第4話 胃袋神話 1
社長がいた頃は、ご飯の時間になると「はい」ってポケットマネーからご飯代を出してくれて、社長と自分の分のお弁当を買ってきていた。駅前のお弁当屋さんで買ったり、飲食店の前に出てる弁当販売で買ったり、時には美味しい出前を取ったり。
貧乏学生の分際では食べることのないような値段(と美味しさ)のお弁当を買う時もあったんだけど……それも九日前までの話。
社長代理になってから、食事代なんか出ないし。それどころか、久我さんは食事すら摂らない。仕方ないから私は、自腹切って安いコンビニ弁当またはおにぎりだけの日々。
親元を離れて一人暮らしして、大学の授業料も払って……貧乏学生には、満足に食事にあてるお金もないんですよ。
だから惹かれた“食事つき”のバイトだったのに……
はぁー。
思わず大きなため息が出てしまい、久我さんに聞き咎められる。
「なんですか、集中力が切れましたか? ……ああ、もうこんな時間か。少し、休憩してはどうですか?」
時計の針は昼の十二時を少し過ぎたとこ。
「いえ、休憩はいいです……」
私は覇気のない声で言う。休憩なんてとったら、余計にご飯のこと考えちゃいそうで、やばいんだよ。
なんて言っても、月末給料日前。ここ数日、お米くらいしか食べてなかったのに、そのお米も底をつき……今日は朝から何も食べていない。
「休憩くらい取っていいですよ。いくら僕でも、休憩取ったくらいで怒らないですから」
久我さんがなんか的外れなこと言っていたけど、いつもだったらカチンとくる嫌味も右から左に素通りしていく。あまりにお腹が空きすぎて……そう思った時。
ググゥ~~~~~~
自分のお腹から出たとは信じられない様なすごい音に唖然とし、慌ててお腹に手を当てる。
キュルキュルキュル~~~~~
鳴り続けるお腹に、顔がどんどん赤くなっていくのが分かった。
久我さんは、一瞬何の音か分からない様に首を傾げ、原因に思い当って、惚けた顔で私を見つめる。
「長田さん……? もしかして、お腹空いているの?」
ただただ驚いたように私を見つめる久我さんに、私は渋々頷いた。
「はい……」
「いいよ、お昼休憩にしな?」
「いえ……その……」
説明するべきかどうか迷って、口をつぐむ。
こんなに盛大にお腹の音を披露して、お金がなくてご飯が買えないんです――なんて、たかってるようにしか聞こえないよね……
どうしよう……言ったら絶対、鼻で笑うような人よ、この人は。
そうこう悩んで黙り込んでいると。
「長田さん?」
その声にぱっと顔を上げると、妖しく麗しい天使の笑顔の久我さん。でも声が威圧的で、ぶるりと背中を震わせる。
言いなさい――高圧的な視線に、蛇に睨まれた蛙のように縮みあがって、私は早口で説明する。
「あの、普段はご飯代を社長に出して頂いてて、それを当てにして、先月の給料はすべて授業料にあててしまって、その上お米も尽きてしまって……ご飯を買うお金もないんですぅ……」
はぁー。
今度は、久我さんが大きなため息をつく。
「“ご飯つき”の条件のことですね、社長から伺っています。社長が入院してからの九日分は、一日五百円で給料と一緒に食事手当として出します。今日はとりあえず、これで何か買ってきなさい」
そう言って久我さんが、明らかに私物と分かる財布から野口さんを一人、差し出した。
「えっ、あの……」
受け取っていいのか躊躇っていると。
「僕は普段食事を摂らないので、長田さんの食事事情に気づけず、すみませんでした。これで好きな物を買ってきなさい。あっ、僕の分は結構ですからね」
※
私は道路をとぼとぼと歩きながら、久我さんから頂いた千円札を握り締める。駅前のおいしいお弁当屋さんに行こうかとも思ったけど、やめて、近くのコンビニに入る。
結局、私はおにぎりを一つだけ買って、お釣りを社長の机の上にそっと置いた。
仕事をしていた久我さんが、ぱっと顔を上げて、置かれたお釣りと私の顔を数度見比べる。
「何を買ったんですか?」
「えっ……と、おにぎりを……」
「遠慮せずに、もっとましな物を食べなさい」
ましな物……私はその単語を口の中で反芻して。
「いえ、これで十分なので。お金、貸して頂いてありがとうございます。お給料が入った暁にはきっちり返しますので」
そう言って自分の席に戻ったんだけど、久我さんは立ちあがって、目を見開いて呆然と机を見つめている。不自然な行動に首を傾げると。
「僕からの施しを受けないと……?」
その声は静かな怒りを表していて――
私が口を開いて何か言う前に、久我さんはさっさと事務所を出て行ってしまった。
いつもいつも、久我さんの怒りポイントは私には理解できなくて――だから追いかけるなんてことは思いつかず、そのうち帰って来るだろうと楽観的に考えて、おにぎりを頬張った。
空きっ腹にお米が沁みて、胃がジクジクする。
久我さんがいないだけで事務所の空気は清々しくて、昨日のお昼ぶりに食べた食事にお腹も満たされて、いつも以上に仕事のペースがはかどる。
机の上に置かれた山積みの書類が半分程に減った頃、久我さんが両手いっぱいにスーパーのビニール袋を下げて戻ってきた。
「おかえりなさい、久我さん」
なんでスーパーの袋を持ってるのか疑問にも思わず、出て行った時に怒ってた事も忘れ、私は普通に声をかけた。
久我さんは何も言わずに私を一瞥するとキッチンに向かい、ガサゴソと何かを始めた。私はそれさえも気にならず、パソコンに向かい続ける。今日はなんだか調子が良くて、やっつけた書類を提出ボックスに入れ、机の上に残った書類――整理を頼まれたもの――を抱えて、棚に向かう。業者への発注伝票を日付ごとに並べ、業者ごとのファイルに入れて棚に戻していく。
しばらくして、キッチンからクリィーミーな良い香りがして、ぐぅ~っと小さく腹の虫が鳴った。




