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HONEY*POISON ―甘い蜜には毒がある―  作者: 滝沢美月
side:SYOMA
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第17話  言葉だけでは・・・



 女性に接する時は硝子細工を扱うように優しく――それが父や祖父から教わったことで、俺は今までそうしてきた――つもりだった。

 それなのに長田さんを前にすると、感情を態度に露わにしてしまうし、抑えきれない感情を笑顔で取り繕おうとか考えてしまう。女性には当たり前のように優しく接してきたし、女性を前にしてコントロールできない感情にヤキモキすることもなかった。

 彼女だけが――俺を狂わせて、ダメな人間にしている。

 それは俺が彼女のことを好きだから――

 自分の心の内で見つけた答えに、どう彼女に向き合うべきか、真剣に悩んだ。



 まずは今までの自分の態度を振り返ってみて、俺ってなんて嫌な奴なんだと自分で思ってしまった。彼女が一生懸命仕上げた仕事を、一瞬でミスチャックしてつき返し、彼女と話すことは仕事の話ばかり、しかも俺が一方的に叱る感じで。

 こんな俺を彼女が嫌うのはもちろん、笑顔をみせてくれないのも仕方がないことに思える。

 病院での父の言葉を思い出す――


『好きな子にはもっと優しくしてやらなければ、気持ちは伝わらない。全く、仕事熱心なのはいいが、そんなんじゃ恋人の一人もできないだろうに……。葵生ちゃんはお前みたいに優しくない男はタイプじゃないそうだぞ?』


 俺自身、やっと気づいた気持ちに、父はあの時点ですでに気づいていたのだろうか――

 そう考えるとため息が漏れたが、とにかく俺は彼女ともっと仕事以外の話をして、優しく接しようと決めたのだ。

 いや、こんなことを決めること自体、俺にとっては初めてのことだが、彼女を前にするとどうしても頭でごちゃごちゃ考えてしまうから、あらかじめ考えておけば、今までよりも少しはマシな態度が取れるんじゃないだろうか。

 もしも、少しでも彼女と友好な関係を築けるならば――



 だから、お腹の音を鳴らして縮こまり、頬を染めた長田さんが。


「あの、普段はご飯代を社長に出して頂いてて、それを当てにして、先月の給料はすべて授業料にあててしまって、その上お米も尽きてしまって……ご飯を買うお金もないんですぅ……」


 そう言ったことに対してというよりも、そのことに気づかなかった至らない自分にため息を漏らす。


「“ご飯つき”の条件のことですね、社長から伺っています。社長が入院してからの九日分は、一日五百円で給料と一緒に食事手当として出します。今日はとりあえず、これで何か買ってきなさい」


 親から独立し、自分の稼いだお金で生活していけるくらいは稼いでいる。だから長田さんに一食分くらい奢っても問題はなく、そのつもりで俺はお金を渡したのに、昼食を買って戻ってきた長田さんが、俺の机の上にそおっと小銭を置いたのを視界の端に認めて、顔を上げた。

 机の上に置かれた小銭は八百七十円。お金がほとんど減っていない――

 小銭から彼女に視線を移すと、気まずそうに視線をそらされた。


「何を買ったんですか?」


 俺は怒りを抑えて、静かな声で聞く。


「えっ……と、おにぎりを……」

「遠慮せずに、もっとましな物を食べなさい」

「いえ、これで十分なので。お金、貸して頂いてありがとうございます。お給料が入った暁にはきっちり返しますので」


 その言葉が胸に突き刺さる。

 長田さんが話は終わったとばかりに俺を見ずに席に戻るから、俺は無意識に立ち上がり彼女を見つめた。


「僕からの施しを受けないと……?」


 さっきの言葉だけじゃ、俺の誠意は伝わらなかったのだろうか――

 決して、貸すために渡したお金ではない。それなのに彼女がそう受け止めたのは、俺が今まで取ってきた行動のせいだろうか?

 俺は、切ない気持ちと苛立つ感情に動かされ、事務所を後にした。

 言葉だけで伝わらないのならば――行動に示すまでだ。俺は食材を求めて、その辺のスーパーではなくて、無農薬野菜や高級な食材を扱うスーパーに向かい、なんとなくクラムチャウダーを作ると決めて食材を買いそろえ、事務所に戻るとすぐに調理に取り掛かった。

 鞄の中に入れていたブルーのストライプのエプロンを身につけ、まず食材を切る。久しぶりに自分以外のために作る料理に少し緊張したが、料理を始めるとそんなものはすぐに吹き飛んでいた。

 煮込みはじめ、もう少しで出来上がるという頃、長田さんがキッチンに現れる。

 俺はクラムチャウダーを混ぜるために握っていたお玉を離し、コンロの火を止めて皿を出して一杯よそい、キッチンの横に置かれたダイニングテーブルに置く。

 椅子を引き、長田さんに座るように促す。席に座った長田さんは最初は恐る恐るといた様子でスプーンを持ち、クラムチャウダーを一口すくって口に運ぶ。


「わっ、おいしい……」


 思わずといったように言い、長田さんが口元に手を当てる。

 その言葉に、自然と頬が緩む。


「あの、久我さんって、お料理とてもお上手なんですね。でも、どうしていきなり料理なんて始めたんですか?」


 スプーンを置き、こっちを見上げて長田さんがそんなことを聞く。

 上手ですねって……一応、料理のプロを目指してるわけだから美味しくて当然だと思うけど。本当にレストランのキッチンで会ったことがあるって気づいてないんだと、改めて実感し苦笑が漏れそうになったから、つい、誤魔化すように言う。


「君が食事代をお金では受け取れないというから、作ったんだ」


 そう言った俺に、長田さんは首をかしげる。


「さっき僕が食事代を渡したのは、貸したわけじゃない。“これで買ってきなさい”って渡したんだ。それなのに、たったおにぎり一つだけしか買わずに、お金は後日返すだって? そんなに君は……」


 心の中で思っていたことではあるけど、本当に怒っていた訳ではない。なぜだか照れ臭くて、それを誤魔化すために、そんな態度しか取れなかったんだ。

 それなのに――


「ありがとうございます」


 そう言って長田さんが頭を下げるから、胸がぎゅうっと締め付けられる。

 なぜだろうか……自分でも嫌味だとわかることを言ったのに、その後もぱくぱくと口にスプーンを運び、本当に美味しそうに食べるから、その姿に見とれてしまう。

 だから、思わず言っていたのだ。


「これからバイトの時は、長田さんの食事は僕が作るよ」


 見上げた長田さんは、眩しいほど輝いた満面の笑みを俺に向ける。


「ほっ、ほんとうですか……?」


 もしかしたら断られるかも――一瞬、頭によぎった考えを打ち消すように、長田さんの表情が柔らかいから。

 彼女の笑顔が嬉しくて、俺はにこりと微笑んでいた。



  ※



 父が退院した翌日、レストランとの打ち合わせから事務所に帰る途中で、行きは小雨だった雨粒は大きくなり、強い風が吹き荒れ雨を地面と体に叩きつけてくる。傘をさしてもあまり意味がなく、髪や服がぬれてしまった。

 季節外れの台風が予想よりも早く接近してきたようだ。


「まだ早いですが、今日はもう事務所も閉めましょう。大丈夫だとは思いますが、電車が止まったら困りますからね」


 事務所に着いてそう言った俺に、長田さんは青ざめた顔で携帯を見つめている。


「もう、遅いです……もう止まってるんです、電車……」


 半泣きになって俺を見つめる長田さんの手元の携帯を覗きこむと、画面に赤い文字で“運転見合わせ”と書かれていて、長田さんが帰れなくなってしまったことを悟る。

 明日提出の課題をやるために事務所に泊りたいと涙目で訴える長田さんに、俺は事務所に一人で泊らせるのは心配だからと、自分の部屋に誘う。もちろん課題をやるためで、それ以外に含みはなかったんだ――

 ただ困っている長田さんのために言った言葉で。

 俺の部屋に着いてからもリビングでお互いパソコンに向かい、長田さんは課題を、俺は仕事をした。

 自分の部屋に好きな子と二人きりという魅惑的な状況だけれども、彼女に手を出すつもりはないし、仕事に集中することで、煩悩を叩きだした。



「終わったぁー!」


 日付が変わろうとする頃、課題が終わった長田さんが両手を上に挙げて言った。


「お疲れ様です。どうしますか、すぐに寝ますか? お風呂も使いたければ使っていいですよ?」


 そう言った俺に、長田さんがちらっと視線を向けてすぐにそらす。


「久我さんはまだ寝ないんですか?」

「僕はもう少し、切りのいいところまでやるつもりです。長田さんは先に休んでいて結構ですよ」


 俺もすぐに長田さんから目の前のパソコンに視線を戻し、ただ事務的に言う。

 長田さんと二人きりだということを――考えてはいけないことを、考えないようにするために。

 ぐぅ~~~~~~きゅるきゅるきゅるぅ~……

 緊張感を破るように、部屋にいつかも聞いた奇怪な音が響き長田さんの方を見ると、お腹を押さえて丸くなっていた。


「もしかして、お腹すいたの――?」


 夕食を食べてから結構経つけど、普通この時間にお腹が空くものだろうか?

 俺はただ驚いて、自分の耳に聞こえたのが本当に長田さんのお腹の音なのかと見つめる。


「すっ、すみません。今日は朝も昼も食べてなくてっ」

「じゃあ、何か食べる? お腹すいてるなら、何か作るよ?」


 そう言って俺はキッチンに向かって歩き出し、ふっと何がいいかなと思って立ち止まると、背中にドンっと衝撃が走る。振り返るとすぐ後ろで長田さんが鼻を押さえているから。


「大丈夫ですか、長田さん? 何が食べたいですか?」


 大丈夫かと顔を覗きこむと、長田さんの僅かに桃色に染まった頬と吸い込まれそうな程澄んだ瞳が間近にあって、ドクンドクンと胸が高鳴りだす。

 こんなにすぐ側で彼女の温もりを感じ、ふわりと彼女から漂う甘い香りに誘われて――気がついたら彼女を抱きしめていた。




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