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二話

 噂の正確さを競った結果、敗れたのは清美だった。

 吉門町の四丁目は住宅開発が進んでおり、今現在も古い建造物は取り壊しのさなかにある。廃墟と呼べそうなビルは見当たらなかった。

「きっとなくなっちゃったんですよ、お化けビル」

 清美は言い訳したが、念のため六丁目の方に行ってみると、それらしき廃墟を発見した。川沿いの道をはずれ、田圃道を歩くと、小高い山の陰に隠れるようにして寂れたフェンスの門がそびえていた。門には立ち入り禁止の注意書きがある。

 無視して入っていくと、まず一番に巨大な機械鉄塔が出迎えた。よく分からない素材の廃材があたり一帯に打ち捨てられている。セメント工場か何かだったのだろうか。広い更地にぽつんと佇立する看板にはヘルメットを被った作業服のキャラクターが描かれていたが、錆が酷いために顔がよく分からない。その看板だけでなく、この敷地のありとあらゆる物が錆びきっているようだった。

 奥へ進んでいくと、事務所として使われていたのか、コンクリートを剥き出しにした八階建てのビルディングがあった。

 幸司くんが「きっとあれだ!」と、真っ先にビルへと駆けて行った。その不気味な佇まいから、自分としてはこれ以上近寄りたいと思えなかったのだが、男の子は冒険好きな生き物なのだ。

 一方の清美は、四丁目の時点では悔しそうな表情を浮かべるばかりだったが、この廃墟に訪れた途端顔色を変え、興奮気味にあちこちを見回してデジカメのシャッターを切っていた。

「おーい」

 幸司くんがビルの入り口付近で手を振る。早くこっちに来い、と自分たちを呼んだ。

 彼は地面のある一点を指していた。近づいて見ると、ひび割れたアスファルトに噂通りのリングが描かれていた。自分は血のように濃い赤を想像していたのだが、赤というよりは朱色に近い色をしている。といっても、雨風に薄れた印象はない。もともとそういった色のスプレーで描かれたものらしい。

「どうだ清美、ここが本物のお化けビルだっただろ」

 幸司くんは偉そうに言うが、清美は彼の声が耳に入らないように感嘆の息を吐いて朱色のリングを撮影した。

 ビルの内部に入る。もろくなったコンクリートが剥がれ落ち、所々で鉄骨が露出している。まるで巨大竜の骨の中にでもいるような気分だった。壁面にはバブルの香りを残したポスターが貼ってある。ビートルズだった。指先でなぞると、ビートルズのポスターは枯れ葉のような音を立てて崩れた。

 幸司くんを先頭に屋上を目指す。あたしの後ろで、清美がデジカメをいじり続ける。

「こんな壮大な廃墟がこの町にあったなんて。どうして今まで来なかったんだろう。ブログのネタになりますよこれ。私、週一でここに通ってもいいくらいです。あぁ、なんとすばらしい」

 とりとめもなく独り言を呟く清美は怖かった。

「やめなよ清美。こういうところって大抵、悪い人たちのたまり場になってるものだから」

 自分は、階段や通路の至るところにある下手くそな落書きを流し見た。清美は急に元気をなくし、細々と「それは、物騒ですね」と口ずさむ。柔道をやっているとは言え、自分たちは一女子中学生でしかない。あたしは幸司くんに向けて言う。

「もし悪いやつらが現れたら、あんたが戦ってよ。男だし、柔道も強いんだから」

 幸司くんは肩をすくめた。

「柔道なんてただのスポーツだ」


 屋上に到達する。

 廃墟一帯を見下ろし、山越しの真白ヶ丘市を一望すると、思いのほか気分がよかった。遅れて階段室から出てきた清美が、気持ちよさそうに深呼吸をする。それを真似して自分と幸司くんも大きく息を吸ってみたが、突如として砂塵が巻き上がり、三人同時にむせてしまった。

 お目当ての模様を探す。目を凝らして探すまでもなく、それは屋上の縁で見つかった。堂々と存在感を主張するように、朱色のリングとラインが描かれている。その太い朱線に手をつき、おっかなびっくり地上を見下ろすと、ちょうど真下にさきほど見つけた円を確認できた。

「なんか、あっけないな」

 幸司くんは少し退屈そうに、朱線から手を離した。

「そうですね、お化けにも出会えなかったし。お昼だからかな」

 そんなもの、自分は端っから出会うつもりはなかった。目的は初めからここにしかない。ラインとリングのざらりとした手触りを確かめ、今一度、遥か下方に視線を落とす。

 確かにここで、人が死んだのだ。

 凄惨な死体や切迫した死の瞬間を目にするのとは、また違った味わいがある。歴史博物館にでも訪れたような情緒あるロマンを感じることができた。

 死は風化する。ふいにそんなことを思った。多くの死は数十年と時を置かず、人々の記憶から抹消される。たとえ誰かが覚えていたとしても、今この瞬間を生きる者が百年先まで生存している確率は限りなく少ない。一部の著名人の死は歴史に刻まれるかもしれないけれど、歴史はただの記録でしかない。記憶と記録の間には越えがたい隔たりがある。

 自殺少女について考えた。自分が彼女について知っていることは何一つない。だけど、自分はいま彼女の死の痕跡に触れている。歴史博物館という表現もあながち間違ってはいないのかも、と思う。あたしたちは彼女を歴史人物に見立て、過去を掘り下げようとしている。清美や幸司くんはどうか分からないが、少なくとも自分は、彼女のことをもっと知りたいと思っている。

 少女はどういう顔をしていたのか。どんな性格をしていたのか。どうして死んでしまったのか。彼女は、この赤い模様にどんな意味を見出したのか。

 何にしても、ここに堀ちゃんがいないのは非常に勿体なかった。

「さっきぃ先輩、帰らないんですか?」

 後ろから清美の声がかかる。自分は迷うことなくうなずいた。

「おい、マジでお化け出るぞ」

 幸司くんは清美と二人きりになるのが恥ずかしいのだろう。何度もあたしを引っ張っていこうとしたが、自分は頑なに拒否を決め込み、円の中に居座り続けた。



 気付けば夕方、太陽が住宅の屋根の間に落ちていた。地上から天へと、赤、澄、紺のグラデーションを生みだす。

 自分は円の中から一歩も動かず、体育座りでそこにいた。ひとりぼっちだった。相変わらず生の円にいて、死の円を目下にしている。いまだに自殺少女と同じ場所に立てた気がしない。透明な膜を一枚張っているようだった。

 このままじゃつまらないから、様々な想いを巡らせてみる。

 一度だけ、飛び降り死体を見たことがある。友達の家に遊びに行った帰り道で、例によって隣には堀ちゃんがいた。堀ちゃんとパピコを半分こして家路についていたら、マンションの上空から小さな男の子が落ちてきた。

 本当に小さな男の子で、ほとんど幼児と言ってもいいくらいだった。自殺する意志すら持てないだろうから、親の不手際か、ともすれば虐待か。飛び降り死体というより落下死体と呼んだ方がいい。堀ちゃんと自分は電波でも受け取ったかのように、落ちてくる男の子を斜め上に認める。

 彼は有無を言わさず自分たちのわずか五メートル前方に落下し、脳漿をあたりにぶちまけた。あれは酷いものだった。右の上腕が肘のあたりまで裂け、両足は擦り傷程度であるものの複雑骨折のために人とは思えない形状をしていた。あとから、めくれ上がったお腹から中身があふれ出た。無事なのは背中の一部だけ。

 マンション階上から幾多の悲鳴が聞こえたが、自分たちはパピコをくわえながらじっとそれを見下ろした。とても人の死体とは思えなかったから、自分はそれなりに平気だった。

「あたしもさっきぃも、もし飛び降り自殺したら、こんな風になるんだよ」

 堀ちゃんは噛みしめるように言って、男の子を避けて歩いた。なんであのとき、堀ちゃんがそんなことを大事そうに言い聞かせたのか、自分にはよく分からない。だけど、もし飛び降りるにしてもこんな風に脳みそがはみ出ちゃうのは、ちょっと格好悪いな、と自分は思ったのだった。

 自殺少女はどうだろう。このビルはあのマンションほどの高さはないから、まだ人としての原型を留めていただろう。彼女は、ドラマみたいにきれいに死ねただろうか。ただの願望だけど、自殺少女はきっと可愛い顔していたと思う。せめてもの救いに、顔以外の部分を損傷して死んでいく姿をあたしは想像してあげた。


 ひとしきりの妄想を膨らませたところで自分は立ち上がる。夏にしては肌寒い風が通り抜け、思わず両腕を抱いた。ふとした無意識の中、足もとの円とラインを見下ろすと、身体がふわりと浮き上がる感じがした。

 とおく後方で気配を感じ取り、振り返る。塔屋の真っ暗な階段踊り場で、なにか影のような物がうごめいた。そんな気がした。気のせいかもしれない。

「だれ?」

 反射的に呼びかけてしまったのは、やはり幽霊恐怖症のせいか。応えが返ってくるのを期待したが、どれだけ待っても屋上は静寂に包まれていた。

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