第19話 出会わない運命
言葉では伝わらず、行動を起こせば拒絶される――
近くなったと思ったら、遠ざかる――
胸にざわつく気持ちを抱え、それでも、平静を装って仕事に向かわなければならなかった。
昼間、いつもだったら長田さんもいる事務所に今日は一人きり。
夜に赤坂店の一周年パーティーがあり、今日はその手伝いだけを頼んでいるから長田さんは事務所には来ないのだ。
だけどそのおかげで気が散らずに集中して仕事ができていい。今日で社長代理の仕事も終わり、今日中にやっておきたい仕事は山ほどある。
それに、まだ、長田さんと顔を合わせて平静でいられる自信がなかったから――
夕方、少し早めに事務所を出て赤坂店に向かう。
今日でもう長田さんと普通に会うのが最後だと思うと、どこか冷静になれる自分がいた。
キッチンでシェフとパーティーの最終打ち合わせをしていると、店の入り口から長田さんが入ってきたのが見えて、声をかける。
「長田さん、おはよう」
姿を見ただけで、心が温まる――
今はそれだけで十分だったから、いつもどおりに笑いかけた。
「おはようございます……」
長田さんが体の前でぎゅっと手を握りしめているのを見て、苦笑が漏れる。
「シェフ、受付の説明をして来るので、また後ででもいいですか? 長田さん、こっちに」
前半はシェフに、後半は長田さんに言って店の入り口に置かれた長テーブルに移動する。初めて見る長田さんのスーツ姿は新鮮だった。
一通り受け付けの説明をした後、その場を長田さんに任せて、テーブルの配置や今日の段取りを確認するためにマネージャーに声をかける。
「準備はどうですか?」
「あっ、久我君、久しぶり。テーブルの配置はこんな感じにしてみたんだけど」
「ええ、いいと思いますよ」
「今日の段取りはスタッフにちゃんと言ってあるから大丈夫よ。あとは料理を中央のテーブルに運んで……」
そう言ったマネージャーの視線の先を追って振り返ると、受付にいるはずの長田さんがせっせとキッチンから大皿料理を運んでいる。
「葵生ちゃん、本当に働き者ね」
マネージャーの言葉に微笑む。
「それに比べてうちのスタッフは……こら、お喋りしてないで料理運ぶの手伝って!」
マネージャーは腰に手を当てて、奥で話し込んでいるホールスタッフに声をかける。マネージャーに怒られ慌ててキッチンに向かうスタッフを見送って、振り返ったマネージャーがため息をつく。
「まったく……事務所の方は大変じゃない? まあ、葵生ちゃんがいるから大丈夫か」
長田さんがいるから――
「ええ、なんとか。明日からはまたレストランに復帰するのでよろしくお願いしますね」
そう言って、にこりと微笑む。
長田さんが相手じゃなければ、こんなにスマートに対応できるのに。長田さんがいるから心中穏やかに事務所で仕事出来なかったと思いつつも、平気で気持ちを隠せるんだ。
それなのに、長田さんが目の前にいると、こんなにも自分が自分でなくなってしまう――
そのことに改めて気づいて、情けなくなる。
パーティーの始まる少し前から受付に立ち、招待客の受付をし、名札を渡していく。招待客は取引先の業者様などで、時間通りに来る人もいれば、仕事終わりに来るため遅くなる人もいる。そのため一時間程立ったまま。
受付に来るお客様もまばらになり、そろそろ受付を終えていいかなと思った時。
「マックのポテト食べたい……」
隣に立っている長田さんがぽつりと小さな声で言うから、苦笑が漏れる。
「横にはご馳走があるというのに、食べたいのはマックですか」
「悪かったですね。私は庶民だから、あんな豪華な料理は食べ慣れていないんです。それよりもあの塩味のきいたポテトが……」
言いながら、何を想像したのか妖しげに指先を動かすから、その姿が可愛くて笑みがこぼれる。
「あっ、笑ってないですよ」
長田さんがぱっと俺の方を仰ぎ見るから、慌てて口を押さえたけど、笑いをこらえられなくて笑ってしまった。
※
その後、取引先の社長が来て俺は挨拶をしながらホールまで案内し、受付に戻ってきた時には――もう長田さんの姿はそこにはなかった。
一ヵ月一緒に働いた仲なのだ、それも今日で終わりで。
せめて帰る前に一言くらい挨拶する義理はあるんじゃないか――
そう心で詰りつつも、俺と長田さんは出会わない運命だったんだ――
そんな風に運命のせいにして投げやりになっている自分がいた。
もう嫌だったんだ。自分の感情を上手く操れなくて、感情に翻弄されるのは――
だから今日で、長田さんへの気持ちを諦めようと思った――
※
レストランに戻ってから一週間。
事務所にいた間のブランクを取り戻すためにがむしゃらに働き、レストランと家の往復だけ、料理以外のことを頭から締めだして、ただただ仕事に打ち込んだ。
ふっと、店内に聞きなれた懐かしい声が聞こえた気がして顔を上げると、ホールを横切る見覚えのある後ろ姿、揺れる長い髪に目が釘付けになる。
長田、さん――
そうか、皿洗いのヘルプで来たのか。そう思うと、頬が緩んでしまったけど、状況は何も変わっていなかった。
ちょうど手を止めた時、洗い場にいる長田さんと目が合ったが――長田さんは瞳はキョトンとさせて首を傾げる。
あっ、気づいて――いないのか!?
なんで――?
どうして、気付かないんだ――!?
気持ちは焦って苛立ったが、今は仕事中で話しかけることは出来ない。だから、長田さんを視界から追い出し、仕事に集中するしかなかった。
もちろん、いつもの傾向で長田さんがランチタイム終了前には事務所に戻ることも分かっていた。それでも話しかけられなかったんだ――
その後もヘルプで来る長田さんは俺に気づかない。誰かと似ているとすら思わないのか、話しかけても来ないし。
一度は諦めようと思った、けど――
そんなに簡単に諦められるほどの気持ちではなくて。
もしも出会わない運命だというならば――そんな運命なんてこの手でぶち壊してやる。
自分から会いに行くまでだ――