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HONEY*POISON ―甘い蜜には毒がある―  作者: 滝沢美月
side2.5:AO
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第27話  すれ違いフェイク



 振り返ると、嘘つき天使のスマイルでもなく、怒りを露に魔王のごとく怒った翔真さんが扉の前に立っていた。


「あっ……」


 その表情から、今マネージャーと話していた会話を聞かれたんだと悟って、弁解しようと口を開いたんだけど、翔真さんの顔があまりのも怖くて、殺気に満ちていて――喉まで出掛かった言葉を飲み込む。

 目が合っていたのは確かなのに、翔真さんはすっと視線をそらすと何も言わずに部屋を横切り用事を済ませて出て行こうとする。

 その態度が、後姿が、決して私を見ようとしない姿勢が、すべてから怒っているのは分かって、もう一度声をかけたんだけど。


「あっ、翔真、さ……」


 ちらりとも私のほうを見もせず出ていってしまった。全身で拒絶され、私は顔をぐにゃりと歪ませる。視界は滲み、頬を涙が伝う。

 こんな態度の翔真さんは初めてだ。怒っていてもいつもはそれを笑顔で隠す人で――

 だから余計に、本気で怒っていることが伝わってきた。


「葵生ちゃん、大丈夫……?」


 声を押し殺して泣いている私に、マネージャーが心配そうに顔を覗き込みながら声をかけてくれる。

 分かっている。悪いのは私で、翔真さんが怒るのも無理がない。それくらい酷いことを言ってしまったのだから――


「はい……」


 なんとか嗚咽を飲み込み、手のひらで涙をぬぐって笑ってみせる。


「久我君、ちょっと誤解しちゃったのよ。ちゃんと話せば分かってくれるよ。ね?」


 マネージャーの優しさに堪えていた涙が溢れてきて、ただ何度も頷いた。



『今更、プロポーズの返事を取り消すことも出来ませんし……』


 そう言ったのは、返事を取り消したいからじゃなくて――

 あの時はただ、結婚イコール社長がお父さんになるってことに浮かれてて――

 翔真さんと付き合い始めた頃に、そうゆう会話を社長としたことがあって、そのことを思い出して頭がトリップしてて、ちゃんと“翔真さんのプロポーズ”に対する返事を出来なかったから、もう一度ちゃんと、自分の気持ちを伝えたくて……


 嬉しかった――


 まさか、翔真さんが私に結婚してくださいなんて言ってくれるなんて思わなくて。私との結婚を真剣に考えていてくれたとは思わなくて――

 でも、フランスに行くというのは……急すぎる。

 一緒に行きたい――気持ちはそうでも、実際、そういう訳にはいかない問題があって。

 明日から八月で今は夏休みで大学の講義はないけれど、九月になったらまた講義が始まるし、就職活動だって始まる。フランスに、ただついていくだけなんて――できない。

 せめて、大学を卒業していたら。

 そんなことを考えてみるけど翔真さんにも事情がある訳で、タイミングが悪かった――そう言ったら、それまでだけど、事実そうゆうことで……

 それでも、誤解されたままなのは嫌だから、ちゃんと自分の口から話そう。そうすれば分かってくれる、翔真さんはそうゆう人だから――そう思ったのに。

 夜、会う約束をしていた翔真さんから。


『今日は会えない』


 ただそれだけの素っ気なく短い文章のメールが送られてきた。

 それでもちゃんと話がしたかったから、次の日、会えるかメールをしたけど返事がなくて、電話もしてみたけれど……まるで避けられるように電話にも出てもらえなかった。



  ※



 翔真さんとギクシャクしたまま五日が経ってしまった。横浜に行った日、フランスには二週間後に発つと言っていたから、二日後くらいには日本から遠く離れた地に行ってしまう。だから、その前にどうしても会って話がしたいのに、相変わらず翔真さんとは連絡が取れないまま、私は事務所に来てバイトをして、どんどん日が経ってしまった。

 どうしたら翔真さんと連絡が取れるか――そんなことを考えながら今日も事務所でバイトをしている。

 プルルルル……

 電話が鳴り、机の左横に置かれた固定電話に右手を伸ばし、背筋を伸ばしてから受話器をとる。


「はい、株式会社クル・ドゥ・ミエルです」

「赤坂店の渋谷(しぶや)です。葵生ちゃん? さっきファックスした発注表なんだけど」

「ちょっと待っててください……」


 いまだに会社にかかってくる電話に出るのは緊張するんだけど、マネージャーからの電話と分かって私は伸ばしていた背筋から力を抜いて、受話器を左手に持ち替え、机の右側に置かれた棚からさっき赤坂店から送られてきた発注表を取り出す。


「はい、どうぞ……はい、はい。レモンシトラスジュースの数が訂正ですね。わかりました」


 私は左手に受話器を右手にペンを持ち、発注表に訂正を書き込む。


「それからね……」


 言いにくそうな声でマネージャーが言うから、どうしたんだろうと思う。


「久我君、今日来てないからどうしたんだろうと思ってシェフに聞いたら、なんか予定を早めて今日の便でフランスに帰ることにしたらしいのよ」

「えっ……」

「やっぱり知らなかったのね……葵生ちゃん、あれからちゃんと話せたのかなって心配で……」

「知りませんでした……久我さんにはずっと避けられてて連絡がとれなくて……」

「ここ数日の久我君、レストランでもなんか様子が変だったわよ。ぜんぜん笑わないし、明らかに沈んでる感じで。だからちゃんと話した方がいいと思ってたんだけど、避けられてるって……もう夕方の便で発つみたいだし……」

「夕方の便って何時ですか?」

「えっと私は詳しくは分からないんだけど……あっ、社長は知っているんじゃない?」


 そう言われて、私は知らせてくれたマネージャーへのお礼もそこそこに電話を切り、社長席に駆け寄る。



「あっ、あの、社長。こがっ……翔真さんが今日フランスに戻るって本当ですか?」


 切羽詰って早口に聞いた私に対して、ゆっくりと顔を上げた社長が、目を一回、二回、瞬く。


「ああ、そう言っていたね」 


 いつも通りの口調で、それが? っていうように社長が首をかしげる。


「何時ですか? 何時の便で翔真さんはフランスに戻るんですか!? 私、ずっと翔真さんと連絡が取れなくて……」

「ん? 確か、二十一時五十分くらいの便だったか……」


 私は、横の壁にかけられた時計に視線を向ける。時刻は十六時四十分を少し過ぎたとこ。二十一時五十分くらいの便ということは、二時間前には空港について……二十時半くらいには搭乗手続きを済ませて出発ロビーの奥に入ってしまう。そうしたら、本当にもう会えなくなってしまう。

 今から事務所を出て、一度家によってパスポートとか必要最低限の荷物を作って、成田空港に向かったら……ギリギリ、二十時半には空港につける。翔真さんが出発ロビーの奥に入る前にどうにか捕まえて――

 頭をフル回転して時間を計算し、早口にまくし立てるように言う。


「私、まだ翔真さんに言わなきゃいけないことがあるんです。まだバイト中だって分かっているんですけど、今すぐ空港に行きたいんです。このまま永遠にお別れだなんて……嫌なんです、お願いします」


 私は勢いよく頭を下げて、社長にお願いする。


「いいですよ、でも……」


 社長がまだ何か言おうとしていたけど、私はその声も耳に届かなくて、慌ててやりかけの仕事を片付けて、鞄を取って事務所を飛び出した。

 ただ、翔真さんに会わなければ――という想いだけで。




第25話と第26話の間の話です。

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