表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『神との対話』との対話  作者: いのうげんてん
1章 入門編 よくわかる『神との対話』
29/246

6-4 《神は礼拝してもらう必要などない》

しょう子:宗教は力を失っている……。


A:教会組織を維持することにきゅうきゅうとして、今の世界を導く力を失っている。


 多くの活動が儀式的になってしまって、霊性を向上させるものではなくなつてしまっているんだ。


 『神との対話』では、儀式的な礼拝など、神は全く望んでいないといっているんだよ。


しょう子:礼拝はいらないの……。週2回、教会の礼拝に私は参加してるわ。


A:儀式的な礼拝は、神は全く望んでいないといっている。


 宗教が組織化されていくうちに、教理、組織内の規約、慣習が交じりあって、教会では十字架の前にひざまずき、礼拝するという儀式が生まれていったんだ。


しょう子:じゃあ、お祈りはどこでするの?


A:どこでもできるんじゃないかな。家にいても、仕事をしていてもね。


 新約聖書にもあるよ。


 マタイによる福音書(第6章6節)には、「あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい」と書いてある。


しょう子:教会では、「主の祈り」をみんなで唱和するわ。


A:祈りは、かたちではないんだ。心の内なる魂と、神との交わりなんだよ。


 魂と神は一体だから、心の内なる世界では、人間はすでに神と通じている。


 ただ多くの人たちは、それに気付いていないだけなんだ。


 それを目覚めさせるのが、宗教の一番の使命だといってもいいんだね。



*〈いのうげんてん〉からのお願い:神・生命に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく思います。→http://ncode.syosetu.com/n6322bf/


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ