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『神との対話』との対話  作者: いのうげんてん
2章 『神との対話』-私なりの説明
37/246

  (1)神と神性

記述ルール

────────────

①原著の引用文は、┌---で囲み、引用ページは、《神との対話1- P22》(1~3巻-ページ)と表します。(続編『神との友情』、『新しき啓示』も同じ)

②原著の対話形式は、神:、ニール: のように発言者名を文頭に記し、表します。

────────────


〔2 神と宇宙(1)神と神性 〕


┏━あらすじ━━

 神は全ての存在の根源であり、被造物をも内包した存在全てである。


 神の性質すなわち神性は、それが展開された宇宙を見れば分かるように、無数にある。


 時間・空間の中に生きる人間は、時空をも創造した存在である神を表現できる言葉を持っていないため、神自体を説明することに自ずから限界がある。


 神は人間に、多くの教師を通して、詩や歌、自然を通して、絶えず語りかけている。それを聞くかどうかは、人間の感性にかかっている。

┗━━━━━━━



[2-(1)-1]《わたしは神である。わたしは至高の存在である。存在するすべてである。はじまりであり終わりである》


┌----------

 わたしは神である。わたしは至高の存在である。存在するすべてである。はじまりであり終わりである。アルファでありオメガである。わたしは太陽であり物質である。問いであり答えである。上昇であり下降である。左であり右、現在であり、過去、未来である。


 《神との対話3-P27》

 ------

 あらゆるものを包みこむ無、それをある人びとは神と呼ぶ。だが、これも正確とはいえない。そうすると、無ではないあらゆるもの、それは神ではないことになってしまう。わたしは-見えるものも見えないものも含めてー「存在のすべて」だ。したがって、東洋の神話で定義される神、つまり偉大なる「見えざるもの」とか、無、空といった説明もまた、神とは見えるすべてであるという西洋の現実的な説明と同じく、不正確なことになる。神とは「存在のすべて」であって、同時に「すべてでない」ものでもある、そう信じる者は正確に理解している。


 《神との対話1-P41》

 ------

 わたしはすべての造り主だ。わたしは創造者であり被造物だ。


 わたしでないものは何もない。


 わたしはすべてだ。


 《新しき啓示P149》(一部略)

└----------


 『神との対話』では、神とは「存在のすべて」と表現されています。


「存在のすべて」とは、旧約聖書(出エジプト記第3章)に「有りて有る者」と書かれているように、全ての存在の根源であり、かつ被造物をも包含した存在全てを意味しています。


 神の宇宙創造は、絶えず進化発展変化するという神の性質の表れということができます。


 「存在のすべて」である神は、神性を展開して宇宙を創造することによって、自ら成長進化しているのです。


 人間を含めた全ての被造物は、神とともに創造行為を行ない、神の進化発展に寄与しているのです。



[2-(1)-2]《わたしには、あなたがたが理解できるかたちも姿もない》


┌----------

 わたしには、あなたがたが理解できるかたちも姿もない。わたしは、どんなかたちや姿になることもできるが、(中略)わたしは偉大なる『見えざるもの』であって、ある瞬間のかたちや姿ではない。


 《神との対話1- P23》

└----------


 著者ニールは、「なぜ神は誰も疑えない形で姿を現さないか」と、神に問います。神はそれに答えます。


 その対話が、次のように書かれています。


┌----------

ニール:どうしてあなたは姿を現さないのですか。あなたがほんとうに神なら、どうしてわたしたちみんなが理解できる方法で現れてくださらないのですか。


神:わたしは何度も、何度も現れている。いまもこうして現れている。


ニール:いや、そうじゃないんです。わたしが言いたいのは、疑いの余地のない現れ方、否定しようのない現れ方のことです。


-略-


神:それは不可能だ。わたしには、あなたがたが理解できるかたちも姿もない。わたしは、どんなかたちや姿になることもできるが、そうすれば誰もが、自分の見たかたちや姿が多くのなかのひとつにすぎないとは思わず、それこそが神の唯一の姿だと思いこむだろう。


人は「見えないもの」ではなく、見たものをわたしだと信じる。しかし、わたしは偉大なる「見えざるもの」であって、ある瞬間のかたちや姿ではない。


 《神との対話1- P22》

└----------


 これは私たちがよく疑問に思うところで、それをニールも聞いています。


 神が雷鳴のとどろくような大声で、「私が神だ」と万人が分かるように姿を現してくれれば、だれでも納得するだろうと私自身も思います。


 しかし神が一定の形あるものならば、「存在の一部」すなわち有限であることになり、「存在のすべて」ではなくなります。


 「存在のすべて」である神は、存在の一部(どんなかたちや姿)になることはできますが、それをもって神の姿とはいえません。


 私たちが、形あるもの、五感に感ずるものを「存在する」と考えるのは、見方を変えれば、私たちが有限の被造物であることの証左ともいえるのです。



[2-(1)-3]《あなたがたの限られた語彙では説明しきれない》


┌----------

 大きな制約がある言葉を使って、できるだけ近い概念、近い考えを伝えようとしているのだが、あなたがたの限られた語彙では説明しきれないし、あなたがたの現在の概念のレベルでは理解できないことなのだ。


 わたしは、あなたがたの言葉を新しい方法で使って、新しい概念に導こうとしている。


 《神との対話3-P400》

└----------


 創造主なる神を、被造物である人間の言葉で説明することは、自ずから限界があります。


 例えば、『神との対話』の中には、「過去、現在、未来、同時に生きている」《神との対話2-P102》とか、「永遠のいま」《神との対話2-P298》という表現が頻繁に出てきますが、私たちにはきわめて難解な概念です。


 時間・空間の中に生きる人間は、時間・空間をも創造した、すなわち時間・空間を超えた存在を形容し表現する言葉そのものを、持ち合わせていないので、神を説明することは自ずから限界があるのです。



[2-(1)-4]《「わたし」には非常に複雑で、非常にたくさんの層、感覚、面がある》


┌----------

 「わたし」には非常に複雑で、非常にたくさんの層、感覚、面がある。わたしには100万もの側面が、10億もの、1兆もの側面がある。わかるだろうか?冒涜的な面と深い面、小さな面と大きな面、うつろな面と神聖な面、おぞましい面と神々しい面とがある。わかるだろうか?


 《神との対話1-P236》

└----------


 神の持つ属性(側面)を神性といっています。


 新約聖書(ローマ人への手紙1章20節)には、「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められる」とあります。


 神性は無数にあリます。神の宇宙創造で、神性を展開したのが宇宙ですから、神性に、無数の層、感覚、側面があることは理解されます。


 陽-陰、大―小、長―短、熱―冷、ここ―あそこ、うつろな面と神聖の面、おぞましい面と神々しい面など、ありとあらゆる性質を、神は内包しているのです。



[2-(1)-5]《わたしのメッセージは何百ものかたちで、何千もの機会に、何百万年にもわたって送られる》


┌----------

 わたしは何千年ものあいだ、世界のすみずみにまで、くり返して同じメッセージを送りつづけてきた。


 わたしのメッセージは何百ものかたちで、何千もの機会に、何百万年にもわたって送られる。本気で耳を傾ければ、必ず聞こえるはずだ。本気で聞けば、無視することはできない。


 《神との対話1-P18》

 ------

 わたしはずっと長いこと、作家、詩人、劇作家を通じて語ってきた。

ひとはそれぞれ、いちばんわかりやすく、いちばん慣れ親しんだ道を通って真実に到達する。


 《神との対話3-P339》

 ------ 

 壮麗な星空のもとを歩いていても空を見上げないとき、花壇のそばを通っても立ち止まって花の美しさを愛でないとき、そのたびにわたしを否定している。


 《神との友情下P80》

└----------


 遠い昔から、神は人間に、絶えず語りかけていると書かれています。


 多くの人間を通して、詩や歌、自然を通して、神は語りかけているのです。それを聞く(感ずる)かどうかは、受ける側にある人間の感性にかかっているのです。


 私がこの文章を書いている最中に、新聞に、ある本(病気をもって生まれた幼児が語ったことば)の広告が出ていました。「多くの人間を通して、神は語りかけている」と書いていた時だけに、強く心を打たれました。その表題には、このように書いてありました。


「 心は、神さまのかけらで、体は、地球のかけらだよ。 おなかに入るときは、雲に乗ってきた。ぼくがおなかに入ったら、雲は上にあがっていって、お空の雲の中に、もぐっていった。 いのちはぜんぶ、つながっている。 1人のいのち、というのがあるのじゃなくて、1人ずつのいのちは、ぜんぶつながっている。 ぼくは、病気を選んで、生まれてきた。 希望をもって生まれてきた。 心を感じることで、勇気が出る。 それがつまり、希望のことなんだ。 」


 この文章は詩的に書かれていますが、『神との対話』の中では、これらすべてを理路整然と明快に説明してあります。



[2-(1)-6]《これが神との対話であることがわかるはずだ》


┌----------

 あなたが自分で考えたのでは、こんなに明快に語れなかったと考えれば、これが神との対話であることがわかるはずだ。さまざまな疑問について、自分でこんなふうに語ることができたなら、いまさら問いかける必要はなかっただろう。


 《神との対話1-P18》

└----------


 興味深いことに、ニールが著作の随所で、この対話が神との対話ではなく、自分の想像の産物に過ぎないのではないかと、疑問をぶつけています。『神との対話』を自分でも信じられなかったのです。


 ニールが新興宗教にありがちな狂信的な人物ではなく、私たちと変わりのない一人の人間であることが知れて、私は好感を持ってそれを読んだのです。


 『神との対話』を世界に発信したニールの不安は、想像を絶するものだったでしょう。しかし彼は勇気を出して、それを発信したのです。



[2-(1)-7]《「明日の神」は神を信じることを誰にも要求しない》


┌----------

 「明日の神」は何ものからも離れてはおらず、あらゆるところに存在し、 すべてのなかのすべて、アルファでありオメガ、はじまりであり終わり、かつてあり、いまあり、これからあるものすべての総和である。


 《明日の神P429》

└----------


 『神との対話』シリーズに、『明日の神』( 2006年2月20日サンマーク出版)があります。


 その『明日の神』の末尾には、著者ニールが書いた「明日の神」についてのまとめが載っています。


 著書『明日の神』で定義している「明日の神」とは、過去に宗教などで語られてきた神(「昨日の神」と呼んでいます)に対比して、名付けられた呼称です。


 「明日の神」は、「昨日の神」と異なるものではなく、その表現の新しいバージョンだというのです。


 ニールがまとめた「明日の神」の概要を列記します。


┌----------


①「明日の神」は、神を信じることを誰にも要求しない。


② 「明日の神」には、ジェンダーも大きさもかたちも色も、個々の生きている存在がもっている資質はいっさいない。


③「明日の神」はつねに、すべてのひととともに語る。


④「明日の神」は何ものからも離れてはおらず、あらゆるところに存在し、 すべてのなかのすべて、アルファでありオメガ、はじまりであり終わり、かつてあり、いまあり、これからあるものすべての総和である。


⑤「明日の神」とは、単一の超弩級の存在ではなく、「生命」 というとてつもないプロセスである。


⑥「明日の神」は、つねに変化している 。


⑦「明日の神」には、 何も必要がない 。


⑧「明日の神」は、あなたがたに任えることを求めない。「明日の神」はすべての生命のしもべである。


⑨「明日の神」は無条件に愛する。裁かず、糾弾せず、罰しない。


《明日の神P429》


└----------



*〈いのうげんてん〉からのお願い:神・生命に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく存じます。→http://ncode.syosetu.com/n6322bf/


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