7-1 《産む人間と育てる人間》
しょう子:学校の先生で思い出したけど、前に教育のことは、いつか話すといったよね?
A:そうだね。結婚のところだったね。『神との対話』では離婚もありうるといっているといったら、あなたが、「離婚は子供にとって良くないといわれている」といったんだよね。
しょう子:そう。
A:『神との対話』には離婚の子供への影響ということでは書いてないけど、教育の一般論については書いてあるんだ。
その教育論には3つのキーワードがある。①産む人間と育てる人間が同じでなくてもいい②知識でなく智恵を教える③霊性を教え育てる の3つだよ。
しょう子:産む人間と育てる人間?
A:そう。今の社会では、この2人は同じ人間でなければならないとなっているよね。
しょう子:当然のことだと思うけど……。
A:ところが『神との対話』では、それはもともと無理なことだといっているんだ。
しょう子:もともと無理なこと!?
A:そう。「産む」という行為は、生理学的に考えて、青年期の人間が適している。10代半ばを過ぎれば、「産む」ことは出来るよね。
一方、「育てる」という行為は、育てる者がなるべく人間的に成熟している方が良いんだ。
それを原著には、こう書いてある。
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子供をつくるのは、よく発達した強い身体をもつ若者の活動だ。
子供を育てるのは、よく発達した強い精神をもつ年長者の活動だ。
《神との対話3-P48》
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しょう子: 若者と年長者で育てるということ?
A:そう。 今の社会では、まだ子供のような未熟な親が、子供を育てているというんだ。
それでは良い教育はできないとね。
しょう子:年長者って、いくつくらいのこと?
A:40才、50才はまだ子供だといっているよ。
しょう子:わあ!それじゃあ、わたし、おばあさんになっちゃう。
A:(笑)
そこで、産む人間と育てる人間が同じでなければならないことはない、ということになるんだよ。
しょう子:産み放しでいいの……。
A:そうじゃない。1人で育児の負担を全て負わなければならないことはない、ということだよ。
子育ての責任を産んだ親だけで背負うのではなく、親と年長者によって作られた「コミュニティ」全体で背負うのが良い、というのだよ。
要するに、子育ての責任は社会がもつということだよ。
しょう子:コミュニティって?
A:ここでいっているコミュニティとは、顔の見える集団といっていいかな。
日本の社会でいえば、核家族化する前の田舎の集落が、このコミュニティに似ているといっていいと思うよ。
〈つづく〉
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