第22話 in your heart 2
店の外に出て三日前にも歩いた駐車場に向かう道を歩く。斜め前を歩く久我さん、その後ろをついていく私、そして流れる沈黙。
三日前の状況がそのまま、ここに……
確かあの時は……
そう考えて、無意識に人差し指を下から上に動かし、その先を視線で追って顔を上げると、振り返った久我さんと視線が合う。
その顔は無表情で、どんなことを考えているのか読みとることが出来ない。そう思うと、嘘つき笑顔でも感情が読みとれるだけマシかも……なんて思えてくる。
「長田さん……」
久我さんが何か言おうとして口を開いて、躊躇いがちに言葉を切る。なんだかその先を聞くのが怖くて、私はぱっと視線をそらして斜め下を見て、手に持っていた紙袋を前に突き出す。
先手必勝っ!
「コレ……受け取ってくださいっ」
そう言うのが精一杯だった。
「なに?」
って聞かれても答えられなくて。
だって、この方法しか思いつかなくて……
プロを目指している料理人相手にこの方法はどうかだなんて、あの時は全く考えなかったんだもの。今になって、なんて失敗したんだろうと思うと、恐ろしくて久我さんの方を見られない。
私はびくびくしながらただ紙袋を差し出す。
「貰っていいの?」
そう聞かれて、視線をそらしたまま勢いよく頷く。それでようやく、久我さんが紙袋を受け取ってくれた。
私はぎゅっと瞑っていた目を恐る恐る開けて、斜めに久我さんを見上げたら、今受け取ったばかりなのに、紙袋の中に入ってた箱を取り出して開けてみているから――
ぎゃっ!
体を震え上がらせて、久我さんの反応を待つ。
「コレは……?」
私は覚悟を決めて、久我さんにまっすぐ向き合う。
「あの、チョコレートケーキを作ってみたんです……」
そう言いながらも、やっぱり目を合わせているのが恥ずかしくて、体の前で合わせた手を揉み、視線をだんだんと下へ下げる。
実はあの時――
※
「あの、社長。お願いしたいことがあるのですが――」
「ん? なあに、葵生ちゃん」
「はい、今日の休憩を最後に回して、出来れば少し早めに上がりたいのと……事務所のキッチンを使わせてもらえませんか?」
ダメもとで、そう言う。
好きって伝えてないって気づいて――
どうやって伝えようかと考えて――
思いついたのが、ケーキを作って渡そう――ということだった。私にも一つだけ作れるケーキがあるから、そのケーキと一緒に気持ちを伝えようと思ったの。
じーっと私を見ている社長にもう一度声をかける。
「あの、ダメでしょうか? ちゃんと今日中にやらないといけない仕事はやるので、お願いします」
私は頭を下げようとしたんだけど、それよりも先に社長がにこりと笑う。
「いいですよ。その代わり、一つ、聞いてもいいですか?」
「えっ……と、なんですか?」
「それは、翔真に関係することですか?」
そう聞かれて、私はドキリとする。
えっ、なんで? 社長はなにか、気づいてるの……?
「えっ、あの……」
社長は私の顔をにこにことほころばせて見ている。
ばれている……そう思ったら、かぁーっと顔が赤くなるのが自分でも分かった。私は俯いて。
「はい……久我さんに関係、あります……」
「ふふっ、そうか。じゃあ、今日の報告は今度聞けるかな?」
そう言って笑った社長の笑顔は、久我さんが笑った顔と似てて、今更だけど親子なんだなと実感した。
もちろん、社長の笑顔は癒し系で、久我さんの嘘つき笑顔とは全然違うけど、初めて私の中で二人が親子だと繋がった瞬間だった。
それから私は必死で今日の仕事をして、十六時頃事務所の近くのスーパーにケーキの材料を買いに行き、事務所の奥にあるキッチンでフォンダンショコラを作ったの。
唯一、頭の中にレシピが入っているケーキだから、手際良く作る。それで、久我さんの分と一緒に社長用に甘さ控えめのを作って、事務所を出る前に渡したのだった――
※
チョコレートケーキを渡して一緒に気持ちを伝えて、はっきりさせるんだ――って決めたの。
「久我さんに食べてほしくて作ってみたんです、けど……好きじゃないですか?」
そう言って久我さんを仰ぎ見る。
久我さんは手に持ったチョコケーキの入った箱を見つめているんだけど、そんなに見られたら、恥ずかしい……
だって、買出しに行った時にハート形の型が売っていたから、ついそれを選んでしまったんだもの。
ハート形の手作りケーキなんて……あからさまに好きだって言っているようなものだから、恥ずかしくて顔が赤くなる。
それでも、自分で言ってはっきりさせなくちゃ――
「……好きだよ、ありがとう」
チョコケーキを――って意味だとは分かるけど、はっきり確かめたくて。
「私も好きなんです……久我さんのこと、が……」
久我さんはその言葉を聞いてどう思っているのか、目をゆっくりと瞬く。
こんな言い方ずるいとは思ったけど、なんだか素直になれなくて。
「久我さんは私のこと、嫌いですか……?」
久我さんのあの日の言葉を使ってしまった。
でも、私がそう言った瞬間、久我さんの瞳にすっと妖しい光が瞬いて、にこりと笑うの――天使も慌てて逃げ出すような妖しく麗しい微笑みで。
どうして、ここで嘘つき笑顔なんですかぁ――!?
夜でもわかるサラサラの蜂蜜色の髪が街灯に照らされて輝いている。久我さんの端正な顔でそんな風に笑われると、より一層美しさが際立って……とっても怖いんですよぉー!
だってだって、怒っている時の笑顔だって、私は知ってるから。
私、何かまずいこと言った?
怒らせるようなこと言った??
私が久我さんのことを好きだなんて言ったから……?
じり……一歩後ろに後ずさる。
その瞬間、久我さんが私よりも長い足で一歩私に近づいて、その距離が一気に縮まる。その顔はキラキラの笑顔で、でも目が怒ってるんだ。
嫌ぁ――――!
なんで私、こう地雷ばっかり踏んじゃうの!?
「あっ、あの……」
私はとにかく久我さんの怒りを鎮めようと、なにかいい訳しようと思ったのに、怖すぎて言葉が出てこなくて。
「長田さん……」
そう言った声も、いつも以上になんか甘くて、背筋が震えてしまう。久我さんが優しい時って、怖いんだものぉ――
すっと、久我さんの大きな手が私に近づいてくるから、ビクッと肩を震わせる。やだっ、ぶたれるの!?
そう思ってぎゅっと目を瞑って、次に来る衝撃に備えた――んだけど。
ぽんって――
頭を優しく撫でられる感触に、恐る恐る目を開けて久我さんを仰ぎ見ると、久我さんが困ったように見下ろしてくるから、強張らせてた体の力をすっと抜く。
「ごめん、怖がらせるつもりじゃなかったんだ。ただ――俺が言ったこと、長田さんが信じてないみたいだから……」
そう言って口を押さえた久我さんはため息のような声を漏らす。
「あー……」
僅かに頬を染めて、まるで照れているみたいな久我さんをきょとんと見つめる。
「俺は長田さんのこと嫌いじゃないよ? 好きだって、前に言ったでしょ?」
「はい、言われましたけど……」
なんだかそんな久我さんが可愛くて、さっきまでの怖さが吹っ飛んでいつもどおりに返事をしてしまう。
「でも、信じられなくて……だって、あの時の久我さん、とっても目が怖くて……」
そう言って、あっと口を押さえる。
わぁー、またこんなこと言ったら、怒られるっ!
そう思ったのに、久我さんは。
「くっ……くっくっ」
って、笑っているから呆気に取られて。
なんだかこの展開も三日前と同じような……
「ごめん、そうだね、確かにちょっと怒っていたかも」
ちょっと?
ちょっとっていうレベルじゃなかったような……
「でも、それは長田さんが悪いんだよ? 俺のことイラつかせるから」
「それってつまり、久我さんは私のことが嫌いだという……」
思わず心の声を漏らしちゃって、でももう慌てることはなく、久我さんをまっすぐに見つめる。
「違うよ」
そう言った久我さんの瞳は真摯で、とても嘘を言っているようには思えなくて。
「言ったでしょ? 俺は長田さんが好きだよ。長田さんは? さっきの言葉は、そのまま受け取っていい?」
私はゆっくりと、でもしっかりと頷く。
「はい……私も久我さんのことが好きです」
ちゃんと言葉にした瞬間、私の心の中でその言葉が呪文のように広がって、胸がきゅんっと締め付けられる。
頬を染めた久我さんが少し皮肉気に笑って、私の頬に触れ――
そっと私の唇に久我さんの唇を重ねたの。
私はまさかキスされるとは思わなくて目を大きく見開いて、端正な久我さんの顔のアップを見つめ、自分の唇に触れるやさしい久我さんの唇の感触に、呆然とする。
「そんなに見つめられると、照れるな……」
唇を離した久我さんはそう言って、極まりが悪そうに斜め横に視線をそらす。
そんな久我さんの表情は新鮮で、ただただ眺めていると。
「長田さん、俺とつきあってくれますか?」
そう聞かれて、返事をしようとしたんだけど。
「ただ……長田さんを前にすると俺は緊張して、優しくしてあげられない時もある。感情に任せて怒る時もあるかもしれない……」
緊張……? あの妖艶な嘘つき笑顔は緊張……していたから?
そう思うと、なんだか久我さんが可愛く思えてしまう。
あー、私も久我さんも素直じゃないんだな。そう感じて愛おしくて。
「いい訳に聞こえるかもしれないけど、これだけは信じてほしい。俺は長田さんのことを心から愛しているよ」
その言葉に、ぎゅーっと胸が締め付けられる。
そんな風に言われたら、信じるしかないでしょ――
「はいっ」
私はたくさんの愛をこめて、最高級の笑顔で答える。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
久我さんってまだまだ謎なところが多いし怒ると半端なく怖いけど、でもそんなとこもすべてひっくるめて久我さんで、そんな久我さんを私は好きになったのだから――
もっともっと久我さんのことを知っていきたいと、心の底から思ったの。