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断章・一

 夜は深けり、鈴虫が鳴き始める。吉村は真白ヶ丘森林公園の奥へと歩を進めた。

 アスレチック広場と呼ばれる、その名の通り様々なアスレチック遊具が軒を連ねる広場に入る。日中の景観が嘘のように広場は灰色に染まっている。人の気配というものが死んでいた。

 スウェットのポケットから携帯電話を取り出し、『堀中佳代』の名で登録された番号を呼び出す。

 吉村は夕方のことを思い返す。廃墟ビルを訪れた彼女は、堀中佳代を『堀ちゃん』と呼んでいた。彼女にとっての『堀ちゃん』は友達以上の存在だった。『堀ちゃん』を語る彼女の目には憧憬が表れていた。親友というよりは、家族に向けるような手放しの連帯意識。それだけに干渉性が欠如していたように思える。

 吉村は息を吐いて携帯を操作し、堀中佳代の番号に発信する。堀中佳代はすぐに電話に出た。

「なんか用?」

 投げやりな第一声だった。この場所で落ち合うよう仕向けたのは君だろう、と言いたくなる。彼女の言う通り、堀中佳代は自由な女の子らしい。

「なんか用じゃないよ堀中さん。僕、もうアスレチック広場に来てるんだけど」

「あー、早いね」

 そこでいきなり電話が切られる。呆れながらも辺りを見回すと、こちらに向けて手を振る者があった。堀中佳代だ。彼女はケヤキ造りのお城からひょこりと頭を出し、怠そうに右手をひらひらさせる。

 近づいてみて分かる。堀中佳代は細い煙草をくわえていた。先端から立ち上る白煙が夜風に揺れ、闇に溶けていく。

 吉村はケヤキ城を上る。

 城の最上階、といっても所詮はアスレチックだが、そこは三方を木製の壁に取り囲まれたほどよい隠れ家となっていた。堀中佳代は隅っこを陣取り、体育座りで煙草をふかしている。学校指定らしきジャージを着崩した風貌は非行少女そのものという感じだった。吉村は彼女の隣に背中をあずける。

「煙草吸うんだね、堀中さんって。僕と同い年じゃなかったっけ?」

「いいじゃん別に。人生は紆余曲折なのよ」

 これが中学二年生の台詞なのか。年寄りじみていて滑稽だった。吉村は横目に煙草の細長い巻紙を観察する。

「ヴァージニアスリム?」

 堀中佳代は煙草を手に持ち直して、煙とともに小さく吹き出した。

「よくそんな旧名知ってたね。君っていつの時代の人間?」

 そして彼女はポケットから煙草の箱を取り出して吉村の膝に放った。『ヴァージニアエス』と英字で表記されている。どうでもいいな、と吉村は思った。

「なに、そのどうでもよさそうな顔」

「実際どうでもいいから」

 煙草の箱を返した。受け取りながら、彼女は「君も吸ってみる?」と尋ねる。吉村は首を横に振った。

 堀中は丸太の床に煙草を押しつける。床は黒ずみながら火種を消化する。火事にならないかと心配してしまう。

「さっきぃには会えた?」

 彼女は吸い殻を丸太の間に押し込みながら言った。甘い証拠隠滅だな、と思いながら吉村は答える。

「会えたよ。堀中さんの予想通り、お化けビルの屋上で待っていたらね」

「嫌な予想が的中しちゃったね」

 堀中佳代は乾いた笑い声を立てる。口もとだけを軽くゆるめたアーケイックな表情。反して吉村の浮かべる笑顔はさっぱりしている。

「咲子さん、最初は警戒しまくってたんだけどね。でも徐々に落ち着いていって、いや、冷めていったという感じかな。彼女、基本的に他人に無関心みたいだね」

「吉村くんに魅力がないだけじゃない?」

 思わぬ返しにやられ、吉村は苦笑いで頬を掻く。

「そうかもしれないね」

「そうよ。面白くもないのに笑うやつって信用ならないね。僕実は腹黒いんですよって言ってるようなものじゃない。絶対性格悪いでしょ、吉村くんって」

「堀中さんほどじゃないけどね」

 彼女はむっとして、肘で吉村の腹を小突いた。突かれた箇所をさすりながら、吉村は努めて穏やかな笑みを保つ。彼女の言うように、胸のうちから黒いものが溢れ出てしまいそうだった。

 堀中佳代は二本目の煙草を口にした。火を点け終わるのを待って、声をかける。

「僕の勘、当たりそうかな」

 彼女はすうっと煙を吸い込み、吐いた。

「君の勘じゃなくて、あたしの勘じゃないかな」

「どっちでもいいよ」

 彼女の瞼は閉じられている。周囲の木々がざわめき、ケヤキの城にも風が入り込んでくる。煙と一緒に、彼女の長いまつげも揺れた。

「なるようになるんじゃないの。そのうち」

「根拠は?」

 堀中佳代は顔をしかめる。

「根拠なんてあってたまるか。ただなんとなくよ」

 一度言葉を切り、彼女は両足を抱いた。膝の上にあごを置き、また煙を吐く。

「なんとなくなんだけど、あたしの勘って結構当たっちゃうんだよね。こういうことばっかり」

 ぷっ、という音を立て、煙草を前方に吹いて飛ばす。煙草はちょうど丸太の間に挟まり、白いもやを上へと真っ直ぐに伸ばした。吉村は黙ってそれを見つめた。もし丸太に火が移るようなら消してやるところだったが、やがて、酸素欠乏を起こした煙草の先端は音もなく鎮火した。

「言わせてもらうけど、勘や予兆で終わらせるほど僕は消極的じゃないからね」

 彼女はもともと鋭い目つきをさらに尖らせ、吉村を睨め付けた。

「君って、マジで性格悪いんだね」

 吉村は肩をすくめる。

「そんな風に思うくらいなら、堀中さんが止めてみたらいいじゃないか」

「出来ることならとっくにやってるよ。あの子って病気なの。不治の病。それでも、さっきぃだってよちよち歩きの三歳児じゃあるまいし、もう子供じゃないんだ。もう十四歳。うちらが何やったって最終的な意志決定くらい自分でするのよ」

「僕に言わせれば、堀中さんも出来た人間だとは到底思えないね」

 ゆっくりと吐き捨て、吉村は立ち上がる。終始表情を崩さず、ヒノキ城を降りていく。彼女はそっぽを向く。膝立ちになって木の塀に両肘をかけた。

 吉村はケヤキ城から離れていく。ふいに足を止め、堀中佳代を振り返った。

「堀中さん」

 彼女は答えず、むすっとした目で彼を見下ろしていた。

「煙草、止めた方がいいよ。その口の悪さもね。せっかく可愛い顔してるんだから」

 堀中佳代は、今日一番の嫌悪感を浮かべる。無言で中指を立て、城の中へと引っ込んだ。

 そこでようやく、吉村は笑みを解く。おそろしく無感情な瞳を前方に向け、足早にアスレチック広場を後にした。

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