂を満たす。
《神へ帰るP359》
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上記の文は、『神へ帰るP359』の「聖なる審問」のところに出てくる文章です。
人間が死ぬ時、魂は神と一体となり、神の審問を受けるのです。その時に起きる現象を記したのが、冒頭の文章なのです。
魂を満たすその感覚を、「全く不十分だが、なんとか言葉にしよう」とすれば、次のようだといっています。
┌《神へ帰るP359》
温かく包まれ、深く慰められ、大切に慈しまれ、心底から評価され、真に貴ばれ、優しくはぐくまれ、底まで理解され、完全に赦され、まるごと抱きとられ、長く待ち望まれ、明るく歓迎され、全面的に称えられ、喜びのうちに寿がれ、絶対的に守られ、瞬時に完成され、無条件に愛されている-これらがひとつになったものと言おうか。
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[2-(2)-5] 《いたわり慰め鼓舞する神》
『神との対話』の中には、著者のニールをやさしくいたわり、慰め、鼓舞する、わが子を愛する親なる神の性格が描かれています。
ニールが、神の言葉を表現することにくじけそうになると、神は頑張れと励ましているのです。そして自分を卑下するニールに対して、自分を大切にしなさいと諭しているのです。
『神との対話』に描かれたそれらの文面を抜粋してみます。
①《自分を批判するのはよしなさい》
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ニール:いちばん不安なのはたぶん、いままで犯してきた数限りない過ちや失敗を考えれば、わたしはやっぱり神の「スポークスマン」として不適切ではないか、ということだろう。
だから、神よ、どうかあなたの言葉の筆記者としての役目を免除していただきたいのです。誰かべつの人間を、名誉ある役割にふさわしい人間を、見つけてください。
神:あなたは、自分に優しくなることを学ばなければいけないね。自分を批判するのは、よしなさい。
あなたが世間にどう思われようと、わたしのメッセージのすばらしさ、美しさに影響するはずがない。
それに、「完璧にはほど遠い人生」を送ってきたからこそ、あなたは最高の大使のひとりなのだよ。
ひとはあなたと語ることができるし、批判することさえできる。そして、あなたが心からまじめなのを知れば、あなたの「汚れた過去」を許しもするだろう。
《神との対話3-P15》(一部略)
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ニールが、自分の過去は過ちだらけで、神の言葉を著す者としてはあまりに不適切だから、誰かべつの人を見つけてくださいと、神に歎願しているのです。
神は、自分を批判するのはよしなさいと諭し、「完璧にはほど遠い人生」を送ってきたからこそ、あなたは最高の大使のひとりなのだよと、励ましているのです。
②《多くのひとたちはあなたがとても愛情深いと言う》
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ニール:わたしがしたくないと思うことはこうです。実際に生きてやって見せることができないようなメッセージを、ほかのひとたちと分かち合いたくない。絵に描いた餅、非実際的で役に立たず、達成不可能な進化の目標には、わたしは興味がないんです。
愛情深い人間でありたいと思っています。愛情深い人間であろうと努力しています。それでもとても頻繁に、あまり愛情深いとは言えないことを言ったりしたりしてしまうし、要するに平凡であまり愛情深い人間ではないことが多いんです。それから、わたしは地球を愛していないというか、自分自身を愛していないし、何より悲しいのは、他者に対してあまり愛情深い行為をしていないことです。
神:あなたは自分にとても厳しいね。あなたを知る多くのひとたちは、あなたがとても愛情深いと言うだろう。それに、この対話に引き寄せられてきたひとたちや、あるいは自分が「たまたま」この対話をフォローしていることに気づいたひとたちもね。
《神との対話4-P232》
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ニールが、「愛情深くない自分が愛情について語るのは、不適切で嫌だ」と神に向かってだだをこねています。
神は、「あなたは愛情深いよ。あなたを知る多くのひとたちは、みんなそう言ってるよ」と慰めているのです。
③《しばらくは休みなさい》
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神:あなたには少し休養が必要だ。読者も休養が必要だ。吸収すべきことがたくさんある。努力すべきことがたくさんある。考えるべきことがたくさんある。しばらくは休みなさい。これについて考えなさい。思いをめぐらしなさい。
見捨てられたと思わないように。わたしはつねにあなたとともにいる。質問があったら毎日の暮らしのなかで質問があったらいまでさえ、あなたにはほかにも質問したいことがあり、これからもずっとそうにちがいないから答えてくれと、わたしを呼べばいい。
《神との対話1-P285》
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神との対話シリーズの最初の本・ブック1の最終章で、神との対話を終了する段になり、「もっと尋ねたいことがあります」とニールは神に対話の継続を哀願します。
神は「たくさんのことを学んだから少し休んだ方がいい」とニールに休養を薦めています。
そしてその1ヶ月後に、神との対話は再開され、ブック2が書かれたのです( 《神との対話2-P21》参照)。
④《ニール:わたしの想像力の暴走》
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ニール:あなたがおっしゃることが真実だと、どうしてわかりますか?あなたが神だということが、わたしの想像力の暴走でないということですら、どうすればわかるんですか?
神:あなたは前にもそれをたずねた。わたしの答えは同じだ。どちらであろうと、違いがあるのか?わたしが言ったことすべてが、「間違って」いたとしても、もっと良い生き方を考えられるのか?
ニール:いいえ。
神:それでは、「間違い」が正しいのであり、「正しい」ほうが間違いじゃないか!
《神との対話1-P149》
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ニールは、神と本当に対話をしたのだろうか、単なる自分の想像の産物ではないだろうかと時々疑い、神に尋ねています。神が自分のような者に語りかけるだろうかと、疑問に思っていたからです。
神はそれに対して怒ったり呆れたりせずに、「あなたとわたしは一体だから、神の言葉とあなたの想像の産物との違いは無いではないか」と答えているのです。
⑤《どうしてそう自分を卑下する?》
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神:たしかに、あなたもひと並みに過ちと呼ぶことをしてきたが。
ニール:ひと並み以上です……。
神:わたしとともに、この対話をもたらすという偉大な勇気も示した。
ニール:あるいは、とんでもない愚かさを。
神:どうして、そう自分を卑下する?あなたがたは、みんなそうだ!誰もかれもがそうだ!自分自身の偉大さを否定し、自分のなかで経験できる「わたし」を否定する。
《神との対話3-P228》
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ニールの「人並み以上に過ちを犯してきた自分だ」と自分を卑下する言動に対して、神は「自分を卑下してはいけない。この対話を世に発表するという偉大な勇気をあなたは示したではないか」と、ニールを讃え、励ましているのです。
ニールが人間的に表した「神の性格」は、ざっくりいうと上記のようなものであるといえるでしょう。
これらの「神の性格」は、これまで宗教で語られてきた神とは大きく違っています。
これまで語られてきた神は、愛の神といいながら、怒りっぽく嫉妬深い神、こうしなさいと要求し命令する神、そしてそうしない時は裁き、糾弾し、罰し、地獄にも堕とす恐い神でした。
『神との対話』で語られる神は、愛であり許しであり、いつもそばにいて見守る神であり、こうせよと要求しない神であり、反対しても怒らない神であり、ユーモアをいって笑い、いたわり慰め鼓舞する神なのです。
こういう神に出会ったニールが、「みんな、ぼくの神さまを見においで」と叫びたくなる気持ちは大いに共感できるものなのです。
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